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繰り返しの笑い

子が「へへっ。」と笑う。

それは僕が前髪を激しく揺らしてみせたり、足の指をうにょうにょと動かしてみたり、ベッドの上でゴロゴロと転げ回ったり、お腹でマーチングドラムを叩いてみせたりしたとき。数秒の間をおいた後、彼は頬を緩ませ「へへっ。」と笑うのだ。

奇妙な動きをしただけに過ぎないのだが、笑ってくれるとやっぱり嬉しい。そして喜んだ父親は何をするか、相場は決まっているだろう。

繰り返すのである。

もう一回笑ってほしい。
もう一回と言わず、何回でも笑ってほしい。
生涯にわたって笑っていてほしい。

そんな気持ちで繰り返すわけである。一歳一ヶ月の子はというと今のところうんざりとした顔を見せることもなく、繰り返す度に「へへっ。」と笑ってくれている。(ありがとう)

しあわせだなぁ。

子の笑いを眺め、じんわりと胸が温まっていくのを感じる。ふと僕は、まだ僕自身が子供だった頃の母との記憶を思い出していた。


4歳くらいの頃の話だ。

僕は家から2kmほど離れた場所にある保育園に通っていた。朝に登園して、日中はおともだちとたくさん遊び、夕方になったら静かに母の迎えを待つ。そんな毎日だった。

当時、母は僕のお迎えを自転車でやっていた。別で「ヴィヴィオちゃん」という小さな軽の自動車も所有してはいたのだが、シングルマザーだったということもあり、少しでもお金を節約するために自転車に乗っていたのかもしれない。

夕方5時半ごろ。先生にさようならを言い、園を出る。母によいしょと抱えられ、僕は後ろの専用シートに座る。しゅっぱつしんこう!の号令のもと、自転車はゆっくりと動き出す。園を出てすぐの坂道を母はブレーキを効かせながら慎重に下る。坂道の終わりでぬるっと左折をすれば、そこからしばらくは平坦な道を滑っていく。だんだん暗くなっていく風景を背に、特段急ぐこともなくうちの方へ近づいていく。

僕はこの自転車時間が本当に好きだった。自分の家に帰るというただそれだけのことなのに、ちっとも退屈しなかったのである。
そして退屈しなかったのには理由がある。それは、母がよく「行き止まり遊び」をやってくれていたからだ。

「行き止まり遊び」

それはとても簡単な遊び。家へ向かう道の途中で「ちょっとこっちの道に行ってみよう。」とどちらかが言い、行き止まりにぶつかったとき、ふたりで「行き止まりーーー!」と笑い合うだけだ。

僕はその遊びが本当に好きだった。

何度も横道に逸れてゆき、行き止まりにたどり着いては笑いながら来た道を引き返す。ただこれだけのことなのに、僕はケラケラと笑った。もちろん、何回もやっていればどの道が行き止まりに通じるかも分かってくる。しまいにはわざと行き止まりの方に進んでいったりもして、それでもやはりそのたびに「行き止まりーーー!」と笑い叫んだものだ。

薄暮の空が少しずつ濃を増やしていく。こうめい少年の一日の終わりは、いつもこの繰り返しの笑いに明るく包まれていたのだった。


「へへっ。」

子が笑う。続けて、彼は人差し指を伸ばし「ん!」と言った。

最近「もう一回やって!」という合図をくれるようになった我が子。しあわせの笑いを堪能しつつ、さらには子の要望により合法的に(?)ネタを繰り返し披露することができるようになったというわけだ。
見方によっては「何度も何度もやらなければならない」とも取れるこの状況を、僕はいま本当に楽しんでいる。それだけ、子が笑うということがこの上なく嬉しい。

子供だった頃の僕もきっと、あの「行き止まり遊び」を母に何度もねだったことだろう。すべてを詳細に覚えているわけではないが、そのときの母の表情は鮮明に思い出せる。母は、こうめい少年と同じようにケラケラと笑っていたのだった。

その笑顔の意味が、今の僕には想像できる。母もきっと、子である僕が笑うということがこの上なく嬉しかったんじゃないだろうか。寄り道だって、繰り返しだって、どんなに時間がかかったって、全然かまわない。笑っていてくれたらそれだけでいい。そう考えていたんじゃないだろうか。だったらいいなと思う。

そして、僕が当時の母の表情のことを鮮明に思い出せたように、我が子もいつかの僕の表情のことをずっと覚えているのだろう。ならば僕もたくさん笑っていよう。子が思い出す父の記憶が、いつも温かいものであれるように。


今日も、繰り返し笑う。
そして遠い時間をも超えて、繰り返し笑っていけたらいい。

子の正面に立つ。彼をもう一度笑わせるべく、僕は直前に披露した奇妙な動きをまた繰り返してみせた。

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