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「甘やかさないで」と思っていた保育者の末路



保育の日常には、あるあるがある。

担任が、

「自分でやろうね」

と言っている横から、補助の先生が、

「先生がやってあげようか」

と手を出す。

園長などの年配たちはさらに甘い。

担任に叱られて泣いている子を見つけると、

「どうしたの〜」

と抱っこする。

担任としては、

どうしたのじゃない。

今、どうしたのかを説明したところである。

こっちは毎日その子と付き合っている。

昨日も同じことがあった。

今日もあった。

おそらく明日もある。

だから、

「自分でやろう」

「それはダメ」

「約束したよね」

と言っている。

そこへ園長が現れ、

「まあまあ」

と抱っこする。

孫か。

昔の私は、そういう場面を見ると、

正直、

「甘やかさないでよ」

と思っていた。

今ここで抱っこしたら、

私がさっきまで話していた五分間は何だったのだ。

担任には担任の積み重ねがある。

園長には園長の抱っこがある。

だいたい抱っこが勝つ。

ずるい。

でも、長く保育をしてきて、

最近は思う。

ああいう人、絶対に必要。

担任は、どうしても先を見る。

ここで手伝ったら次もやらない。

ここで許したらまたやる。

ほかの子も見ている。

明日もある。

来週もある。

進級もある。

気づけば園児を相手に、

かなり長期的な成長戦略を立てている。

でも子どもはたぶん、

そこまで考えていない。

今やりたくない。

今泣いている。

今、先生にやってほしい。

以上。

そこへ、

「今日はいいじゃん」

と言ってくれる大人が現れる。

担任から見れば、

単なる計画を乱す人。

子どもから見れば、

救世主。

昔は、

園長たちがそういう役だった。

「また甘やかしてる」

と思っていた。

ところが最近、

非常にまずいことが起きている。

私が、そっち側になってきた。

しかもまだ担任である。

「先生、これやって」

昔なら、

「自分でできるでしょ」

だった。

最近は、

「はいはい」

である。

早い。

教育的判断が入る隙もない。

誰かに叱られて、こちらへ避難してきた子にも、

「何したの?」

より先に、

「お、来たな」

となる。

しかもそれに可愛くてニヤニヤしてしまう。

昔の私が横にいたら、

絶対に嫌われるタイプの保育者だ。

「先生、そこでやってあげたら意味ないです」

と言われたら、

たぶん今の私は、

「うん、そうだねえ」

と言いながらやる。

たしかに、何でも許せばいいわけではない。

担任だから、ダメなものはダメと言う。

自分でやってほしいこともある。

でも、

園にいる大人が全員、

「自分で」

「約束」

「さっき言ったよね」

で統一されていたら、

子どもも逃げ場がない。

保育はチームである。

厳しい人。

きっちりした人。

よく見ている人。

そして、

それまでの話を台無しにして抱っこする人。

たぶん、それでいい。

昔は園長たちを見て、

「甘いなあ」

と思っていた。

今ならわかる。

あれは甘かったのではない。

役割だったのだ。

……ということにしておきたい。

そうでもしないと、

担任でありながら、

年々「孫か」の側に近づいている自分の説明がつかない。

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