「生きる意味」を探して
数日後、私はいつものように教会を訪れた。
聖堂で静かな時間を過ごしたあと、シスターが私を呼び止めた。
「少し、お時間ありますか?」
応接室へ入ると、シスターは一冊の本を机の上に置いた。表紙には、『夜と霧』と書かれていた。
「これは、ヴィクトール・フランクルという精神科医が書いた本です。」
私はその名前を知らなかった。
「アウシュビッツ強制収容所での体験を書いた本なんですよ。」
アウシュビッツ強制収容所、学校の授業で聞いたことがある程度だった。
「もしよかったら、読んでみませんか。」
私は本を受け取った。少し黄ばんだページには、たくさんの人が読んできた跡が残っていた。
その日の帰り道、公園の木陰に座り、私は本を開いた。ページをめくるたび、胸が締めつけられた。想像もできないほど過酷な毎日、明日を生きられるかも分からない世界。
大切な家族を失い、人としての尊厳まで奪われながら、それでも生きようとした人たち。読み進めるうちに、私は何度も本を閉じた。
苦しくて、悲しくて、涙で文字が読めなくなった。
それでも、また開いた。本の中に書かれていたある言葉が、深く胸に残っている。
「生きることから何を期待するかではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ」
私はその言葉を、何度も読み返した。
今まで私は、
「生きてても絶望しかないのに、それに意味はあるのか。」
そんなことばかり考えて生きてきた。
でも、問いは逆だった。人生が私に、何かを問いかけている。その考え方は、私の知らない世界だった。
もちろん、本を読み終えたからといって、急に前向きになれたわけではない。苦しかった過去は変わらない。家族との関係も変わらない。将来が見えたわけでもない。それでもほんの少しだけ、昨日とは違う景色が見えた気がした。
その日から私は、教会へ通うたびにシスターと話し、『夜と霧』について語り合うようになった。
そんなある日、シスターがふと尋ねた。
「大学へ行ってみたいと思ったことはありますか?」
私は思わず笑ってしまった。
「私が、大学ですか?」
高校を卒業してから風俗で働いていた、勉強なんて何年もしていない私に。
そんな未来があるなんて、考えたこともなかった。
「できますよ。」
シスターは迷うことなく言った。
「あなたなら、きっとできます。」
私は何も答えられなかった。でも、その日初めて「未来」というものを、少しだけ想像してみた。このあと私は、シスターに勧められ、大学を目指すことになる。
その話は、また別の機会に書こうと思う。
この頃の私には、まだ知る由もなかった。あの日、教会の鐘に導かれて開いた一枚の扉が、私の人生を大きく変えることになるなんて。
