短編小説|夜を食べる鍋の店
鍋の具は黒いスープに青く光っている。
「夜鍋」の狭い店内にある年季の入ったカウンター席に、私と笠原くんは横並びで座る。
小鍋とカセットコンロが一組ずつテーブルに置かれた。
中央にあるコの字型のカウンターの内側で、店長の薬師寺さんはひとり店を切り盛りしている。柔和で、仏様の像に似ているから、失礼ながら私はブッさんと呼んでいる。
「夜鍋」は白氷駅を降りて北側の高架下沿いに並ぶ店のひとつで、店名の通り、夜鍋しか出さないニッチでステキなお店だ。
笠原くんのような学生さんにはちょっぴりお高いお店だけれど、今日は私が社会人パワーを振るって奢るから問題ない。
笠原くんは東口商店街にある「花鳥風月」というたい焼き屋のアルバイトで、私が働く白熊文芸堂のお隣さんだ。
「小岩さん、また振られたんですか」と笠原くんは呆れながらも付き合って来てくれたカワイイやつである。
「私の魅力が分からない男ばっかで困るわ。さてさて、いただきます」と私はお玉を夜みたいに黒い鍋のスープに沈める。
「はっきり言いますけど、小岩さんは変な男に引っかかりすぎですよ」
「ちまちま片思いしてる君に言われたくないな」
「片思いかどうか、まだ分からないでしょう」
「その結果を知る勇気が君にあるかね?」
私はカラカラと大人気なく笑う。笠原くんは西口商店街にある弁当屋「水色亭」を営む白井ちゃんが好きなのだ。
お玉で掬ったスープには、星屑がきらめいていた。店内は薄暗いから、手元が青く照らされる。ふうふうと冷まして、器からスープをすする。
黒いスープは、見た目より優しい味わいで、喉から胸の奥まで温まった。星屑は山椒にも似た冴えた風味がする。美味しい。
ブッさんと目が合う。作業をしながら、私たちの食べる姿を眺めていた。微笑む表情はやっぱり仏様のようだ。アルカイック・スマイルである。
私は再びお玉を鍋に差し入れ、鍋の具を掬う。
薄く半月切りにされた月。ふわふわの夜光雲のつみれ。面取りされているオリオン座。花切りされた宵の明星。
どれも丁寧に下ごしらえがされている。「夜なべ」をして子どもを看病する親のような店主の優しさが感じられた。
私はアツアツの半月を口に入れる。大根にも似た食感で、澄んだ甘みと心地よい苦みがある。
アイツにも食べさせてやりたいな、と思う。もともと、アイツの誕生日を祝うために、今日の夜鍋を予約していたのだ。
味わって飲み込むと、目の前の鍋が滲んで見えた。
笠原くんは、何も言わずに私の目元をハンカチで拭ってくれる。
悲しいわけじゃない。振られた相手の幸せを願ってしまう、この半月みたいに甘い自分に腹が立っただけだ。
そうして私は鼻をすすりながら、笠原くんと夜鍋を食べた。
「しんどい夜も、食べて生きる」
ブッさんは誰に言うでもなく呟き、夜鍋のシメを用意してくれる。湯切りをしているから、麺類だろう。
笠原くんのハンカチを奪い取り、私は鼻をかんだ。
「このお店っていつ頃からあります?」と私は歴史を感じる店内を見る。
「紀元前から」と店主はアルカイック・スマイルを見せた。
それぞれの鍋にブッさんがシメの麺を入れてくれる。細長いそれはラーメンでもうどんでもない。
黒いスープに青く輝く、流星群の細麺だ。
箸で持ち上げると、オーロラみたいな湯気が立つ。煮込まれた具材から出た夜の出汁が、透明な麺に染み込んでいる。
すすると、鼻の奥に爽やかな塩の香りが流れる。噛めば、口中でキラリと弾けた。冷たく絡まっていた心がほどけてゆく。
流星群の細麺を食べながら、私は私の幸せを願った。
ついでに、笠原くんの片思い成就も。
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