川内さん
自転車を漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。
頭上に見えるモノレールの線路は遠くまで真っ直ぐに伸びている。その沿線をなぞるようにママチャリを漕いでいく。一駅、二駅と過ぎ、中心街は次第に近づいていく。「旦過」という駅をすこし過ぎたあたりで右折をし、更にすこし進んだら左手に大きくも小さくもない公園が見えてくる。
自転車から降り、スタンドを上げ、鍵を掛ける。数分歩けばもう繁華街の中に入っていて、馴染みのボーイの前をそそくさと通り過ぎる。右手にギラギラとした無料案内所が見えてくる。その看板に差し掛かったあたりで鋭く左に曲がれば眼前にはお好み焼き屋があり、そこが僕の人生で初めてのバイト先だった。
立地が繁華街の中ということもあって、18時から翌朝4時まで営業しているお店だった。バイトのシフトも18時から4時。仕事が終わった時間にはまだモノレールが動いていないため、僕は一人暮らしのアパートからいつも自転車で通勤していた。
自転車での通勤も、長時間かつナイトタイムの労働も、不思議とつらいとは思わなかった。朝まで働くというのは、消灯時間を過ぎた後にまだこっそり起きているあの感じと似た高揚感があった。夏場はお店を出たくらいから少しずつ空が明るんでいくのだが、それも大好きだった。夜はうるさくて汚く見えたその街が、静かに少しずつ浄化されているように見えたものだ。そんな情景と仕事を終えた後の達成感とじんわりとまぶたに広がる眠気をごちゃ混ぜにして抱えながら、僕は毎朝自転車を漕いで帰った。
そのお店には社員が二人いた。店長と、それからもう一人は「昔はヤンチャしてましたが足を洗った今はひっそりとやっとります」みたいな風貌のおじちゃん。名前は川内さんと言った。角刈りとハチマキがトレードマークで「うるせぇっちゃ」が口癖だった。
川内さんは、その風貌とは裏腹にやさしいおじちゃんだった。仕事も丁寧に教えてくれたし、ミスをしたときは「お前は賢いけぇもうやらんやろ」と励ましてくれた。
いつからだったか僕のプライベートのことも気にかけてくれるようになった。大学で勉強していること、興味関心があること、卒業後のプラン、付き合っていた彼女(現在の妻)のこと。バイトを始めて数年経った頃には、仕事以外のことも真剣に話せる間柄になった。
その頃、仕事終わりの明け方にセブンでお酒を買って乾杯をするのが恒例となっていた。川内さんはビール二本とツマミの地鶏の炭火焼きをぶっきらぼうに買って、店の外で「うい」とそのうちの一本を僕に渡す。停めた原付と自転車に跨って、ちびちびと飲みながらぽつぽつと話をした。缶が空になったら「もう一本いっとく?」とまた入店し、新しいビールを買い足した。
大学生活も中頃、将来のことを考える機会が増えたタイミングだったから、やりたい仕事の話とかもしたように思う。
「卒業したら何すんの」
「何ですかねぇ。新聞社とか?」
「ふーん、それがどのくらいすごいんか分からんけど」
「僕も分かんないです。」
例えば同じ学部の友人や、高校の同級生と話すときの熱量とはまったく異なる、そんなトーンがそこにはあった。肩肘を張らずにいられたのは、川内さんが決してアドバイスや説教などをしないでいてくれたからかもしれない。
お酒が弱い僕だったが、川内さんと飲んでいるときは不思議と3缶くらいまで一緒に飲めた。きっと楽しかったのだと思う。川内さんはその間にも隣で4缶5缶と飲み進め、毎度この辺りから呂律が怪しくなるのだった。
「お前はぁ、絶っっっ対、大丈夫ゃぁ」
川内さんはその舌足らずな危なっかしい喋り方で、いつもいつも僕を励ましてくれた。別に根拠なんてなかっただろう。でもその言葉に、僕はいつもいつも救われていた。
「だといいっすけどねぇ。」
外はすっかりと明るくなっており、始発から動いたモノレールはもう何便も過ぎ去っている。どちらからともなくそろそろ帰ろうと言い、自転車と原付をふらふらと押し進める。大通りまで出てそれぞれの帰路へ分かれるとき、川内さんは「ほんじゃ、また明日」と言った。その背中を見送ってから、僕も自分のアパートの方向へ足を踏み出す。モノレールの沿線をふわふわとなぞるように、自転車を押して、押して、押して帰った。
あれから十数年が経った。
僕は34歳になった。記憶が正しければ、当時の川内さんと同じくらいの年齢のはずだ。身体は変わらず元気で、心の方もまぁ波はあるがおおよそ元気。仕事はといえば、当時やりたかった職業には結局就けなかったものの、思ってもみなかったいくつかの職種を渡り歩きながら、なんとか働くことを続けられている。そんな人生である。
今の人生は、川内さんがしきりに僕にかけてくれていた「大丈夫」という言葉に見合っているだろうか。
そんなおかしなことを時々考える。見合ってるとか見合ってないとか、そういう次元で励ましてくれていたわけじゃないだろうとは分かる。でもあの頃、いま以上に何も持っていなかった自分に対し「大丈夫」と言った川内さんには、どんな未来の情景が浮かんでいたのだろう。今の川内さんに、僕はどのように映るのだろう。気になりはする。
大丈夫と胸を張って言えるほど何か成し遂げられたものがあるわけではないが、大丈夫かどうかを考えたときに真っ先に浮かぶのは妻と子のことだ。三人で暮らすのは、毎日が楽しく幸せで、だからそういう意味では「大丈夫」だと言えるなと思う。
だから、また会えたときには「川内さんが言うとおり、大丈夫になりました。」とそう報告したい。
そして川内さんにも、どうか大丈夫でいてほしいと思う。当時は働き詰めな人だった。今も同じように働きすぎてはいないだろうか。身体を壊したり、病気や怪我はしていないだろうか。心配ではある。
次の一時帰国のときにでも、会って確かめられたらいいな。場所は例のセブン、時間は明け方5時。今度は僕がビールと地鶏の炭火焼きをご馳走します。…なんて、無茶苦茶な再会計画を立てているのは、あの明るくなっていく空と楽しかった時間のことを未だに鮮明に思い出せるからだ。
またいつか。ひとまずそれまでは、どうか大丈夫でいてくださいね。
あの頃の僕を見守らんとするやさしい表情のことを思い出しながら、いま小さく願う。

