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それでも、普通の家族だと思っていた

※この記事は、以前別アカウントで公開していた記事です。

現在は「こころケアラボ」へ発信を統合しているため、こちらへ移行しました。

当時の文章をそのまま残しています。

今読むと未熟な部分もありますが、その頃の私の記録として残しておこうと思います。







父と母の話の続きです。

 

ここからは、

私が子どもとして見ていた家庭の話になります。

 

 

父はギャンブルが好きで、

仕事が休みの日は、毎週のように

私たち家族を連れて競輪場に行っていました。

 

父が競輪をしている間、

母は私たちを、競輪場の一角にある小さな公園で遊ばせながら

ずっと待っていました。

 

 

その頃の記憶は、

今でもはっきり残っています。

 

 

寒い冬の日、

 

足元にはタバコの吸い殻がたくさん落ちていて、

 

入り口付近ではホッカイロを配っている人がいて、

それをもらうのですが、

 

冷たい自分の手では、カイロがちっとも温まらない。

 

 

父を待つ公園は小さくて、

最初は楽しいけれど、すぐに飽きてしまって、

 

 

「帰りたい」
「お父さんまだ?」

 

 

と、何度も母に言っていました。

 

 太陽が夕日に変わる頃までずっと待っていました。



 競輪場には大勢のおじさんたちが芋洗いのような状態でいて、

幼い私たち兄弟は、頭のはるか上まで全ておじさんたちに囲まれる状態

 

 

母と手を離したら終わりだ、と思っていました。

 

 

 





父方の祖父母の家には、よく遊びに行っていました。

 

私たち兄弟だけで泊まることもたくさんありました。

 

 

祖父母の家には、

いつも私たちのためにアイスクリームが用意されていて、

 

それが楽しみで仕方がありませんでした。

 

 

 

おおかた父のお金の話の流れだったのでしょう


台所で祖母が料理をしながら、

 

「なんでお金がないのね?」

 

 

とニコニコしながら聞いてきて、

 

 

「おとうさん、けーりんに使っちゃうのー」

 

 

と、私たちが答える。

 

 

 

そんな会話が、

当たり前のようにいつもありました。

 

 

 

 

「お母ちゃん、お金ちょうだい」

 

 

父が、私たちの前で祖母にそう言うのを、

覚えています。

 

 

祖父が、

タバコの置いてある棚からお札を何枚か取り出して、

無言で父に渡す姿を


覚えています。

 

 

 

母は、

父のためにならないからと、

祖父母に「お金を渡すのをやめてほしい」と言っていたそうです。

 

 

 

父は、

 

夜に急に思い立って、

 

「散歩に行くぞ」
「ドライブに行くぞ」

 

 

と言い出すことがありました。

 

 

 

夜の散歩は田舎だったので、

星がとても綺麗で、

 

流れ星がポロポロ落ちるのを見ました。

 

 

 

飼っていた犬も連れて、

小学校の隣の野球場まで行き、

 

野球場の出入り口を全部塞いで、

犬を放して走らせていました。

 

 

私たちも一緒に走って、

キャッキャと騒いでいました。

 

 

 

犬がフェンスから逃げ出してしまったこともありました。

 

父は朝方まで犬を追いかけて、

探して、捕まえて、帰ってきていました。

 

 

 

夜のドライブは、

わざと細い山道を好んで走る父でした。

 

 

真っ暗な車の中で、

 

少しでもタイヤがズレたら

崖の下に落ちるんじゃないかという恐怖を感じていました。

 

 

 


弟はのんびりした子で、

よく父に怒られていたのですが、

 

 

海の近くで犬の散歩をしていたとき、

 

父は犬のリードをボラードに結びつけて、

 

弟にこう言いました。

 

 

「俺がここを一周する間に、このリード外してみろ。
できなかったら海に落とすぞ」

 

 

弟はなかなか外せなくて、

 

 

父は一周して戻ってきて、

 

 

宣言通り、

 

弟を海に落としました。

 

 

 

そのあとすぐに父も海に飛び込んで、

弟を引き上げていました。

 

 

 

私は、

 

父は弟にもっとしっかりしてほしいんだろうなと思いながらも、

 


 

海に落とされた弟が可哀想で仕方がありませんでした。

 

 

 

こうして書くと、

 

ツッコミどころ満載の父ですが、

 

 

当時の私は、

それを特別におかしいと意識してはいませんでした。

 

 

 

それは、

母が父の悪口をほとんど言わなかったからだと思います。

 

 

 

父が生活費をギャンブルに使っても、

朝方まで麻雀をして帰ってこなくても、

勝手に借金の保証人にされても、

 

 

母は、

私たちの前で父を責めることはほとんどありませんでした。

 

 

 

父と母は、

仲の良い夫婦でした。

 

 

出かけるときは、

いってきます、いってらっしゃいのキスをして、

 

ぎゅっと抱き合う人たちでした。

 

 

 

家にお金がないことは、

子どもながらに当たり前のように感じていましたが、

 

 

それでも私は、

 

 

自分の家は普通の家族だと思っていました。

 

また、

父と母が思い合っていることは、子供心に嬉しく

誇らしいことでした。 

 

 






私が小学5年生のとき、

 

父と母は形だけの離婚をしました。

 

 

リビングに呼ばれて、

 

 

「借金取りから守るために離婚する。
でも家族の形は何も変わらない」

 

 

と説明されました。

 

 

 

私は特に驚きもなく、

 

 

そうするのがいいなら、それでいいと思いました。

 

 

 

苗字も変わらず、

母も父の姓のままで、

 

私たちもそのままでした。

 

 

 

 

その後、

 

私たちは夜逃げをしました。

 

 

夜中に家を出て、

 

今日からここに住むよと言われて、

 

数十キロ離れたアパートに移りました。

 

 

 

しばらくの間、

 

夜になると前の家に戻って、

必要なものだけを取りに行く生活をしていました。

 

 

 

電気もつけられない懐かしい家の中で、

 

 

それでも、

 

 

「ああ、自分の家だ」

 

 

と思ってしまう自分がいました。

 

 

 

同時に、

 

 

もうここには帰って来られないんだと、

 

 

分かって、切なくなっていました。

 

 

 

 

この頃から、

 

 

父と母の関係は、

 

 

少しずつ変わっていったような気がしています。

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