平沢進『パレード』の一考察
ごきげんよう。
みんんさ(みなさん)は『パレード』という曲をご存知だろうか。オセアニアでは常識の”あの”『パレード』を。
日本には、平沢進(以後表記:ヒラサワ氏)という方が存在する。その方はヒト科でいうと歌手という職業だ。
そして、現在執筆している2020年より14年程前、2006年に映画『パプリカ』の劇中歌として曲『パレード』の作詞作曲、歌をつとめている。
その『パレード』という曲を聞いてみれば分かるが、歌詞が極めて難解なのだ。
ヒラサワ氏の歌の中では比較的理解しやすい部類にはなるのだが、それでも相変わらずの初見殺しの歌詞となっている。
今回は「『パレード』の一考察」という名の下に、歌詞という暗号を解読していきたい。
まず、『パレード』という歌詞とその前提となる知識について述べた後、歌詞の意味などを踏まえて考察していこう。
【前提知識】『パレード』の歌詞
まずは、『パレード』の歌詞について。あえて歌詞だけを知れるように元NHKアナウンサー 登坂淳一の活字三昧というYouTubeを見てもらおう。
以下、歌詞である。
胸にエナジー ケミカルの泡立ち
ハイヤーや古タイヤや血や肉の通りを行き
あれがリバティー ユートピアのパロディー
ハイヤーやギガ・ムービーの絢爛の並木は晴れ
マイナーな欝は戯言 バラ色は廉価
いわく幸せと知れ 持ちきれぬほど
瀕死のリテラシー メカニカルに殺す
売人や吊るワイヤーやホルムアルデヒドの通り
乾くシナジー 合成スイートで湿し
高層のメガ神殿に狂乱のファンドの雨
「蒙昧」の文字は書けねど 未来は廉価
なべて迷信と笑え 因果のストーリー
さあ 異臭を放ち来る キミの影を喰い
恐怖のパレードが来る キミの名の下に
轟音のMC シビリアンには致死量
廃人や売るダイアや血に堕ちた道理の通り
あれがリバティー ユートピアのパロディー
頼みはSSRI さて流行のテラスでハイホー
マイナーな説はたわごと 享楽は廉価
努々省みるな 手遅れゆえ
さあ 異臭を放ち来る キミの影を喰い
恐怖のパレードが来る キミの名の下に
さあ 地を埋めつくすほど キミの影が産む
狂気のパレードが来る キミの名の下に
歌詞は以上となる。
さあ。意味が分かるだろうか。
これだけでは全くもって意味が分からないだろう。
その理由としては大きく2つあると考えた。
1つ目は、歌詞に登場する単語自体が難解な用語や日常的に使うことのない単語が多いために歌詞の意味が分からないとなること。
そして、2つ目は歌の作詞作曲を担当したヒラサワ氏自身が特有の考え方や価値観についての理解が浅いために歌詞の意味をとらえられなくなることである。
よって、歌詞の考察に入る前に、もう少し前提となる知識について触れてみよう。
【前提知識】歌詞に登場する単語の意味について
まずは歌詞に登場する難解な単語の数々について理解を深めよう。
意外と単語の意味を知るだけでも歌詞への理解はかなり深まる。また、考察の際にも単語の意味は大きく関わってくるため、一通り目を通すことをおすすめする。
ケミカル【chemical】 化学的な、化学的に合成した
ハイヤー【hire】 営業所、車庫等を拠点とし利用客の要請に応じて
配車に応じる自動車
リバティー【liberty】 自由(闘争、運動を通して手に入れたもの)
バイヤー【buyer】 貿易のため外国から来た買手
絢爛【けんらん】 目の眩むほど美しく、煌びやかなさま
廉価【れんか】 値段が安いこと
リテラシー【literacy】 適切に理解、解釈し、活用すること
メカニカル【mechanical】 機械仕掛けであるさま、
動きが機械のようであるさま
ホルムアルデヒド【formaldehyde】 有機化合物の1種で毒がある
水溶液はホルマリン
別名、酸化メチレン
シナジー【synergy】 二つ以上のものが互いに作用しあうこと、
相乗効果
ファンド【fund】 基金、資金
蒙昧【もうまい】 知識が不十分であり、道理に暗いこと
シビリアン【civilian】 一般市民、文民
SSRI【エスエスアールアイ】 選択的セロトニン再取り込み阻害薬
ハイホー【heigh-ho】 退屈、悲しみ、励ましの叫び
享楽【きょうらく】 快楽に耽り、十分に楽しむこと
【前提知識】ヒラサワ氏のブログ

次に、ヒラサワ氏のブログから窺えるヒラサワ氏自身の価値観についての理解を深めていきたい。
映画『パプリカ』が上映されるよりも前に、少し気になるブログがあった。
ヒラサワ自身のブログPHANTOM NOTESの2003年10月19日のブログにおいて、「時震」という題名で以下のようなブログを載せているのだ。以下引用となる。
久々にカート・ヴォネガットの本を買った。まだ三分の一程度しか読んでいないが、「タイムクエイク」と題されたそのSFストーリーの中で、日本への原爆投下はショービジネスだと書かれている。事実上物理的にも対戦能力を無くし、アメリカに降服を申し出ていたにもかかわらずシカトされ「戦争を終わらせるため」という理由でご丁寧に二回も落とされたあの原爆のことだ。アメリカの高校生の教科書に「日本軍がアメリカ本土に大挙して押し寄せ、大勢の人々を殺害しょうとすることを、それより死人の数が少なくて済む方法で阻止し、世界に平和をもたらした決断」と書かれているあの原爆のことだ。ついでながら、その日本軍とは、すでに武器の材料となる物資も無く、家庭の鍋釜を集めては溶かしてようやく戦闘機を作ったり、基地に張りぼてのゼロ戦を並べていた、あの日本軍のことだ。
ショービジネスとはうまい言い方だ。ところで、まったく同じ方法でいまだに世界は騙され続けているわけだが、そのウソのばかばかしさや陳腐さに対してショービジネスという横文字はスマートすぎる(ところで何でも横文字をスマートだと思う感性はさんざんコケにしたいところだが今はやめとく。しかし、”マニフェスト”なんて気取ってる場合かコラ!)。というか淡泊すぎる。というか、日本人には聞こえが良すぎる。この場合はむしろ日本語で「世界爆発劇場」というようなニュアンスのほうが似合い、かつヴォネガット的だ。などとそう思う。「商売」という言葉も付け加えたいが語呂が悪い。説明過剰も野暮だ。
「タイムクエイク」は2001年2月13日に起こり、世界を1991年2月17日に引き戻してしまうという話だが、既に80歳を超えている作者が”最後の本”としているこの本は1996年に書き上げられたということである。本当にこの作品が最後の本になるなら、それは残念だ。ほんのあと5年、長い人類史のほんの砂粒一つ程度の時間だけ、書き上がるのが遅れて欲しかったと思う。そうすれば「タイムクエイク」は2001年9月11日に起こったかも知れず、その後に続く”人類への愚弄”の数々も小説の中に刻印されたかも知れない。そして何よりも、それらの愚行を一言で表すヴォネガット流の粋な語録を携えて、笑っている場合ではないこれからのウンザリするような世界劇場に、せめて「秘密の半笑い」を懐に忍ばせて対処していけたかも知れないのにと、そう思うのでした。
はい、次はスポーツです。
以上、引用である。
それではこれらの前提となる知識をもとに、以下でブログの内容をふりかえりながら、『パレード』という歌詞について考察し歌詞の理解を深めていきたい。
テーマに関する考察

まず、上述したブログの内容を踏まえると、以下のようなポイントがある。
・原爆投下を正当化するアメリカ
・騙され続ける世界(日本)
・この記事では保留された横文字への批判的な解釈
このことから、ヒラサワ氏はアメリカと日本に対して皮肉的な価値観があることが理解できるだろう。
そして、そのブログを執筆した数年後に作詞作曲した『パレード』
その中の「血や肉の通り」「あれがリバティ(=自由)、ユートピア(=理想郷)のパロディ(=真似事)」という歌詞。
ブログから窺えるヒラサワ氏の価値観を鑑みても、『パレード』のこのフレーズにおける「ユートピア」とは、自由が象徴であるかの大国アメリカを連想させることがわかるだろう。
それでは、自由の国を「パロディ」としている国はどこのことか?
紛れもなく日本である。正しくは戦後占領下の日本と言える。(詳細は後述する。)
つまり、『パレード』のテーマとして、自由の国アメリカと日本の関係における皮肉が考えられる。
したがって、以下からはアメリカ側の視点、日本側の視点の順で考察を深めていく。
その後、最後に”パレード”とは何かについて深堀りしてみたい。
アメリカ側からの視点での考察

それでは、まずアメリカ側からの視点で歌詞を考察する。
上述したように、アメリカは自由(=リバティ)の国である。
そして、現在のアメリカが主張する”自由”とは、南北戦争という「血に堕ちた道理」のもと、戦争で勝ち取った自由という解釈が可能になる。
それだけではなく、アメリカが第二次世界大戦で日本を降伏させたあげく、日本をよりよくするという名目のもと占領する様子は、「いわく幸せと知れ 持ちきれぬほど」と言わんばかりである。
そして、第二次世界大戦後の占領下、平和な生活を渇望する日本と、武力の持たない国を試験的に築きたいアメリカとの関係は、相乗効果がある関係と言える。
まさに「渇くシナジー(=相乗効果)」である。
※占領下のGHQは武力の持たない国をつくったらどうなるかを試したいという思惑があったという逸話がある。(諸説あり)
また、「Give me a chocolate」と渇望する日本人に対し、アメリカ側のGHQがチョコレートを配り、渇望や不満を抑制したことから、「合成スイートで湿し」ていることがわかる。
日本側からの視点での考察

それでは、日本側からの視点で考察をしていきたい。
まず、ブログからもわかるように、ヒラサワ氏は日本に対しても皮肉的である。何でもかんでも横文字を使う、横文字を全てスマートと考える日本の風潮に対して。
横文字、つまり、アメリカの言葉に酔いしれる日本人の風潮に対する皮肉である。それを裏付けるように、『パレード』の歌詞には横文字が多用されている。
横文字ばかり多用する日本人は「「蒙昧」の文字は書けねど」、つまり、蒙昧という母国語の言葉が書けないという意味。そして、そのこと自体を蒙昧(知識が不十分)であるという意味。この二重で蒙昧であると言いたいのだろうと考えた。
また、「瀕死の(=壊滅的な)リテラシー(=知識)」では「メカニカルに殺」される。現代の文字が読めない日本人とAIの関係を予想していたかのような歌詞もある。(参考『AI vs 教科書が読めない子どもたち』)
一方で、「マイナーな欝は戯言 バラ色は廉価」「マイナーな説はたわごと 享楽は廉価」という歌詞から、マイナー(=少数派)の言葉は訳が分からないという言われようである。
ここで言う少数派は何を表すのか?
となると、対になる多数派は何なのか?
以下のように考えた。
・多数派=アメリカに溺れて横文字を多用する大衆
・少数派=数少ないリテラシーのある人々
つまり、アメリカが日本に与えた真似事の自由に溺れる大衆と、それを疑問に感じるリテラシーのあるマイナーという対立構造である。
以上のことから、この『パレード』はアメリカがもたらす「真似事の自由、幸せ」を盲目的に信じ、横文字を多用するリテラシーの低い日本人に対する警鐘なのではないかと。
そして、リテラシーのあるマイナーは大衆に理解されずに埋もれていく様を皮肉る歌詞であると考察した。
”パレード”に関する考察

それでは、以上の考察のふりかえりをしながら、最後に”パレード”とは何かについて考察しよう。
まず、上述した考察のまとめとして、3つのポイントがある。
・戦争により自由を勝ち取るアメリカと、その真似事を強要される日本。
・そして、その偽りの自由を妄信するリテラシーの低い大衆。
・それを疑問に思うと、戯言や鬱だと言われ淘汰されるマイナー。
そして題名にもなっている”パレード”という歌詞が登場するサビパート。
「さあ 異臭を放ち来る キミの影を喰い
恐怖のパレードが来る キミの名の下に
さあ 地を埋めつくすほど キミの影が産む
狂気のパレードが来る キミの名の下に」
自由の国アメリカが「異臭(=母国語にはない横文字)を放ち来る」のだと。
「キミの名の下に(=日本の占領下で)」来るのだと。
そして、「君の影が産む狂気のパレード(=日本自身から放ち来る狂気)」
それはまさしく「恐怖」で「狂気」。
以上から、『パレード』における”パレード”が意味するものとは、アメリカの軍隊進行にあたるパレードを、第二次世界大戦後日本を占領しに来たアメリカのことを比喩する表現であると考察した。
そして、その”パレード”は日本の中からも産まれ、日本がアメリカに染まる様を比喩する表現であると考察した。
そして、ヒラサワ氏がその狂気の沙汰を警鐘する歌こそがこの『パレード』であるのだと。
この『パレード』という歌を、以上のように解釈した。
この考察はあくまで馬の骨を自称していいか分からない凡人の戯言である。
またこんど!
参考
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