海の糸 第7話 昆布は、捨てるところがない
富山・高岡 Craftan・KOMBU HOUSE 竹中志光 2014〜2023年
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幼い頃の記憶の中に、いつも祖父の背中がある。
富山県高岡市はさまざまな伝統工芸が盛んな街で、その一つに、高岡銅器というものがある。400年以上前から鋳物の文化が伝わっている。鋳物というのは金属を溶かして型に流し込んで作品を作る技術だ。
祖父は、そんな技術を駆使した高岡銅器の製造・販売をしている会社を立ち上げ、その伝統を守ってきた。祖父の営む銅器工房で見た、鋳物を磨く音、金属の冷たいにおい、真剣な横顔。
子供だった志光には、その仕事が何のためなのかはわからなかった。ただ、祖父が作ったものが誰かの手に渡り、誰かの暮らしの中に入っていくことを、誇りに思っているのだということは、なんとなくわかった。
父もそうだった。高岡銅器の仕事をしながら、高岡商工会議所の会合に出たり、街の活性化に関わり、高岡のために動いていた。
志光は広島の大学を出て、高岡に戻った。迷わなかった。でも戻ってみると、何かが引っかかり続けた。
自分は、何をするのか。
祖父や父は、高岡銅器と街のために真剣に動いていた。では自分は——。
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転機は、高岡市商工会議所の青年部だった。
産業観光委員会で「食」チームに入ったときに、誰かが言った。「富山って昆布の消費が日本一らしいよ」
志光は、その瞬間まで考えたことがなかった。当たり前すぎて、気づかなかった。子供の頃から昆布締めを食べていた。母が作る昆布締めの刺身が、食卓に当たり前にあった。富山の食卓には、昆布が呼吸するように溶け込んでいた。
その夜、志光は昆布について初めて真剣に調べてみた。
江戸時代から明治にかけて、北海道の昆布を積んだ北前船が富山の港に着いた。昆布は富山に根付き、富山の料理になり、富山の人の体に入った。何百年もかけて積み重なった文化が、今ここにある。なのに、それを主役にした店が見当たらないことに気が付いた。
「昆布締め専門の飲食店って、なぜか富山県にも無いですよね」
富山県の郷土料理の一つである昆布締め。家庭に根付いた文化であるにも関わらず、なぜだろうか?
志光は、不思議に思った。それと同時に、これはチャンスなのでは?と閃いた。
昆布をキッカケに、街の発展のために自分も何かが出来るような気がした。
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Craftanは2017年9月にオープンした。山町筋の土蔵造りの建物。昆布締め専門店。
オープン直前、厨房を任せる予定だった人物から連絡が来た。
「ごめんなさい。やっぱり、来られなくなりました」
志光は、しばらく電話を持ったまま立っていた。
噂を聞きつけた大家さんから提示された選択肢は二つだった。
「出店を諦めて撤退するか、代わりの店長さんを見つけるか。」
「俺がやる!」
志光は、第三の選択肢を選んだ。
昆布締めは、子供の頃から見てきた。母に電話して聞いた。昆布の選び方、締め時間、切り方。母は笑いながら教えてくれた。
翌日から、志光は厨房に立った。母の声を聞きながら、昆布を切った。
この味は、母の台所から来ている。
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その冬は、大雪だった。半年間、客がほとんど来なかった。
普通なら、廃業を考える。でも志光は考えなかった。代わりに、昆布の勉強をした。
だしソムリエの資格を取った。北前船の歴史を図書館で調べた。高岡の昆布問屋を訪ねた。大阪や京都の昆布店を回り、その店主たちの話を聞いた。雪の中で、一人で昆布と向き合った。
魚だけでなく肉や野菜など、さまざまな食材で試作を続けた。食材ごとに、少しずつ仕込み方を変えながら、どのやり方が適しているのか試行錯誤しながら、とことん昆布締めを作り続けた。
お客さんが来なかったおかげで昆布と向き合うことができた半年間は、後から思えば本当に大切で幸せな時間だった。
春が来て、全国放送の人気テレビ番組で紹介されると、全国から客が来るようになった。東京から、大阪から。
「富山って、こんなに昆布の文化があるんですね」
それを聞くたびに、志光は思った。地元の人間が一番知らない。
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Craftanが軌道に乗り始めた頃、志光は香川に行った。
讃岐うどんで有名な三豊市に、「UDON HOUSE」という施設があると聞いた。古民家を改装して、うどんの文化を体験しながら泊まれる。食文化と宿泊が一体になった場所。
着いた瞬間、わかった。
これだ。古い梁、うどんのにおい。地域の食文化が、建物ごと体験できる。
志光は施設の中を歩きながら、頭の中で高岡の金屋町を重ねていた。千本格子の家並み。石畳。北前船が運んだ昆布。
うどんにできるなら、昆布にもできる。
帰りの車の中で、KOMBU HOUSEの骨格を書いた。宿泊、バー、エステ。全部昆布で繋ぐ。食べて、飲んで、肌で感じる。そして泊まる。昆布に一日中、包まれる体験を作る。
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金屋町の古民家を改装する工事は、信頼できる仲間の設計士に依頼した。
いつもは目立たない昆布がここでは主役となり、お客様を楽しませる。
KOMBU BARのカウンターを見ながら、志光は思った。祖父が銅器を作ったように、自分は空間を作っている。
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KOMBU エステは、複数の方に関わっていただいている。
予約が入ればわざわざ石川県から駆けつけてくださる人もいる。
1人のエステティシャンではお客様の希望にこたえきれないと思い、複数体制を組んで行った。
昆布サロンがあることで、「食べるだけじゃないんですね、昆布は」と、よく言われる。
そうなのだ。それを感じてもらいたくてエステも同じ空間で体験できるようにしたのだ。
ベースは昆布足湯だ。足元から昆布の出汁のような優しさで包んでいく。
本格的なトリートメントは、昆布エキスを含むオイルとクリームで全身を包む。
温めながらゆっくり肌になじませると——体が、昆布の海に浮かんでいるみたいな感覚になる。
昆布に包まれる至福の時だ。
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氷見高校の海洋科学科の先生から連絡をもらったのは、開業して半年が過ぎた頃だった。「磯焼けで増えすぎたウニを養殖して商品化するプロジェクトをやっているんですが、餌になるものを探しています」
志光は即答した。「KOMBU HOUSEで使用済みの昆布、使いますか」
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駆除ウニとは、海の中で増えすぎたウニのことだ。ウニは昆布が大好物で、放置すれば昆布の森を食べ尽くす。でも、ちゃんと餌を与えて育てると、身が詰まって商品になる。
KOMBU HOUSEの足湯で使用済みの昆布が、氷見高校のウニの餌になった。使い終わった昆布が、ウニを育て、ウニが商品になる。
昆布は捨てるところがない。
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2023年の7月、パソコンに見知らぬアドレスからメッセージが届いた。
「株式会社昆布文庫・中島葵と申します。KOMBU HOUSEについてお話を聞かせていただけますか」
一週間後、オンラインで繋いだ。
話していくうちに、葵がこう言った。
「自分がちゃんと『物語ごと届ける』という言葉を体現できているか、わからなくなっていたんです」
その言葉が、大雪の半年間の自分に重なった。
「僕も、大雪でゼロになるまで、売れるかどうかで考えていた。でも昆布のことだけを考えるようになったら——昆布が好きだという気持ちと、高岡を誇りに思いたいという気持ちが、全部つながった。思いを形にすることが、初めて本当の意味で売れ始めた気がします」
ミーティングの終わりに、葵が言った。
「KOMBU HOUSEの物語を、昆布文庫で物語ごと扱わせてほしいんです」
「いいですよ」と志光は言った。「ぜひ」
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ミーティングを終えて、志光は金屋町の石畳に出た。
夕暮れの光が、千本格子に斜めに当たっていた。北前船が着いた港は、ここから遠くない。何百年も前に、あの海を昆布が渡ってきた。
志光の次の夢は、昆布ドリンクだった。昆布出汁のベースに、地元の素材を合わせたノンアルコールドリンク。KOMBU BARで試作を重ねていた。「昆布ドリンクで、世界を取る」——冗談みたいな言葉だが、本気だった。
石畳の上を、観光客が歩いていた。スマートフォンで写真を撮っている。千本格子の家並みを、珍しそうに見ている。
志光はKOMBU HOUSEの入口に立って、その光景を見ていた。
この町に、何百年もかけて積み重なったものがある。それを届けることが、自分の仕事だ。祖父が銅器を磨いたように。父がまちのために動いたように。
志光は、扉を開けた。
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