短編小説|過去の自分と話せる黒電話
コーヒーに口をつけたとき、電話が鳴った。昨日、アンティークショップで僕が衝動買いした黒電話だ。オブジェとしてサイドボードに飾っていたから電話線も繋がっていない。でも、ベルが止まない。僕は受話器を取る。
「もしもし」という声がうまく出ない。久々に話したからだ。先月、再就職先も決まらないまま広告会社を辞め、家に籠もる日々が続いていた。限界だったから、仕方ない。受話器から「ぼくですか?」と子どもの声がする。
話を聞くうち、どうやら声の主が僕だと分かった。子どもの頃の僕だ。気を落ちつかせるため、またコーヒーを飲む。「なにのんでるの?」と訊かれた。「コーヒーだよ」と答えると、なにやら僕(子ども)は興奮している。
「のめるようになったの! ぶらっく?」と嬉しそうだ。たしかに子どもの頃、僕はコーヒーを飲む大人を、とても格好良く思っていた。ほとんど神格化していた。あれほど苦いものを平気で飲むとは同じ人間ではない、と。
「君も飲めるようになる」と僕は窓に流れる夜雨を見る。僕(子ども)は、喜んでいた。「もしかして、えかきさんになってる?」と僕が僕に尋ねる。子どもの頃から、僕は絵を描くことが好きだった。言葉に詰まった。
辞めた会社では広告のデザインをしていた。絵を描く仕事だった。けれど、完成したデザインを「これでは金にならない」となじられ、踏みつけられる毎日に、僕は耐えられなかった。「もちろん」と僕は僕に答えた。
同業に就くつもりはなかった。もう絵は描かないつもりだった。でも「もっとじょうずにかけるようになるね!」と僕は言う。「君も絵描きになれる」と僕は再び窓外の夜の雨を見る。ブラックコーヒーに似ている。
ひとしきり喜んだあと「またね」と僕(子ども)は電話を切った。部屋が静かだ。僕はコーヒーを飲み干す。苦い。けれど黒電話の光沢を見て、もう一杯飲みたくなる。目を覚ましたい。今夜、絵を描く仕事を探すために。
いいなと思ったら応援しよう!
牛乳を買って金曜よるに一杯やります。