23)一時行方不明にになっていたおじいちゃんがそのあとお父さんに再会したときの記憶
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おじいちゃんからみたおじいちゃんのお父さんの印象や性質などについて書いています
おじいちゃんが五歳くらいの時にお父さんのことを最初に印象づけたことが書かれています。
おじいちゃんが預けられていた叔父さんの奥さんは生母ぬいとそして新しい母となるかつゑ母さんのお姉さんだということがわかります。ちなみに他のページで書かれて居ますが、叔母さんは後妻さんで、政助さんの最初の奥さんも生母ぬいさんと育てのお母さんかつえ母のお姉さんだということがわかりました。
本家も酒造、おじいちゃんの実家にあたる本家も酒造、兄弟も酒造、お父さんも大谷村で酒造をやって居ましたが(お父さんはすぐに辞めた)、そういうわけで親戚縁者みんなこのあたりで酒造業をして居たようですが、今は一軒でした。リンクを後ろに貼っておきます。
父の若い頃は祖父は強概であったから酒造労務者と一緒に肉体的に働かされたものらしいが父は四斗俵が上がらなかったそうだし又幼いときは女の子の様に温順な静かな子供であったらしい。成人してからも神経質で気むつかし屋でそれで小理屈を云って内気な質であった様だ。つまり豪放磊落の反対の方だ。それだけきちんとした几帳面な言責を重んずる真正面な人であった様だ。口も重く交際も下手な方であったようだ。それらの点は小生はすっかり父の気質を享けているらしいこと前に記せる通りである。
自分が父というものに就いて記憶の最初は五、六歳のことだ。六才より小学校に上がったのだが、そのやや前ごろであった郎と思うが自分の弟と母だと云って富十郎の家で初めて引き合わせて二郎さんを抱いたかつゑ母にあった記憶がはっきりとしている。その時に父はかつゑ母及び弟を伴って長い旅行的な異郷の生活から郷里に帰りてきたものらしい。その時に父に引き合わされた記憶はないがその後斎十氏の裏側の木下立安氏宅を借りて父は住んだ。その住居で父がかつゑ母にを一夜大に叱ったことがありて怖かったことがあるが父に対する自分の記憶の最初である。それまで自分が父やかつゑ母とはいつからだかわからぬが暫く同居して居なかったのだ。
自分の母は自分を生んで程なく死んだ後自分は祖母や政助夫妻(お父さんの一番うえのお兄さん)政助の妻ウメは生母ぬいの2番目の姉に当たる)の家にひき取られて生活を受けたが、その後乳母ができてからは父の下にに帰ったらしい。父は当時は大谷で酒造業をやっていたがその方もうまくいかなかったりして後妻をもらうとあちこち骨を折ったが思う様にも運ばず結局

令和の時代にもかつらぎ町で営業されている酒造屋さん。
