短編小説|古本の群れが飛ぶ夕空に
古本を道中で見かけると、幼い頃の僕は猛ダッシュした。逃げ惑って飛び去る古本たちの姿を見て、無邪気に喜んだ。大人になった今も電線で休んでいる古本の群れを見ると、その何の役にも立たない遊びを思い出す。
学生時代は、よく大学の図書館のゲージで飼われている古本を借りて読んだ。文学や哲学、社会学や文化人類学など、ジャンルはさまざまである。共通するのは、僕の銀行員としての仕事には、ちっとも役立たないことだ。
銀行は実学の世界だ。僕が親しんできた「虚学」が付け入る隙はない。日計で一円でも合わなければ確認作業は終わらず、月ごとの投資信託の成約件数で評価が決まる。数字に対して、文学や哲学が何の役に立つだろうか。
休みの日も疲れが取れず、僕は読書から遠ざかっていた。九月の中旬、気晴らしに散歩へ出た。涼しい夕風が吹く公園のベンチで休んでいると、餌をもらえると思ったのか、呑気な古本が一冊、二冊と近寄ってくる。
一冊が僕の膝の上に乗った。ミヒャエル・エンデの『モモ』だ。児童文学も昔は読んだ。今は読まない。時間の無駄だ。砂場で遊ぶ子どもを見て、帰って投資信託の販売資料を予習しなくてはいけないことを思い出す。
膝の上の『モモ』の表紙に触れてみる。あったかい。猫は十年生きると化け猫になると言うが、本は十年経つと空を飛ぶ。『モモ』は呼吸をしている。思わず撫でた。気づくと、周りに古本が何十冊も集まっている。
砂場にいた子が駆けて来た。膝から『モモ』が飛び、辺りの古本もいっせいに飛び立つ。数えきれない。羽ばたくページが夕色に透け、秋空を舞う。子どもは大喜びだ。僕は金色にきらめく古本の群れを、ただ見送る。
古本は空を渡り、人から人へ渡る。山も川も時代も越え、子から大人へ。大人から子へ。古本を散らせる遊びが、遠くの誰かの手を温めるのなら、役に立たないことも悪くない。僕は古本の群れに、温まったその手を振った。
人間はひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。
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