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住吉大社の狛犬⑤ー海運王が奉納した狛犬ー

東大寺南大門型の狛犬

太鼓橋(反橋)を渡ると、本殿への入口となる神門はすぐそこですが、ここは急がず、もう一度正面の大鳥居まで戻ることにします。住吉大社には、正面参道以外にも境内に入域できる参道がたくさんあります。それぞれの参道の入口には、鳥居と狛犬が設置されています。今回は、正面大鳥居の南北の脇参道のうち、北側の参道入口の狛犬を見てみましょう。

狛犬は鳥居の前に安置されていますが、この鳥居が変わっています。柱が丸ではなく四角いのです。このような鳥居を「住吉鳥居」と呼んでいます。この住吉鳥居の前に、左右ともに口を開けて向かい合って座す狛犬がいます。太鼓橋を渡って本宮に入る手前にも、同じ住吉鳥居があります。

住吉大社東大寺南大門型の狛犬640

私たちは左右一対の像を、どちらも「狛犬」と呼んでいますが、正確には、向かって右の口を開けた阿形が「獅子」、向かって左の口を閉じて角があるのが「狛犬」です。だから、写真のように口を開けて角がないものは「獅子」なのです。実は、この像にはモデルがあります。それは東大寺南大門の石獅子です。この石獅子は、有名な運慶・快慶の仁王像の裏側に、大仏殿に向かって置かれています。

東大寺南大門石獅子結合

この2枚の写真を見比べてみれば、住吉鳥居前の狛犬が、東大寺南大門型の石獅子を模したものだいうことがわかります。

東大寺南大門の石獅子については、東大寺の再建について記した『東大寺造立供養記』の中に次のような記録があります。

  建久七年 中門石獅子 堂内石脇士
   同四天王 宋人字六郎等四人造之。

これによると、南大門の石獅子は、建久七年(1196)に東大寺中門石獅子として、宋人字六郎ら四人によって造立されたものでした。石材も大陸から運ばれたようです。現在のように南大門に置かれるようになったのは、かなり後のことです。

「六世  廣海二三郎」奉納の狛犬

さて、この東大寺南大門型の狛犬はどのような経緯で奉納されたのでしょうか。この狛犬は次の写真のような台座に座して、向かい合っています。

住吉大社東大寺南大門型の狛犬結合台座つき

どちらの台座にも、同じ銘が刻まれていました。

   明治廿九年二月吉日       
   寄附  
   舩主
    五世 廣海二三郎應晴
   昭和十八年二月吉日   
   銅鐵獻納ノ為石彫ヲ以テ再建  
    六世 廣海二三郎應敬

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この銘によると、明治29年(1896)に「五世  廣海二三郎應晴」という人物によって寄附された、おそらく青銅製の狛犬が、第2次大戦時の「銅鐵獻納」の令によって供出を余儀なくされたために、後を継いだ「六世  廣海二三郎應敬」が、昭和18年(1943)に再建して奉納した、ということなのでしょう。

日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本は戦局の悪化にともなって武器生産に必要な金属資源が不足し、それを補うために、「金属類回収令」というものが公布されました。これによって国民は、鍋・釜などの日常生活に必要な道具まで供出させられ、多くの寺院や神社も、梵鐘や銅像など貴重な文化財を失うことになってしまったのです。青銅製の狛犬像や狐像なども、当然供出の対象となりました。「五世  廣海二三郎應晴」なる人物が住吉大社に奉納した青銅製の狛犬も、供出を免れることができなかったのです。

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ところで、この「廣海二三郎」とはどのような人物なのでしょうか。銘文の「五世  廣海二三郎應晴」の前に「舩主」という文字があります。住吉大社は海の神様なので、海運関係の人々がたくさんの灯籠を奉納しています。当然、狛犬を奉納していても不思議ではありません。廣海家について調べると、次のようなことがわかってきました。

海運王 廣海二三郎

廣海家は、江戸時代中期から加賀国で海運業を営む家柄で、特に五世廣海二三郎(1854~1929)は、当時としては新しい蒸気船を購入して大阪に進出し、広海商事を設立した人物でした。さらに海運業だけでなく鉱山経営にも手を広げ、貴族院議員にもなりました。

六世廣海二三郎(1894~1957)は父の死後、昭和4年に家督を継いで広海商事の社長となり、昭和初期の世界的な経済不況の中でも、先祖代々の海運業を堅実に守り、さらに所有船舶の充実を図りました。このように、廣海家は代々海運に関わった家柄で、海の神である住吉大神を信奉していたのです。狛犬を奉納したというのも納得できますね。

ところで、二代にわたって「廣海二三郎」氏は住吉大社に狛犬を奉納した訳ですが、残っているのは「六世  廣海二三郎」の狛犬だけです。それでは「五世  廣海二三郎」が明治29年に奉納した青銅狛犬とは、どのようなものだったのでしょう。

「五世  廣海二三郎」奉納の狛犬

私の手元に、8枚組の住吉大社の古絵葉書があります。大阪市浪速区にあった細谷真美館というところが発行したもので、8枚組の絵葉書のケースには、「大阪・細谷真美館納・大連」と書かれています。大連にこの写真館の出張所があったのは第2次大戦前のことなので、この絵葉書は戦争が終結する前の数年間に撮影されたものだと思われます。

住吉大社絵葉書ケース

この8枚のうちの1枚は本宮の絵葉書です。住吉大社の本宮は第一本宮から第四本宮まであって、第一本宮はいちばん奥にあります。

住吉大社絵葉書本宮

現在、どの本宮の前にも狛犬は置かれていませんが、この絵葉書のいちばん奥の第一本宮の前には狛犬がいます。虫めがねで見ないとわからないほど小さいですが、東大寺南大門型の狛犬のように見えます。しかし、これでは心もとないので、ネットで検索してみると、次のような絵葉書を見つけました。

住吉大社第一本宮・古絵はがき

はっきりと狛犬が写っています。正面を向いて座す開口の東大寺南大門型の狛犬です。狛犬のすぐ下の第一台座が、石ではなく青銅製に見えるので、本体も間違いなく青銅製でしょう。これこそ明治29年(1896)に「五世  廣海二三郎應晴」が寄付したという狛犬に間違いなさそうです。

江戸時代には、本宮の前には狛犬がいなかったのでしょうか。どうして第一本宮の前にだけ、明治の狛犬が置かれていたのか、不思議な気がします。この青銅狛犬が奉納された明治29年(1896)は、日本が日清戦争に勝利した翌年で、国威高揚の気運の中でこのような護国系の勇ましい狛犬を本宮前に安置することがふさわしいと考えらえたのかもしれません。しかし残念なことに、この青銅狛犬は奉納から半世紀を待たずに供出の運命にあってしまいました。その後、「六世  廣海二三郎應敬」氏が同型の石造狛犬を奉納し、先代の台座をそのまま利用して境内西側の鳥居前に安置することになったのでしょう。場所を移動した理由については明らかではありません。


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