神様からのボーナス来た?
ひとつ前の記事で財布を落としたと思ったら勘違いだった話を書きました。
その時の話は散々つらつら書いておいて勘違いだったというちょっとしょっぱい話となりましたが、思いがけず色んな自分が垣間見えたよ、という事を書きました。
ざっくりまとめると、
■数日前鍵を拾って届けた
■鍵を拾っておきながら自分は財布を落としてた
■色々逡巡し自分は寄付をしたのだと、徳を積んだのだと納得
■そうしたら財布が見つかった
■これは神様からのテストだったのかもと妄想→「寄付したと思えたのですね?それでは次のステージにお進み下さい」的な
■結果財布は見つかったのだけど、落としても大丈夫なんだ私と自分に安心感抱いて平和に着地
こんなことを書きました。
投稿した後でもう一度読み返そうとしていると電話が鳴りました。
実家の母からでした。その用件とは、「3万円あげるよ。」とのこと!!
事の詳細はこうだ。テレビで最近金の価格が高騰しているから、自宅に眠っている貴金属を買取店へ持って行くと結構な金額になる、というのを見てその気になり、昔買ったジュエリーなどを持ち込むと20万位になり、臨時収入が入ったから友香にも3万位あげると。
ざっとこんな内容でした。
「かっ、神様からのボーナス!?」咄嗟にそう思いました。
だって、タイミングがタイミングすぎやしないか!?
鍵を拾って届けたあたりからきっとストーリーは始まっていて、財布を落としたと思った時もこれは寄付したのだと思えて、結果見つかったのだけど「あぁ、あれは神様からのテストだったのかもな。だとしたら、合格だ!」そう思った話を書いて読み返していたら3万円くれるだなんて!?
そんな出来すぎた話、ある?笑
そしてこういう時、少し前の私ならいいよいいよ!と突っぱねていました。親も年だし、貯めておきなよ、とつい思ってしまっていたのです。でも最近、地下鉄などで若者がお年寄りに席を譲っている場面で、「次で降りるのでいいですよ。」と断られているのを見ると、せっかく差し出された優しさが、宙ぶらりんになってしまって行き場を失い、あぁ、あの優しさのエネルギー、どこへ行っちゃうのかな?と思ってしまうのです。
きっと勇気を出して言ったかもしれないのに、受け取ってもらえない経験をしてしまうと、もう次は同じ場面でも、寝たふりしてしまうんじゃないか…自分もおばあちゃんになったらどう感じるかは、なってみないとわからないけれど、私はおばあちゃんになったら、「ありがとう。有り難く座らせていただきます。」って、言ってみたいなと。別に次の駅で降りたからと言って、そもそも譲ってくれるような優しい人なのだから、「次で降りるんかーい!」とは思わないだろうなと、思うのです 笑
そして優しさを受け取ってもらえた経験をした人は、次も、きっとその次も、優しさを差し出し続けて、幸せになる人が1人、また1人と続いていくんじゃ…
だからつまり、差し出された優しさは、身を削って無理してるな、というのが見えてない限り有り難く受け取ろう。そう思い始めています。
今回なんてまさに棚ぼたな収入です。身を削っていないのは確か 笑 だから、「ありがとう。」あっさり頂くことにしました。
そしていつか、いよいよ親も助けが必要になった時に、返せばいい。そうして循環させていく方が、自然でいいなと思ったのです。
返す相手も直接親でなくとも、余裕が出た分全然関係ない人でもいいのかもしれない。芸人の先輩が後輩に奢って、返さなくていいから、売れたら後輩に奢ってやれ。って言うあの感覚に近いのかもしれません 笑
私は売れてる芸人でも何でもありませんが、そんなことをつらつらと、思いました。
