【Podcast配信中】『遠野物語』全119話を娘のために現代語訳した話
「お話を読みたいのに、読める本がないのよ!」
そんな、小学2年生の娘の一言をきっかけに、うっかり本気を出してしまいました。
これは、物語のバリアフリー化に取り組むことになったライターの奮闘記です。
幼い頃からオタクの片鱗を垣間見せていた娘が小学生になり、最近はいよいよ何かが開花しそうです。
「絵本では物足りないけれど、大人向けの書籍はまだ読めない」という段階に入ったため、どんな本でもとりあえず買い与えては、何が刺さるかなと様子を見ているところ。
そんな中で「遠野物語が読みたい」というリクエストを受けました。
「怪談えほん」や「えほん遠野物語」のシリーズは持っています。その次の一冊に飢えていた様子です。故・水木しげる氏を敬愛する娘の要望は、
「絵本じゃない遠野物語が読みたい。原作そのままの内容で、最初から全話を」というものでした。
それで探してみたところ、なんと読める本が存在しないことが分かりました。
100年前に記録された東北の怪異譚、あの、日常と野生と異界が「決して相容れないまま隣接している感じ」が、ちょうど怖い話を欲する学童期の子どもに届かなくなっていたのです。
なんてもったいないのか。
それで、うっかり本気を出してしまいました。
これが「子どもとたのしむ『遠野物語』」制作のきっかけです。
Podcast配信音声はこちらから。
どうぞ聴き流しながらお読みください。決してご遠慮はありません。
物語へのアクセスルートが途切れている!
遠野物語。「名前は聞いたことある。どんな話かもなんとなくは知っている。でも実は読んでない」みたいな枠に入る本だと思います。
同じ枠内にはユゴーの「レ・ミゼラブル(邦題:あゝ無常)」があります(長すぎるから)。
しかし「レミゼ」には、すばらしい舞台版があります。原作を読んだ人でも「もうこっちでいいと思う、無理して原作読まなくてもいいと思う」となるくらい良く出来ており、物語へのアクセシビリティはしっかりと保たれています。
一方で、遠野物語。
100年前の文語体がさすがに難解なぶん、入門編としての解説書や副読書、抜粋エピソードは豊富です。
それらで俯瞰的に、あるいはピンポイントで東北の怪異を味わうことはできます。初心者はここから入ればよさそうだな、という本には困りません。
でも、「初心者向け」と「子ども向け」は違うんですよ。
「初心者向け」と「子ども向け」は違う
「子供だまし」はもっと違います(が、論外なので本稿では割愛します)。
とりあえずどんな感じか知りたい、という人は「初心者」になるでしょう。先述した通り、初心者に向けた読本はすでに存在します。
そして、「初めて怪異に触れる子ども」に向けた絵本も豊富です。
問題は、初心者じゃなくなった人が「その次」に手を出すもの。
大人であれば口語訳、現代語訳、リミックス版などで原作にアクセスできますが、「初心者ではなくなった子ども」に向けた原作(定本)がなかったのです。
無いなら作るしかないでしょう。
幸い、原文の著作権は失効済みで、全文「青空文庫」に掲載されています。これをもとに翻案しても、権利的な問題はありません。
……それなら作るしかないでしょう!(2回目)
レギュレーション設定と進めかた
2024年末からリライトに着手しました。
目指す形は、以下のようなもの。
原作そのままの内容
最初から全話
低学年の子が読み聞かせで楽しめる
高学年の子は自分で読んでも楽しめる
先に述べた通り、原文は青空文庫から取得します。
ちなみに原本を読もうとすると、こう。

この通り、古文までは行かないので、情報の取得はまあ可能です。しかし、(私のような)国語の高等教育を受けていない在野の本読みには、だいぶ物語に没入するハードルが高い。
もちろん、怪異譚や民話に興味を持ち始めた学童期の子どもには無理です。
そこで、生成AIを使って現代語訳のたたき台を作り、それを読み聞かせ用にリライトしていきました。
早々に見えた「生成AIの限界」
「AI使うなら簡単じゃん」と思われるかもしれません。
が、実際にやってみると、生成AIでできる仕事は全体の工程の3割ほどでした。
たとえば、「序文」の以下。
願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。
これをChatGPTに現代語訳させると、以下のようになります。
「この物語を語って、都会に住む人々を震え上がらせてほしい。この書物のようなものは、まさに『陳勝・呉広の乱』のようなものだ」
ここでの「平地人」とは、山間の村ではなく都市や平地に暮らす一般人(=民俗や怪異に疎い現代人)を指します。「戦慄せしめよ」は「震え上がらせろ(=感動・衝撃・畏怖などを与えよ)」という意味です。
「陳勝呉広」とは中国の歴史に出てくる農民反乱の指導者たちです。民衆が初めて声を上げ、歴史が動いた事件です。柳田はここで、『遠野物語』が単なる民話集ではなく、名もなき庶民の声が初めて記録された“革命的”な書であることを示唆しています。
伝わりますか、この「知りたい情報は入っているが、欲しい読書体験ではない」感じ(あと文が長い)。
情報が欲しいだけならこれでもいいでしょう。しかし、怪異らしさ、民話らしさは消えてしまいました。
私は教養の学習をさせたいわけじゃない。民話を楽しんでほしいんですよ。そのために必要な「雰囲気の保持」は、さすがにAIでは難しいようです。
そこで、一語ずつ言葉を選び直し、原文の読書体験をなるべく守りながら、「聴いて、わかる文章」へ調整していきます。
願わくば、これらの話を語り継ぎ、平野部の都市に住む人々を戦慄(せんりつ)せしめよ、と思います。この本はその先駆け、始まりの一冊になるものだと思っています。
ほとんど原文のほうに寄ってしまいました。しかし、認知負荷はかなり落ちたのではないかと思います。
これでも、多少の国語力は必要になるでしょう。平野部、戦慄、先駆けあたりは、物語そのものの初心者には厳しいかもしれません。ただし、今回のターゲットは「初心者ではない子ども」なので、全ての単語を流動食にする必要はありません(ごめんね陳勝呉広)。
大切なのは、小学生が分かる語彙と文法でありつつも、原文の持つ不思議な雰囲気や遠野の風土を損なわないこと。
手に入りやすい材料も取り入れて、食べやすい大きさで調理はするけれど、歯ごたえと風味はそのままにしたいってわけです。
もうひとつ例を挙げます。説明文が多く、難しかったエピソードです。
六五 早池峯は御影石の山なり。この山の小国に向きたる側に安倍ヶ城という岩あり。険しき崖の中ほどにありて、人などはとても行きうべきところにあらず。ここには今でも安倍貞任の母住めりと言い伝う。雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖とざす音聞ゆという。小国、附馬牛の人々は、安倍ヶ城の錠の音がする、明日あすは雨ならんなどいう。
六六 同じ山の附馬牛よりの登り口にもまた安倍屋敷という巌窟あり。とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり。小国より登る山口にも八幡太郎の家来の討死したるを埋めたりという塚三つばかりあり。
これを生成AIに現代語訳させます。「序文」のときは噛み砕きすぎていたので、ちょっと忠実にやってもらいましょう。
六五
早池峯(はやちね)は御影石でできた山です。この山の小国(おぐに)に面している側に「安倍ヶ城」という岩があります。険しい崖の中ほどにあり、人間がとても行けるような場所ではありません。ここには今でも安倍貞任の母が住んでいると言い伝えられています。雨が降りそうな夕方などには、岩屋の扉を閉める音が聞こえるといいます。小国や附馬牛(つくもうし)の人々は、「安倍ヶ城の錠の音がする、明日は雨になるだろう」などと言います。
六六
同じ山の附馬牛からの登り口にも、やはり「安倍屋敷」という洞窟があります。とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりのある山なのです。小国から登る山の入口にも、八幡太郎の家来が討ち死にして埋められたという塚が三つほどあります。
うーん! 分かりにくさは原文読むのとそれほど変わらないままで、元の雰囲気が消えちゃった! これでは意味がありません。
背景解説の文章が多かったので、リライトにはちょっと苦労しました。
遠野は、平安時代の武将「安倍貞任(あべのさだとう)」との縁が深い。特に、御影石でできた美しい山、早池峯(はやちね)山には、貞任にまつわる伝説が数多く残されている。
まず、早池峰の小国(おぐに)側の登山口には、三つの塚がある。これはそれぞれ、安倍貞任の宿敵、源義家(みなもとのよしいえ)の家来が討ち死にした場所だという。
その小国に面した山肌は切り立った崖になっており、その中腹あたりに、大きな岩がある。到底人間では近づけないような場所で、人々から「安倍ヶ城(あべがじょう)」と呼ばれている。
言い伝えによれば、ここには安倍貞任の母親が今も住んでいる。雨が降りそうな夕方には、岩屋の扉を閉じる音が聞こえるという。
それで、小国や附馬牛(つくもうし)の人々は、「安倍ヶ城の錠の音がした。明日は雨になるだろう」
などと語り合うという。
早池峰山が険しく美しい山であること、花崗岩や閃緑岩なといった輝きの強い石材からできていること、平安時代の有名な武将と縁が深いことを最初に提示。これで、原文によくある「ゴメンそれ何の話?」的な戸惑いを潰します。
情報を出す順番を「読み手の視点の動き」に合わせて調整し(小説の技法)、文は短めに区切り、共通の情報があるエピソードは続きモノの話としてまとめます。
文体の美しさよりも聞いたときの心地良さを優先して、助詞の連続や「するということである」みたいな冗長文も適宜使いました。(ビジネスライティングでは親の仇のように潰すあれら、いっぱい使えるのは面白いですね笑)
また、難しい言葉は言い換えつつも「座敷わらし」「神隠し」など民話ならではの言葉は残し、過度な補足説明は控えて、原文の余白を守りました。
「御影石」を知らなくてもいいのですよ、この物語の中では「早池峰山は、御影石というものでできた、美しい山である」が分かれば。児童文学の「耳慣れない単語にちょっとワクワクする感じ」も残したかったのです。
これは「物語のバリアフリー化」だ
それで、できたそばから娘にねだられ、寝る前の読み聞かせをしていったのですが、声に出して読んでいくと、色々と不備や気になる点が増えていくのですよね。
娘からも「これってどういう意味?」と聞かれ、なんとなく理解に「つっかえ感」がある様子。
それでこまごまと調整しつつ、自分の朗読を録音して聞いてみて、調整して……と繰り返すうちに、いつしか音声データが溜まっていきました。
せっかくだから載せるか、と思ってPodcastでの配信を始めたところ、思いのほか反響をいただくようになりました。


タレントでも出版社でもない一個人の取り組みとしては、身に余る光栄です。
それでようやく気付いたのですが、初心者ではない大人にも「原文の雰囲気全体をふんわりと掴めるコンテンツ」の需要はあったようなのです。
また、Podcastを愛好する中に、
「通勤が車移動だから、本が読めない」
「電車の乗り換えが多いから、短い話を聴けるのは嬉しい」
「身体にハンデがあって文章を読むのが難しい」
といった事情を持つ人が少なからずいる、ということも知りました。
私は物語のバリアフリー化をしていたのだ、と気付き、この取り組みをもう少し広げたい、と思うようになりました。
『遠野物語』119作全話読み聞かせ音声
以下がそれら音声のリンクです。Podcastエピソード内に軽く記載した概要文と共にどうぞ。
序文
遠野物語の中でもトップクラスに有名なのが、柳田国男の所信表明ともいえる、この「序文」です。
格調高い文語体を噛み砕いてなお残る、遠野紀行で観た情景にエモが大爆発してる感じ。
「遠野物語」発行に寄せての前書き
柳田國男は遠野出身の佐々木鏡石(喜善)と東京で出会い、彼の語る「おばけ話」に魅了されます。
都市部では西洋化・近代化が急速に進み、怪談・民話・神話のたぐいは「旧時代的・未開の文化」として否定されつつある時代、柳田國男は、遠野で事実、存在する怪異を世に送り出し、「平地人を戦慄せしめよ(原文より)」と考えて「遠野物語」の書籍化に取り組みました。
初版の発行部数は350。刊行までには、さまざまな葛藤もあったようです。そんな迷いを感じさせつつも、それでも遠野に魅了された思い出が残る「序文」です。
本文 その1〜119話(随時更新)
ここからは、現時点でPodcast公開済みの本編たち。
まだ順に公開している最中の段階なので、新エピソードの公開に合わせて随時更新していきます。
その1 遠野郷の成り立ち
物語の舞台である遠野郷の成り立ち。
遠野の地理的情報や、地名、歴史などに関する解説の会。
遠野郷は陸中国、上閉伊郡(かみへいぐん)の西側半分にあたります。山に囲まれて盆地となった地域であり、明治43年時点で、遠野・土淵・附馬牛・松崎・青笹・上郷・小友・綾織・鱒沢・宮守・達曾部の1町10村に分かれていました。
その2 遠野三山
遠野の町は南北の川が合流する地点にあり、七つの谷の奥から七十里の距離を超えてさまざまな物品が集まったことから「七七十里(しちしちじゅうり)」とも呼ばれていました。
遠野を囲む山々の中でも「遠野三山」は、三人の姉妹神が治める神域とされます。
物語の中で特に印象的な「夢の中での出来事」という設定は、柳田國男の創作と考えられているそうです。
その3 和野の猟師、佐々木嘉兵衛登場
遠野の山々の奥に住むという山人(やまびと)との遭遇譚。
本作はその中でも珍しい「山人の夫婦(?)」が出てくる話です。
ここから、山人の目撃談や里の女が山人と思わしきものに誘拐された話が続きます。
また、この「栃内 和野の猟師、佐々木嘉兵衛」という男も、今後あちこちのエピソードに登場します。さまざまな怪異を体験しつつ晩年まで猟師を続け、またそれをよく人に語って聞かせていたようです。なんとなく、佐々木境石の生き生きとした語り口すら見えるような感じすらあります。
その4 山口村の吉兵衛
遠野の山々の奥に住むという山人(やまびと)との遭遇譚。
佐々木喜善の出身地である土淵村・山口集落に住む男の目撃談です。
その5 笛吹峠の怪異
佐々木喜善の生家のある土淵村・山口集落は、六角牛山への登山口があることからその名が着きました。
遠野から「田の浜」や「吉里吉里」へ向かう便利な山道だったようなのですが、山人との遭遇例が増え、恐れたひとびとはその道を放棄せざるを得なくなったそうです。
その6 拐かされた長者の娘
遠野の山々の奥に住むという山人(やまびと)との遭遇譚。
娘が攫われて山男の妻にされる、という話。
二度と会えないほど遠くに連れ去られるわけではなく、実は偶然の再会ができる程度には近くで生きているようです。山で娘を失った家族の願いも感じる物語です。
その7 山男の正体
上郷村の娘が攫われて山男の妻にされ、五葉山で発見された話。
上郷村と五葉山の間は現在の徒歩ルートで65kmほど。山を踏破する直線距離で20kmほどの距離になります。
娘の話によれば、山男は「ふつうの人のように見えるが、とても背が高く、目の色が変わっていて、3~5日に一度集会をする」そうです。著者が山男の正体に何かしらの推論を持っていた様子も、感じられます。
その8 寒戸の婆
神隠しに遭った娘が30年後に帰ってきた、というお話。
「風の強い夜に帰ってくる婆」という言い伝えになっており、当時の恐怖が伝わります。
その9 菊池弥之助の体験
深い谷の下、とうてい人が入れそうにない奥の湿地から声が聞こえる。とても身近な怪異です。
いわば「通勤ルートの怪異」のようなもので、本当に怖く、嫌だったのだろうな……という様子が見えます。
その10〜11 虫の知らせ・母殺し
菊池弥之助の親類のもとで起きた惨殺事件の記録です。
「嫁と姑の仲が悪かった」「嫁が家に帰って横になっていたとき」など、どことなく女を責めたい雰囲気がただよいます。
ちなみに筆者が「遠野物語」の初版を発行した際の覚書には、「人名なども伏せずに書いてしまったため申し訳なくなり、遠野の方たちには本書は送らなかった」と書かれていました。ノンフィクションを書籍化することへの葛藤が見て取れます。
その12〜13 乙爺の話
「新田乙蔵」という、一度聞くと忘れられない老人についてのお話。
乙爺(おとじい)は良い家柄の生まれであったが、若いころに財産を失い、それからは駄賃稼ぎの旅人相手の商売でほそぼそと暮らしていました。
駄賃稼ぎの男たちが持ち寄る話を聞き集め、いつしか遠野じゅうの伝承を知る男となって、その話を誰かに聞かせたいと常々思っていたそうです。
しかし風呂に入らないため非常に不潔で体から悪臭を放っており、近づく人はいなかったといいます。
その14 オクナイサマ
遠野の旧家でまつられる「オクナイサマ」について。
オクナイサマ・オシラサマはいずれも2体でひとくみの双神です。東北地方で広く見られ、遠野では集落をまとめる「家の神」として大切に祭られているそうです。
その15 「田んぼのうち」のオクナイサマ
米づくりの農繁期である田植え時期、どうしても人手が足りず、苗を植えきれないと嘆いていたある長者の家に、不思議な小僧が現れました。
どこかコミカルで、恐ろしさよりも可愛らしさを感じる章です。
その16 コンセサマ
男女和合や子孫繁栄、病の快癒などを祈る民間信仰「金精様」の話。
遠野物語の中で「減りつつある」と語られてはいるものの同様の信仰は全国各地にあり、私の地元にも、陽根と陰部を祭る道祖神の信仰が残っています。
その17 ザシキワラシ
「座敷童子」は家に宿り、幸福と繁栄をもたらす童子の神です。
遠野物語を柳田国男に語った佐々木喜善の家にもザシキワラシが宿っていたとのこと。豊かな暮らしをしていたことが分かります。
その18〜21 孫左衛門の家のザシキワラシ
座敷童子を失い、一日で滅んだ孫左衛門の家の話。
土淵村・山口集落は佐々木喜善の生家がある場所で、孫左衛門の家までの距離は歩いて15分ほど。話の中に出てくる「薬師堂」も、孫左衛門の家のすぐ近くにありました。
惨劇の直前に見られた不吉な前兆や、孫左衛門が下男たちを制御できていなかった様子、家が滅んだあとの寒々しい言い伝えから、当時の孫左衛門家がどのように思われていたのかが少しうかがい知れます。
なお、お話のキーポイントで下男が語る「乾燥させた麻の茎」とは、原文では「おがら」と呼ばれています。いわゆる「麻ガラ」のことで、盆の送り火などで使われる枯れ茎です。「そんなものでどうにかなるわけがない」と誰も言えなかったあたりに、実話としての生々しさを感じます。
その22〜23 魂のゆくえ
遠野物語の語り部、佐々木喜善の曾祖母が老いて亡くなったときの話。弔いの席に、本人のさまよう魂が現れます。
この出来事があった時点で喜善が生まれていたかは分かりませんが、母親の毅然とした態度が印象的です。
なお、「ふたなのか」とは、亡くなった14日後の弔いのことで、「二七日」と書きます。いわゆる四十九日(7週間後)に死んだ者が浄土へ行けるよう、週に1度の審判の時期に合わせて法要を繰り返す中での2番目にあたります。
昨今では省略されることも多く、一族が集まって念仏を唱えるような盛大な法要はめったに見ません。佐々木家がたいへん裕福であったこともうかがい知れます。
その24〜25 大同
遠野の各集落をまとめる旧家を「大同」と呼ぶ由来は、坂上田村麻呂の蝦夷征討までさかのぼるとのこと。
「ダイドウ」は「大洞(おおほら)」を意味する可能性も示されています。ホラとは一族や家そのものを指す言葉でもあり、家の土間部分を「ホラマエ」と呼ぶそうです。
その26 遠野の神像
その十五には、「田んぼの家」こと阿部家で起きた、オクナイサマの像にまつわる不思議な話がありました。この阿部家はもともと、神像と深い関係があったようです。
その27 黄金を生む石臼
「財を成す臼」という話は遠野に限らず、国内外の各地にあります。原文でも、柳田国男はこの話の末尾に
「この話に似たる物語西洋にもあり、遇合にや」
という、走り書きのような文章を残しています。
Wikipediaには「ノルウェーの民話」「ヨハネ黙示録」などとの関連が書かれています。
なお、昔ばなしの中でも比較的ポピュラーなものに「海の水が塩辛い理由」という、塩を生む石臼が海中に沈んだお話があります。この昔ばなしの編者も柳田国男です。
その28 早池峰山の怪坊主
早池峰山に山道を拓いた猟師が出会った怪異の物語。
猟のために山に入って数日を過ごす者は、駄賃稼ぎの者たちとはまた違った怪異と出会っていた様子が見えます。
その29~30 天狗・山男
エンタメの王道「悪ガキがイキって禁域に入り、恐ろしい目に遭う」のフォーマットを完璧に踏襲するお話。
とんでもない無法者のたとえが「鉞(まさかり)で草を刈り、鎌で土を掘る」なのが面白いです。無法ではあるのでしょうし、めちゃくちゃな奴なんだろうな、とは思うものの、
「若い頃はヤンチャだった」のたとえ話としての時代を感じるといいますか……現代では決して出てこない例だと思います。
また、「地竹で編んだ草履」というのも、大男のたとえとして絶妙です。ワラやスゲで編まれた草履に親しんでいたからこその「竹で編まれた草履」の凄味、ということなのでしょうか。
その31 ひとさらい
遠野でしばしば起きたひとさらい。「異人」からさまざまな含みを感じる、とても短い一節です。
その32 猟師「隼人」と千晩ヶ岳の白鹿
白鹿(はくろく)を撃った猟師「隼人」の伝承。
白い鹿は神聖なものと考えられていました。片足を折った山に「片羽山」、死んだ地に「死助」と名前が付き、権現としてまつられるようになったことからも、この白鹿を神にしたことが分かります。
一方で、猟師「隼人」の名前の涼やかさや、本文の末尾に「まるで古代の風土記を読んでいるような趣のある話だ」と書かれていることからは、この伝承に出てくる猟師がある種のヒロイズムをまとっている様子も感じ取れます。最後の「子孫は今でも健在である」という部分からも、神殺しの罰を否定する意図が感じられ、「山に相対する、気高きひと」の理想像があったように思います。
その33~35 白望の山
遠野郷を囲む山々には、それぞれの伝承があるようです。
白望の山には、山人はもちろん、「とても美しいのにどうしても近づけない場所」や「決して持ち帰れない宝物」などの伝承も残り、人智の及ばない世界がすぐ近くにある場所であったことがうかがい知れます。
その36 経立
「経立(ふったち)」とは、全国に伝わる、長く生きた動物が化けたもの。
遠野物語が「怪異が日常にあり、妖怪や幽霊など分類される前の時代の物語」と言われるゆえんに、「野生のオオカミ」と「御犬の経立」の区別が難しいところがあります。
ここから御犬、あるいは野犬、もしくはオオカミの恐ろしさを語るエピソードが続きます。
その37 狼 峠の攻防
馬に荷物を運ばせる「駄賃稼ぎ」の者たちは、夜の山でしばしば怪異に遭遇しました。
これは夜の山で野犬の群れに襲われた一団の物語。妖怪変化のたぐいとは異なる、生々しい死の恐怖が伝わる一遍です。
その38 御犬をからかった男の末路
酒に酔って狼にちょっかいを出し、家を衰退させるに至った男の話。「たたり」と呼ぶには生生しく、「罰が当たった」と呼ぶには取り返しがつかない、日常の怖さが伝わる一遍です。
その39~40 狼の習性
「御犬は必ず近くに潜んで、こちらを見ている」
だから、狼に襲われた獲物を見かけても、決して手を出そうなどと考えてはいけません。
子どもたちが大人から言い聞かせられてきた、ごく身近な禁忌のお話です。軽率な行為を慎重に避けてきたからこその繁栄を感じさせる、短いお話。
その41 狼の大移動
『その3』で山にいた怪しい女を撃ち殺し、黒髪を持って帰ろうとして、山男らしき者に髪を取り戻された猟師「佐々木嘉兵衛」が再び登場します。
また、大谷地は、『その9』で菊池弥之助が谷底から「面白いぞー」と叫ぶ声を聞いた場所で、死助とは、『その32』で猟師「隼人」に撃たれた鹿が死んだ場所の名です。
佐々木嘉兵衛はこの後も折に触れて登場します。
その42 狼との死闘 飯豊村の「鉄」
飯豊村の人々と狼の戦い。怪異ではなく、「事件簿」としての生々しさが印象的な章です。
その43 「熊」とクマ
人間とクマの遭遇譚です。一昨年の「遠野新聞」にも掲載された話のようです。
実際にクマと対決して無事で済む人間はいません。人名「熊」も相まって、少しフィクションめいた面白さがあります。
その44~47 猿の経立
経立とは、「長い年月を経た生き物」を意味します。遠野物語では御犬(狼)と猿のみですが、他の地域では鶏や魚(鱈)の経立に関する伝承も残っています。
狼にまつわる話はかなり野生動物らしい印象がありますが、猿の経立は「女体を好む」「笛の音に反応する」など、かなり「人間寄り」の怖さがあります。
その48~49 仙人峠
旅人たちが道中で出会った怪異について書き記した堂について。
山を越えて人や物が集まる地域交易の拠点として栄えた遠野郷で、旅人たちは馬引きで荷を運ぶ「駄賃付け」をしながら猿や山人、その他さまざまな怪異に出会い、その体験談を荷と共に運びました。
その50 カッコ花
カッコ花、という名前は、閑古鳥、つまりカッコウの鳴く時期に咲くことに由来します。ラン科の多年草で、正確な和名はアツモリソウ。花弁のふくらみを平敦盛が鎧に背負った矢よけのホロに見立てた名前で、敦盛公、郭公(かっこう)の呼び名とも関連します。平敦盛は、一の谷の合戦においてわずか16歳で討ち死にした若武将で、際立った美貌の少年だったとか。
アツモリソウは、遠野物語が書かれた時点でも「貴重な花」と語られていましたが、現在も深刻な乱獲の被害に遭っています。環境要因も重なり、野生での存続は危ぶまれているそうです。
その51 オット鳥
ここから、鳥にまつわる話が続きます。
鳥にまつわる伝承は、どこかうら寂しい雰囲気のものが多いようです。
もともと鳥の鳴き声に寂莫としたものを感じる風土であったのか、それとも佐々木喜善の好みか柳田国男の好みでこうなったのかは、本編だけでは分かりません。
その52 馬追鳥
自分の財産を持たない階級の者が主人の財産を見失い、鳥になるまで探し求めることになった顛末がなんとも哀れな一遍です。「里で鳴いたら飢饉の前兆」という話にも、どうしようもない哀愁があります。
その53 郭公と時鳥
カッコウの姉と、ホトトギスの妹の話。
これも寂しい、悲しい話ではあるのですが……個人的には妹の思い込みの激しさととんでもない衝動性に「どうしてそうなった??」と戸惑う気持ちのほうが強いです。
その54 閉伊川の淵
主人公の「ある男」の愚かさもさることながら、最後の長者の行動にずぅんと沈むような恐怖の余韻が残る一遍です。
何の説明もなく、悪意だけが察せられる記録。
その55 河童
遠野といえば河童。
ただし伝承には、ゲゲゲの鬼太郎的なキャラクターよりも、もう少し醜悪で汚らしい、人間から劣後するような「なにか」を思わせる口ぶりのものが多いようです。
これは、河童が生まれる家の話。嫁が魅入られているのか、家が呪われているのか、それとももっと別の原因があるのか。この話のみでは、ちょっと判別ができません。
ただ、とても忌み嫌われていた様子だけは分かります。
その56 捨てるくらいなら売ろうか
生まれてすぐの赤子を外に持ち出し、路上に放置して、去り際に「いや、捨てるくらいなら売るか?」と思って引き返す……一連の動きに、一切の容赦も良心もありません。なんとも後味の悪い話。
その57 河童の足跡
河童の足跡について説明するだけの、とても短い話。
短いながらぞわぞわとするのは、描写ばかりが細かくて、その現象の理由についての説明が一切ないためでしょう。
この余白の大きさ、この「説明がないから物語が終わらない感じ」が、遠野物語の特徴だと思います。
妙に心に残る一遍です。
その58 姥子淵の河童
本文の中で「河童の伝承のある地域には、必ず『河童が馬を引きずり込もうとして失敗する話』もセットで残っている」と語られています。河童の存在が本当に一般的で、大勢が「ああ、あるよね」と思うようなものだったのを感じさせるお話です。
当時の読者は、これに「うっかり・おっちょこちょい」のような印象を見出したのでしょうか。現代の価値観で見ると、なかなかずっしりしたものを感じるのですが。
その59 胡桃の木
佐々木喜善の祖母が子供の頃に出会ったという、「胡桃の木の間から覗いてくる、全身真っ赤な子ども」の話。
足跡の話同様に、短いながらも妙に印象に残る一遍です。
大きく話が動いたりしないあたりが、かえって「日常に溶け込む異界」をリアルに感じさせます。
その60〜62 山の怪異
「和野の佐々木嘉兵衛」三回目の登場です。
ここでは、嘉兵衛が猟の途中で遭遇した怪異3篇をまとめてお届けします。「怪異に出会うたびにもう猟はやめようと思うのに、どうしても戻ってしまうのだ」という、矜持とも業ともいえる嘉兵衛の独白がかっこいいですね。
鹿や雉を撃って捕る猟というのは、こうまで楽しい仕事だったのでしょうか。
書籍制作進行中
先日ようやく、全119話の現代語訳が終わりました。寝る前の読み聞かせも2周目に入り、娘にはお気に入りエピソードも出てきています。
「熊とクマのお話、おもっしろいよねえ!」
「ユキユキって変なの!」
など。
もしかしたら日本トップクラスで遠野物語に詳しい小3かもしれません。
そして現在は、11月開催の「文学フリマ」に向けて、版面作りを始めています。
【文学フリマ東京41 出店申込しました!】
— Amati@studioKOKS【A35】7月クリエイターEXPO (@KOKSAmati) May 5, 2025
11/23(日)東京ビッグサイト南1-4ホール
詳細→ https://t.co/vBD4DmUl0l #文学フリマ東京
noteとPodcastで発信中の児童書「子どもとたのしむ『遠野物語』全話現代語訳」を
小説|児童文学・絵本
カテゴリで販売します! 版面作りがんばる!!
せっかくの子供向け書籍なので、四六判のルビ付きにして、我が子に贈る用には上製本(ハードカバー)も作りたいですね。
もし児童書としての需要があるなら、何らかのかたちで通販もしたいけれど……まあ、それは文フリの反応を見てからでもいいか。
「こういうの欲しかった」と思ってくれるひとのところに、お届けできたらいいなと思っています。
装丁は友人の絵師に協力を打診するつもりです。贅沢を言えば監修を探したい思いもあるのですが、まだ伝手を見つけられていません。
また、実在の地名なども出てくるため、現地の観光商社に「こんなことやってるんですが……」という打診だけはしています。お返事いただくまでは同人誌の範囲内で続けるつもりです。
創作大賞の応募にあたってはジャンルに苦慮し、「文章のバリアフリー化だし、メディアミックス配信だしなあ……」と考えて、オールカテゴリ部門に決めました。
進行中のカオス期にあたるため、これももう仕方ありません。
「面白そうなことやってんな」とでも思ってもらえたら嬉しいです。
日本の怪異文化を、現代の子どもたちにも届けたい。そして「怖いけど、どこか懐かしい」物語の世界を共有できたらいいな、と。
そんな思いを込めています。
一人でも多くの子どもと大人が、『遠野物語』の不思議な魅力に触れる機会になれば幸いです。
