百字詰めの原稿用紙から生命力がほとばしる。いい文章は心ではなく、身体に響く?
気になるnoteクリエイターに、國學院大學メディアnote編集部が「お話を聞いてみた企画」。今回は、書家、茶人として活動するほか、読書の普及活動や福祉事業にも取り組むKODOさんです。
その経歴もさることながら、 noteの記事もじつに多彩。書評、随筆、つぶやき……と、独自のスタイルを貫いています。また、百字詰めの原稿用紙に直筆でしたためた「百字の物語」も積極的に投稿中。〝身体を使った〟手書きの文章には、読者をひきつける生命力が息づいています。
■書き手の世界観は、文章の「型」に表れる
——noteの投稿は、2019年から続いていますね。
昔から呼吸するように文章を書いてきたので、noteに投稿を始めたのも自然のなりゆきでした。数あるSNSのなかからnoteを選んだのは、余計な装飾がなくシンプルなデザインだったから。文章の読みやすさを重視しているように感じました。
「#日記」とか「#ロゴ」とか、タグに沿ったテーマで書くのも楽しいし、そのタグをもとにどのような記事が求められているのかを分析するのも好きです。
——noteと文藝春秋が開催した「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2023」のグランプリを受賞されましたね。受賞作の「僕らはひたすら草を土に置く」は、「#未来のためにできること」というコンテスト用のタグが付されていました。
あの記事は、私が代表を務めている一般社団法人「ノーマポート」での経験がベースになっています。農業と福祉の連携「農福連携」を企業とともに進める団体で私自身も日々、農作業に励んでいます。そこで取り入れている「草マルチ敷き」という作業をSDGsにからめました。
草マルチ敷きは刈り取った草を畑の上に置いていく作業で、害虫予防や畑の保水などに効果があるとされています。
——受賞後の反響はいかがでしたか?
記事の読者よりも、知人や友人からの反響が大きかったです。懐かしい知人から「記事、読んだよ」と連絡もいただきました。商業出版の機会も得て、受賞前後で状況がガラリと変わった印象です。
——受賞後に投稿された「【23年度グランプリ受賞者がこっそり教える】文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024を書くにあたってのポイント」も衝撃でした。受賞するためのノウハウが出し惜しみすることなく綴られていますね。
ほかの方の投稿を見ていると、ああいったノウハウ系の記事は有料であることが多いんですよ。でも、それだとちょっとつまらない。エッセイコンテストの参加者がもっと増えてほしかったので、無料で公開することにしました。
私のなかでは実験的な記事でもあり、タイトルも読者の興味を引くような言葉を選びました。その狙いどおり、閲覧数は上々。「あぁ、みんなこういうのが好きなんだ」と、思わず感心してしまいました(笑)。
——その記事のなかに、2022年グランプリ受賞者のタケチヒロミさんの文章を参考にしたとありますね。
過去の受賞作を研究して、タイトルの付け方や章立てを考えました。このときに限らず、私は普段から書き手の文章の「型」を意識して読んでいます。私のnoteの記事は、作家・立原正秋(*1)の文章をモデルにしています。立原正秋は官能的な描写がとにかく上手くて、随筆なんかはちょっと鼻につく文体(笑)。それでもぐいぐい引き込まれてしまうんです。
文章を模倣するスタイルは、編集工学者であり、イシス編集学校校長でもある松岡正剛(*2)の影響です。文章の優劣にとらわれずに、読んだ文章をとにかく模倣してみる。すると、書き手の世界観が徐々に見えてきて、思考が広がっていきます。
松岡校長も「型」を重視されていましたが、茶道も徹底的に「型」を稽古します。茶道の場合はわかりやすくて、千利休の型を絶えず稽古していくことで、ふとした瞬間に千利休の境地を体験できるといった考えなんです。もちろん、すぐに悟りの境涯からは醒めてしまうのですが(笑)。そのように一度心が沸騰すると、次から沸騰しやすくなります。

——文章を書くことがアウトプットとするなら、アイデアはどこからインプットしているのでしょうか?
日常生活のなかで、インスピレーションを得ることが多いです。たとえば、今はインタビュー中ですが、意識の1%くらいは窓の外の世界に〝浮気〟しています。「今日は天気がいいな」とか「木々が青々としているな」とか。
文章を書くときは、できるだけ精神的なものを排除して 「身」の移ろいを投影するように心がけています。
江戸時代はこの「身」の美しさが重視されていました。国字(日本でつくられた漢字)である「躾」という漢字にも「身だけ美しければよし」という意味合いがあります。
■活字にはない、手書きならではの生命力
——マガジンの1つである「百字の物語」や会員向けの「百字の贈り物」など、手書きの文章を掲載するようになったきっかけを教えてください。
あるとき、文具店で百字詰めの原稿用紙を見つけたんです。興味を惹かれて購入し、短い物語をしたためてみました。妻がそれを気に入ったようで、額装して部屋に飾ってくれたんです。こうした手書き文章を求めている読者もいるのではないか、と思い発信するようになりました。

——「百字の物語」でとくに思い入れのある記事はありますか?
やっぱり「百の百字の物語」ですかね。タイトルの通り、「百字の物語」を百篇まとめた記事です。制作するにあたって物語を厳選し、掲載順も熟考に熟考を重ねました。
じつをいうと、この記事にもモデルがあるんです。それが、作家・稲垣足穂の処女作『一千一秒物語』。この名著について、稲垣足穂はのちに「私の作品はすべて『一千一秒物語』の注釈である」と語っているんです。つまり、『一千一秒物語』に書きたいことのすべてが詰まっている、と。だから「百の百字の物語」は私の集大成のようなものなんです。ただ、気合を入れてつくったわりには「スキ」数は芳しくなかったですけどね(笑)。
——ある記事で「文字は活字にした途端、生命を失う」と書いています。これは逆に「手書きの文字には生命力がある」ともとれます。
そうですね、書道にたとえるとわかりやすいかもしれません。書道って楷書体、行書体くらいなら一般の方も読めるんですが、草書体あたりになると怪しくなってくる。「崩し」や「省略」が大胆になればなるほど、プロでも解読が難しくなります。
私の師であった野尻泰煌(のじり・たいこう)の揮毫は異様に速くて、弟子が紙を取り換えるのが間に合わないほどでした。そこに思考が入る隙はありません。自身の「身体性」に身をゆだねていて、まるで字があるべき姿となって表れているようでした。もはや「こう書いた」ではなく「こう書けちゃった」と表した方が適切かもしれません。だから、師匠に言わせると「思いを込めて字を書く、なんてありえない」そうです(笑)。
なかには読めない字もあるんですが、それでもお構いなし。こうして身体を使って書いた字は、生命力があふれ、生き生きとして見えてくるんです。一方の「活字」は〝身体を使って書く〟という大切なプロセスが抜け落ちています。良くも悪くもポンポンと大量生産されるので、生命力が宿らない。
——同じ記事で「文字は横書きにした途端、呼吸を失う」とも書いていますね。
日本語の歴史は、もともと縦書きからスタートしました。言葉がその形式のもとで発展してきた以上、日本語は本来、縦書きの「呼吸」 と調和するものだと考えています。私のような昭和生まれは、まだ縦書きを読んでいるときのほうが、自然と呼吸が深くなる。「古池や 蛙とびこむ 水の音」と横書きで書かれても、まったく水の音が伝わってこないです(笑)。
もちろん、横書きにも利点があり、使われる理由も理解できます。とくに箇条書きのような簡潔な文章は、横書きの方が適しているでしょう。私もその場の空気を読んで横書きを使うこともありますしね。ただ、なんでも「横書きが前提」という風潮には、少なからず違和感を覚えるんです。
西欧人はおそらく横書きのほうが呼吸しやすいんですよ。これは余談ですが、以前オーストリアからチェコへバスで移動していたときのことです。車中で川端康成の『名人』を読んでいたら、バスガイドさんが興味深げにのぞきこみ「この本、縦書きなの!?」って。よほど珍しかったのか、気づけば乗客の間で文庫本が回覧されていました。そんな経験を通して、日本独自の文化や価値観は、これからも大切にしていきたいと改めて考えるようになりました。

——KODOさんの記事は、旧字体の漢字がよく使われています。これも手書き・縦書きのスタイルに通じているのでしょうか。
ええ。横書きの定着と同様に、漢字が旧字体から新字体に変更されたのも「読みやすさ」を求めた結果なのでしょう。これについて、漢文学者の白川静(*3)が興味深い説を唱えています。ざっくり説明すると、彼は「新字体によって『霊』という漢字は本来の霊力を失った」と指摘しているんです。
「霊」はもともと「雨ごい」を意味していて、旧字体の「靈」を分解すると「雨」、3つの「口」、そして「巫」で構成されていることがわかります。この3つの「口」は神に供える器を表しているのですが、新字体では省略されてしまいました。その結果、本来の祈りの力が削がれてしまった、というのが白川静の考えなんですね。
——ところで、ここ最近はAI生成によって 〝身体を使わないで書く〟ことも珍しくなくなってきました。そのような風潮をどうお考えですか?
めちゃくちゃ興味深いですよ。なかには、本人そっくりに文章が生成できるAIもあるようです。いわば、自分のクローンみたいなものですよね。もしかしたら、私の45年分の人生を学習したAIもつくれるかもしれない。ライバルは自分のクローン……、うん、これってすごくおもしろい。
でも、書道にせよ執筆にせよ、クローンに負けるわけにはいきません。負けてしまったら立つ瀬がないし、私の取り組みがその程度だったってことになってしまう。それはちょっとくやしいですよね。

■言葉や文章に秘められた力が身体にも作用する?
——KODOさんの記事を読んでいると、言葉や文章には大きな力が秘められているような気がしてきます。
ええ、そのことにも通じているのですが、いい本を読んでいると身体的な感覚も変化するんですよ。
——感情的な変化ではなく?
はい、読書中に我が身や姿が移ろっていくんです。ミステリー小説を読んで手に汗にぎるとか、笑えるエッセイを読んでリラックスするとかいった類の話ではありません。言葉で説明するのは難しいのですが、言葉や文章が身体そのものに作用するイメージです。私はこうした身体を 「読書身体」と呼んでいます。
「読書身体」の兆候として、本とそれをもつ手の境界が曖昧になるときもあります。これは茶道でも同じで、茶道具をもつ手にも似た感覚が生まれるんです。
「身体」という字は「身」と「体」に分けられますが、「読書身体」は「体」ではなく「身」のほうに表れます。
——「体」ではなく「身」に表れる!? それは誰もが実感できることなのでしょうか?
はい、稽古次第だと思います。今、少しやってみましょうか?
まず、立った状態で両腕を水平に広げてみてください。このとき物理的な長さは当然、両腕とも同じくらいですよね? 「体」的には同じ。でも、「身」は違うかもしれません。片方の手の平を上に、もう片方の手の平を下に向けてください。すると、片方の手の長さが変わったように「感じ」ませんか?
——なんとなく、手の平を上に向けた腕が長く感じます。
じゃあ、 短いと感じている腕の中指に私が触れますね。すると、だんだんと腕が伸びていく感覚になってきませんか? これがおもしろいのが、名嘉山さん(インタビュアー)の感覚が名嘉山さんに触れている私にも伝わってくること。今、はるかに反対側の腕よりも長いですよね。これは解剖学的な身体感覚ではなく、文化的な身体感覚。つまり「身」です。
——なんとも不思議な体験です……。
慣れてくると、読書や執筆だけではなく、コーチングや対人コミュニケーションなどにも活かすことができますよ。
——いろいろと応用が利くんですね。
茶道では「茶杓」といって、ちいさな竹のスプーンがあります。弟子は師から「茶杓を永遠と長いもののように扱え」と教えられるのですが、物理的に無理な話じゃないですか(笑)。だから、このときも「身」を使うわけです。
——なるほど。興味深いです。少々面食らってしまいましたが、最後の質問です。今後の展望を教えてください。
note上で、私が理事長を務めているNPO法人 読書普及協会の「基地」をつくりたいですね。インターネットで気軽に本が買えるようになり、便利になった反面、全国の書店が苦境に立たされています。経産省も書店振興プロジェクトを進めていますが、十分とはいえません。読書普及協会も書店の存続に貢献できないかと考えています。その一環として、書店と連携した「著者に出会える読書会」も進めています。私のnoteを基地として、情報発信できたらと思っています。
——KODOさんのnoteがさらにパワーアップするわけですね。
あとは外国人の茶人を増やしていきたいですね。これまでカンボジアの首都プノンペンに茶室「臨川」を建てて、地元の若者に表千家の稽古をつけてきたり、ハンガリーのラダイ博物館などで茶を点てたりしてきました。やはり茶はどなたとも和合しやすい。余計な垣根が取り払われて、人として互いに付き合えます。
また、茶室の傍らに畑をつくり、ノウフク(農福連携)も展開していくつもりです。だから、ひたすら土に草を置いていく日々がまた始まりそうです(笑)。
——noteの記事がさらに盛り上がりそうですね。KODOさんの今後の活躍を楽しみにしております。本日はありがとうございました。
*1:立原正秋(たちはら・まさあき)
朝鮮半島出身の作家。独特な美意識と叙情性にあふれた作風で人気を集め、昭和の流行作家となった。
*2:松岡正剛(まつおか・せいごう)
編集工学者。生命や歴史、文化などの情報を編集して組み合わせる「編集工学」や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる。
*3:白川静(しらかわ・しずか)
日本の漢字研究における第一人者。中国の古代文字を研究し、漢字の成り立ちを解き明かした。

KODO(コウドウ)
書家、茶人(表千家)。書は相模泰生、茶は吉田宗看に師事。プノンペン郊外に茶室「臨川」を設立後、カンボジア人に表千家の稽古をつけながら、東欧諸国を中心に外遊。日伊修好150周年記念国際交流芸術展やチェコ共和国国際交流展等に出展し、ブルノー博物館をはじめとした各国の美術館や博物館に書を寄贈。タマサホテル(カンボジア)やラダイ博物館(ハンガリー)等で茶会を開催してきた。
https://note.com/kodotenco
取材・文:名嘉山直哉 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學
