[キャリアの葛藤]肩書き依存とその苦しみ-命まで手放しかけた20代とキャリアの果て
がむしゃらに掴もうとしたキャリアと葛藤
20代の私は、ずっと“燃やし尽くすように”生きていた。
夢、目標、キャリア、海外、自己実現……。
誰かに誇れるような「肩書き」を手にすること。
それが、自分の存在価値を証明する手段だと思い込んでいた。
何かを達成しなければ。
何かを掴まなければ。
そうでなければ、自分には価値がない。
本気で、そう信じていた。
「自分の力で生きていけるキャリアを築く」
「魅力的な仕事を確実に手にする人生を創る」
「20代で年収1000万円を達成する」
これが、大学時代の私が自分に課した目標だった。
いつからそう思うようになったのかは、はっきりとはわからない。
それまでの人生が、どこか不完全燃焼だったからか。心の奥で渦巻いていた焦りからか。
大学入学前に、情熱を注ぐものを見失った虚しさへの腹いせだったのか。
あるいは、誰かを見返したかったのかもしれない。
今でも、なぜあの刹那にこの目標を立てたのか、確かな理由はわからない。
ただ、キャリアを積み、お金を稼ぎ、自分の望む場所や国で自由に生きる。
それが、私の20代を貫いていた“光”だった。
そんな想いを胸に、私は歩き始めた。
周囲が大学3年生で就職活動に奔走していたころ、私は焦燥に駆られていた。
同級生たちが、一斉に“社会”という名の大海に投げ込まれる。何万人、いや何十万もの若者が、一斉に。
そんな中で、「その他大勢に埋もれないためには、どうすればいいか」と、必死で考えていた。私は埋もれたくなかった。鳥肌が立つほど、それだけは避けたかった。

世界を駆け巡り突き動かされた日々
必要なのは、経歴と特別な経験による差別化。
そして、自分の人生を隅から隅まで自分の思いのまま描き、”生きている”という実感。
それを、私は強烈に欲していた。
まず、私はスウェーデンに留学した。英語での学科コースの単位を取得し、“他とは違う自分”をつくろうとした。
けれど、それでも足りなかった。
いわゆる「リクルートスーツ」での、均一化された就職活動。私は、全身でそれを拒絶した。
あの型にはまった形式に従えば、自分が消えてしまうと本能的に感じていた。
自分の人生を自分の選択肢で、自分らしく、掴み、選びとり、享受することが人生の目的だと思うのだ。
それなのに、まるで制服のような黒スーツを着た学生たちが街にあふれる光景。同じ格好で、同じような志望動機を並べ、同じような表情で面接を受ける彼らを見て、私の胸はざわめいた。
わたしの「ジブンの人生」は一体どこにあるのだろうか?
全身が、髪の一本まで、いや、呼吸する息までもが、その就活の空気を吸い込むことを拒絶していた。
このままでは、私は埋もれてしまう。
そう確信した私は、スウェーデン留学から帰国後、「リクルートスーツ」での就職活動から逃れるように、修士課程への進学を決めた。
専門性を武器にするためだった。
行き先はイギリス。
当時のイギリスには、EUから多くの若者が集まり、活気に満ちていた。スウェーデンからの移住者も多く、空気は希望で満ちていた。
「次に行くなら絶対にイギリスだ」
そう強く思った。
アメリカではなくイギリスを選んだのは、「たった1年で修士号が取れる」というスピード感にも惹かれたからだ。

未来のチャンスと思いを握りしめて
修士課程の1年間は、人生でいちばん短くて、いちばん濃い時間だった。
卒業論文のために、企業リサーチに明け暮れた2ヶ月間は、毎日16時間以上、机に向かっていた。ドイツまでフィールドワークにも出かけて、腕が動かなくなるほどペンを走らせた。目を瞬くのも惜しいくらい、パソコンにデータを撃ち込み続けた。
その一方で、就職活動も並行していた。100社近くに応募し、面接を受け続けた。「絶対に、ヨーロッパで仕事を見つける」――その執念だけが、自分を前へ前へと突き動かしていた。
焦り、根拠のない自信、不安……いろんな感情が、毎日の中でぶつかり合っていた。
だけど、私は何度も自分に言い聞かせた。「わたしは、大丈夫」と。
そんなある日、運命がそっと動いた。
大学の廊下ですれ違った同級生から、米系企業が人材を探しているという話を聞いた。
それまで溜め込んできた想いが、一気に爆発したのだと思う。話が舞い込んでから、あっという間に内定を手にしていた。
勤務地は、オランダの田舎町。地図で探さなければわからないような、小さくて、静かな町だった。
私はイギリスでの生活を、大きなスーツケースにぎゅっと詰め込んで、バックパックを背負い、ユーロスターに乗って、一人でオランダへ向かった。
何度電車を乗り継いだか覚えていない。期待と不安が入り混じった気持ちを、胸の奥に押し込めながら、その町の駅に降り立った。
小さな町の寂しげな秋の夕暮れの空の色、ひんやりとした風が頬をかすめた感覚――そのすべてを、私は今でもはっきりと覚えている。
新天地の匂いが、少しだけ漂っていた。

静寂の中で消えゆく情熱の炎
最初はとっても刺激的だった。人生初の、本格的な仕事。
アメリカ人、インド人、フランス人、オランダ人。国際色豊かな職場で、いろんなバックグラウンドの同僚たちに囲まれた環境。
けれど、次第にわたしのなかに、“違和感”が芽生え始めた。心の奥から、小さな声が少しずつ、確かに、囁きかけてきた。
「何か、ちがう…」
その声は、だんだんと大きくなっていった。
オランダらしい自転車での通勤、小さな町の静かなパブ、6時には閉まる店、そして、何もない夜。
家族もいない、友達もいない。学校を卒業したばかりの、ひとり身の20代外国人には、思った以上にこたえた。
「ここで数年過ごしたあと、次はどうすればいいのだろう。これでいいのか?」
「ビザ、言語、将来の家、資産形成。すべてを、このオランダという国で築いていくのか?」
ロンドンで夢見た「金融 × 都会 × キャリアウーマン」の姿とのギャップが、どんどん心を締め付けた。

時に焦りの感情は、行動というエネルギーに変えるには好都合だ。闘志を燃やし、体が熱くなる。
一方で孤独感はどうしようもなく襲ってくる冷気が、情熱と闘志を見事に消してしまう。
あの頃、わたしが夢見ていたのは、ロンドンのビジネス街で、ヒールで颯爽と歩く自分。洗練されたオフィスでキャリアを築く未来だった。
そこには、無限の可能性が広がっていると思っていた。
だけど、目の前にあったのは、自転車通勤、田舎のパブ、そして早々に灯りが消える夜。
「私は、この小さな町で何をしているのだろう...…」
イギリスでの求職中の焦りよりも、この街での孤独感がよっぽど身に染みた。
気づけば、わたしはヘッドハンターに東京やロンドンの案件を必死に問い合わせる電話をかけ続けていた。
この静寂から、どうしても抜け出したかった。
体中が、こころが、冷え込んでいくのを、ひしひしと感じていた。
はやく、この静寂から逃れたかった。
焦りと絶望に追い詰められ、東京やロンドンのヘッドハンターに連絡を取り続けた。

連絡をとるたびに、手がかすかに震えていた。
いま振り返ると、わたしは「大都会 × キャリアウーマン」という幻想に取り憑かれていたのかもしれない。
けれど、もうひとつ、どうしても受け入れられなかった現実があった。
それは、「仕事のためだけに、住む場所を選ぶ」という生き方。
わがままかもしれない。でも、わたしは、住む場所も、仕事も、自分の意志で選びたかった。
仕事があるからその国を選ぶのではなく、「行きたい国で、やりたい仕事をする」その選択を、自分の手で掴み取りたかった。
そして、ようやく得たのが、ある日系IT企業が東京に立ち上げる新オフィスの“代表”というポジションだった。
東京の一等地。華やかな肩書き。十分すぎる条件。
迷いはなかった。
わたしは、オランダを後にした。
やっと春がきた。あたたかなひだまりを、久しぶりに感じた気がした。

誰とも話さない日々――削られていく心
けれど――待っていたのは、ここでも“静寂”という名の孤独だった。
すぐに気づいた。華やかだったのは、肩書きだけだった。
実態は、東京の小さなオフィスで、朝から晩まで、たったひとりで業務をこなす毎日。
取引先を訪問する以外、誰とも言葉を交わさない。静まり返った部屋で、黙々とPCに向かい続ける。
ロンドン本社とのやりとりは、時差の関係で、日本時間の夕方になってようやく、ほんの少しだけ。
日中は、ずっと無言。悩んでも、アイデアが浮かんでも、誰にも言えない。誰にも頼れない。
孤独って、こういうことかもしれない。
ただ椅子に座っているだけで、心が、すこしずつ削られていった。

帰宅しても、誰もいない部屋。音がないのに、部屋の静けさが妙にうるさく感じられた。
翌朝もまた、誰とも言葉を交わさないまま、一日が始まる。
オランダの片田舎よりも、東京の方が、孤独感ははるかに深かった。
なぜなら、何千倍も巨大なこの街は、人と、欲望と、お金が渦巻いているのに、
その中で、物理的に「たったひとり」であるという現実だけが、際立っていくからだった。
1ヶ月目――なんとか、自分を保った。
2ヶ月目――身体に異変が現れ始めた。眠れなくなった。
3ヶ月目――ついに、出社できなくなった。
当時は、リモートワークも一般的ではなかった。
たとえできたとしても、結局、わたしは、どこにいてもひとりだった。
このままでは、自分を保てない。
気分はどんどん沈んでいき、眠れない日々が続いた。
焦れば焦るほど、夜のとばりは重くのしかかり、
全身が、鉛のように重くなって、息をすることさえ、つらくなっていった。

眠れない夜。迫る衝動。
頭の中が、ぐるぐると、同じ思考を巡っていた。
「オランダに留まるべきだったのか」
「決断を早まったのか」
「そもそもヨーロッパで仕事をしたかったのに、どうしてわたしは東京に戻ってきたのか」
「オランダを好きになれなかったという、それだけの理由で……」
後悔が、嫌悪感が、じわじわと心を覆っていく。
気づけば、わたしは、もう、昔のわたしではなかった。
「ベランダが怖い」――と思った朝
そして、ある朝だった。
突然、ベランダに出るのが怖くなった。
頭も、体も、五感のすべてが、どこかおかしくなっていた。
ガラス戸に手を伸ばしただけで、指先が冷えて、感覚が薄れていく気がした。
もし出たら、出たら―――飛び降りてしまいそうだった。
あの恐怖は、人生で初めてのものだった。
生きているのに、生きていないような感覚。生きることから逃れたいという衝動。でも逃げないようにする理性。
その間に挟まれて、私は、更に深く疲弊していった。
だから、備え付けの物干し掛けの両端を、タップ縄でぐるぐる巻きにした。
「ここから先は危ない」――自分自身への境界線だった。

当時の部屋は13階。
飛んだら、一瞬であの世だろう。
それ以来、私は10階より上の階に住むことができなくなった。
「もし飛んでも生き延びられる階」が、私の“安全基準”になっていた。
誰にも責められていないのに、私は、ずっと自分を責め続けていた。
頑張って修士号まで取った。名のある大学も出た。
なのに、現実は、キラキラとは程遠い。年収1000万どころか、自分の価値が1円にもならないように感じていた。
そして、押し寄せる強烈な孤独感。
それ以上に、「何もなしえていない自分」への深い失望と挫折感。
それらは波のように、絶え間なく私を襲った。
しかも、その波は朝になっても引くことはなく、さらに強くなっていく。
窓の外に見える朝焼けが、紫色に見えた。
まだ生きているのか。うつろな頭で、心臓の激しい鼓動を押し殺していた。
日に日に、その鼓動が速くなるたびに、ベランダに誘う“見えない手”が、私を強く引っ張っているように感じた。
心臓の鼓動も、脈も、もう感じたくなかった。
完全に、自分を見失っていた。
何をしているのか、何のために生きているのか、まったくわからなかった。
今思えば、失ったのは「自分」ではなく、「目標」だったのかもしれない。
そして、描いていた未来に届かない自分への、深い絶望――
それが、私のすべてを飲み込んでいた。

「もう無理」――人生で初めて口にした、あきらめの言葉と直球の「凶」
限界だった。
ある日、震える手で、母に電話をかけた。
「もう無理。迎えに来て……」
人生で初めて口にした、「あきらめ」の言葉だった。
わずか3ヶ月で辞表を出し、実家へ戻る決断をくだした。
完全に、敗北したと思った。
自分に、街に、孤独に、そして“キャリア”に――人生で初めての敗北だった。
「就職浪人」「落ちこぼれ」「誰にも必要とされない自分」――そんな言葉ばかりが頭を巡っていた。
両親が迎えに来るまでの数日間、私はただ、バルコニーへの衝動を必死で抑えていた。
ほとんど眠れない日が続いた。
音がないと、また暗い思考に引きずり込まれそうで。
バルコニーに向かうか、それに匹敵する行動を取ってしまいそうな自分が怖くて。
毎晩、テレビをつけっぱなしにして、ベッドに入ったのを覚えている。
気づけば、修士課程を修了してから、もうすぐ1年が経とうとしていた。
心も体も、すっかり疲れ果てていた私を見て、両親は言葉を失っていた。
でも――ただ一言、母が言った。
「一緒に帰ろう」
その言葉は、あの暗闇のなかで、差し込んだ一筋の光だった。
実家に戻る途中、なぜか浅草寺に立ち寄った。
たまたま引いたおみくじは、「凶」。
目を疑った。そんなの、引いたことがない。
でも、あの「凶」は、まさに今の自分そのものだった。
あの時が、人生のどん底だった。
神様が、そのまま答えを突きつけてきたような気がした。
「今のあなたはこれだよ」って。
「まずは現実を、ちゃんと受け止めなさい」って。
実家に戻った私は、どう生きていけばいいのかわからないまま、毎日、自分を責め続けていた。
「なんであの時、東京に戻ったの?」「どうして何ひとつ成し遂げられなかったの?」
そんな問いが、一日中、頭の中でループしていた。
自分を責めることにすら、もう疲れていた。
ただ、息をしているだけの自分に、存在の意味を見出せなくなっていた。

母への怒りから目覚めと再生
そして、ある日。
母との間で感情が爆発した。
「あなたのせいだ!」
「あなたが勝手にレールを敷いた!私の人生を台無しにした!」
心の奥に溜め込んでいた怒りがあふれ出して、私はまた、眠れなくなった。
心療内科に通い始め、薬を処方され、カウンセリングも勧められた。
初回のセッションで、私は初めて、本当の気持ちを言葉にした。
ずっとしまい込んでいた思い――
キャリアを築くという幻想に押し潰されて、どうやってその幻想と現実を扱えばいいのか、わからなかったのだと。
「次回は、その話をもう少し深めてみましょう」
カウンセラーにそう言われて、私は頷いた。
でも、家に帰ってからふと、疑問が湧いた。
なぜ、過去を掘り返す必要があるのだろう?
過去を見つめ直しても、前には進めないのではないか?
その瞬間、すべてが茶番のように思えた。

そして――目が覚めた。
「これは、ただの甘えだ」
「人生なんて、たいしたこと起きない。だったら、自分を信じてやるしかない」
そう気づいた時、ようやく心の底から声が湧き上がった。
「もう、立ち上がるしかない」
今この瞬間を変えなければ、何も変わらない。
自分の手で、再びキャリアを切り開くしかない。
この数ヶ月の苦しみを経て、自分がいかに弱く、甘え、幻想に踊らされていたか。
その幻想と現実のギャップにいかに打ちのめされていたのか、私は心底、痛感した。

私は、再び履歴書を書き始めた。
浅草寺で「凶」を引いてから、わずか3週間後のことだった。
専門性を活かせる職種を選び、ヘッドハンターにも連絡した。
そして数ヶ月後。ある企業からオファーをもらい、私はようやく、本当の意味で”キャリアのスタートライン”に立つことができた。
皮肉にも、新しく入社した会社のオフィスは――
かつて自殺願望を抱えながら働いていた「孤独のオフィス」の、すぐ隣のビルだった。
新しい職場の窓から、以前働いていたビルが見えた。
「もう大丈夫だよ」
あの時の自分にそう声をかけたくなるくらい、心の風景は変わっていた。
窓の外の景色を見つめながら、私は静かに、新たな一歩を踏み出した。
そして――
1年8ヶ月後、その仕事でロンドンに戻ることになるとは、当時の私は想像すらしていなかった。

闇の向こうに見えた光――人生を掴む「変換コード」
絶望は、終わりではなかった。
自分ではどうにもならないような出来事も、
逃げずに真正面から向き合ってみると、
「どう受け止め、どう扱えばいいのか」
その答えを、自分の内側に見つけることができるのだと知った。
人生、何が起こるかわからない。
でも、人生は、いつだってやり直せる。
大切なのは、「切り替える力」。
流されない強さ。立ち止まって、自分の内側と向き合う勇気。
それこそが、心の中に持つべき”変換コード”なのだと思う。
私にとっては、あの深い絶望こそが、今の私の強さと人生の指針となり、人生を生き直すための”変換コード”の原点だった。
そして今、20代のあなたに伝えたいことがある。

暗闇を抜けたその先で――20代のあなたへ。そして迷いの中のあなたに。
今思えば、あの頃の私は──
「華やかな肩書き」や「完璧な人生ストーリー」という幻想に恋をしていた。
でもそれは、自分の内側から湧き出るものではなかった。
ただ、外から見た“正解”をなぞっていただけだった。
誰かに誇れるキャリアを歩むことで、自分の価値を証明しようとしていたんだと思う。
けれど、そんな外側の価値観で積み上げたキャリアは、いつか必ず、限界を迎える。
心が、体が、静かに、けれど確かに、悲鳴を上げる瞬間が来る。
理想のキャリアを描くことは、悪いことじゃない。夢を持つこと、努力すること、それ自体は尊いことだから。
でも──
それを追いかけるあまり、自分の心を置き去りにして自分自身を見失ってしまうのなら、どうか、一度立ち止まってみてほしい。
「今の私は、心から笑えているだろうか?」
「その目標は、本当に、自分の内側から湧き出た声だろうか?」
社会が言う“成功”に、無理に心を合わせる必要なんてない。
静かに、自分の声に耳を澄ませてあげて。その声こそが、あなたの未来を導く光になるから。
そこにこそ、あなただけの輝きの源流があるから。
もし、今、道に迷っているなら──
もし、自分を見失いそうになっているなら──
立ち止まる勇気を持ってほしい。
一度立ち止まっても、何も終わらない。
むしろ、そこから始まるのが「本当のあなたの人生」なのだと、私は信じている。
あなたの中にも、必ずある。
暗闇を抜けたその先で見つかる、“あなただけの変換コード”。

それは、絶望の中でしか芽吹かない、世界でたった一つの人生の羅針盤。
どうか、信じてあげてほしい。その手の中に、すでに光の種があることを。
そしていつか、あなたもその種を育てて、誰かの光になれる日が来ることを──。

ここまでこの長い記事をお読みいただきありがとうございます。あなたの人生に少しでも明るい希望の光を届けられることを願っています。
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