“私たち”ベースへの嫌悪感
雨が降り続くと電動スクーターに乗れないので、早めに家を出て鈍行に乗ろうとしたら家から西駅までのバスが数分遅延したせいで乗ることができず。
結局いつもと同じ電車に乗っているんだけど、これだと会社最寄駅には停まらないので20分徒歩るのか小さいバスがまだ待っているのか…と朝から番狂せでイライラしている。
毎日毎日仕事に向かいながら、人に揉まれて職場でも人に囲まれて仕事をするわけだけど、
私は苦手なことがある。
それは主語が常に”私たち“の人の会話だ。
その”たち“に隠されている文脈を完全に相手に丸投げしている。
その”たち“とは部署の人員のことだったり会社全体だったり、プライベートであれば夫であったり家族全員だったりする。
でも、1対1で会話してるのに”私たち“”あなたたち“ベースで話してるのがなんだかムズムズする。
例えば「あなたたちは休暇はどこに行くの?」「私たちはあそこに行ってここに行って…」という風で、完全にその背後にいるもう1人は固定の存在といった雰囲気。
休日の過ごし方も旅行も、あたかも夫や恋人と過ごすのがスタンダード、みたいな。
それを聞き続けることは、自分1人でサッと遠出したり、1人で過ごすことが好きな私にとっては苦痛でしょうがない。
私は自分の家族や恋人など、近い人の話題を基本的に出さないし、主語は完全に私個人、また何かエピソードを話すときは完全に第3者の個人について話すことが多い。
基本的に”私たち“という概念がない。
家族だって、私は他の家族との考え方や行動パターンは全く違うし、今も過去も恋人と自分を”私たち“とひとくくりで形容しようと思ったことがない。
私は私で、結局他人は他人だからその人が何を考えていて何をしたいかなんて私に代表して話すことはできない。
いつのまにか”私たち“が耳につくようになってから、それを聞くのが苦痛でしょうがない。
特に50代のスイス人同僚は、ほぼ全ての会話の主語が複数形で”私たち“だし、唯一三人称単数で夫の名前が出てくるくらいなんだけど
1回彼女と一緒に上司のところにミーティングに行ったとき、
「私たちは」
「彼らは」のオンパレードすぎて、それに対して上司がいちいち
「私たちは誰のことだ」
「彼らは誰のことだ」
と指摘していてちょっとスカッとしたのは言うまでもない。
”私たち“ベースはどの国でもあることだと思うけど、私にとっては苦痛な風習だ。
