火星の地下に「巨大マグマ網」が眠っていた──プレートなき惑星の地質的驚異

火星は死んだ惑星だ、というのが長らく常識でした。プレートテクトニクスもなく、表面の火山活動もとっくに終息し、内部はひっそりと冷え固まっている。そんな教科書的イメージを、オックスフォード大学の研究チームが根底から覆す発見を2026年6月、『Nature Astronomy』誌に発表しました。
火星の地下深くには、かつて地球とよく似た巨大なマグマ系が存在していた可能性がある──そう聞いて、驚かない人のほうが少ないでしょう。

InSightが地面に「耳を当てた」

この発見の立役者は、NASAの火星着陸機「InSight」です。2018年に火星へ降り立ったこの探査機の最大の特徴は、火星の内部を「聴く」専用機だったことにあります。隕石の衝突やマーズクエイク(火星地震)が発生するたびに地中を伝わる振動を、高精度のセンサーで記録してきました。お医者さんが聴診器を胸に当てるように、地面に耳を押し当て続けた探査機です。
その蓄積データを統計モデルと熱力学計算で精緻に分析したところ、地表から約24.5キロメートルの深さに、岩石の性質が急変する「境界面」があることが判明しました。これ自体はすでに知られていましたが、その正体がずっと謎だったのです。

岩石の「血液型」が語る真実
地震波には大きく分けて、固体も液体も伝わるP波(縦波)と、固体のみを伝わるS波(横波)の2種類があります。液体のマグマの中ではS波が消える──この性質を使って、科学者たちは地球の核が液体鉄であることを解き明かしました。
研究チームは同じ手法で、その24.5キロの境界を挟んで上下の岩石タイプを特定しました。境界より上側はマフィック岩(ケイ素が比較的多い玄武岩質)、下側はウルトラマフィック岩(マグネシウムと鉄が豊富)という構成です。「マフィック」とはマグネシウムと鉄(ferric)を合わせた造語で、地球の深部や火山地帯でよく見られる岩石タイプです。

この2層構造はどこかで見た覚えがあります。地球の火山弧の地下で、マグマが上昇しながら冷え固まり、軽い成分と重い成分に分離していく過程──まさにその結果として生まれる構造と酷似しているのです。まるで熱々のカレーを長時間放置すると、具材が沈んで上澄みと下層に分かれるように。
「停滞した蓋」の惑星に、地球と同じ仕組みが

火星は「スタグナント・リッド(停滞した蓋)」惑星と呼ばれます。地球のように地殻が複数のプレートに分かれて動くことがなく、表面全体が一枚の固い蓋で覆われている状態です。これまでの常識では、プレートテクトニクスがなければ地殻の複雑な分化は起こりにくいと思われていました。
ところが今回の研究は、プレートがなくてもトランスクラスタル・マグマティズム(地殻を貫通するマグマ活動)が起きていたことを示唆します。マントル上昇流と火成活動が熱を供給し続けることで、地殻内部でマグマが繰り返し分化・進化できたというわけです。この現象はこれまで地球固有のものと見なされていました。
さらに驚くのは、この層構造が火星北半球の広大な範囲に及ぶ可能性があることです。孤立した火山がぽつぽつと存在していたのではなく、数十万平方キロメートルにわたって繋がった巨大マグマ網が地下に広がっていたかもしれない。
「地球だけが特別」という前提が崩れる

この発見が持つ最大の意味は、惑星の「住みやすさ」の条件を問い直すことにあります。オックスフォード大学のジョン・ウェイド准教授はこう述べています。「惑星科学の大きな問いの一つは、地球が特別かどうかです。もし火星がプレートテクトニクスなしにこれほど複雑な地殻を発達させられたとすれば、居住可能な条件はプレートテクトニクスの欠如を理由に退けられてきた惑星にも備わりうるかもしれません」
プレートテクトニクスは、炭素と珪素の循環を通じて地球の気候を長期的に安定させ、リンや硫黄などの栄養素を海洋から陸へと運び続ける「惑星の代謝」とも言える仕組みです。火星にはそれがない。しかし今回の発見は、全く別のルートで複雑な地質進化が起きうることを示しています。
この議論は、先日の記事「火星の生命:新たな発見が示す『生物学的可能性』の証拠」でも取り上げた火星生命論争とも深く関わります。
パーサヴィアランスが発見した生命痕跡の候補岩石「チェヤバ滝」。そこに刻まれた鉄・硫黄の代謝痕と、今回判明したトランスクラスタル・マグマ活動とは、まるでパズルのピースのように噛み合います。地下深くで分化したマグマが地表近くの栄養物質を撹拌し、微生物が利用できる環境を生み出していた可能性は、決して荒唐無稽とは言えないのです。
未来の火星探査が変わる

もう一つ、実用的な観点でも注目したい視点があります。リード著者のマッケイ=チャンピオン博士は「火星には予想以上に豊富な地下鉱物資源が存在する可能性がある」と指摘しています。地球でトランスクラスタル・マグマティズムが起きる地域には、銅・金・リチウムといった大規模な金属鉱床が形成されることが知られているからです。将来の有人探査や資源採掘の観点からも、この発見は火星の価値を一段引き上げると言えるでしょう。
かつて「死の惑星」と呼ばれた赤い世界は、地下に豊かな歴史を秘めた惑星として生まれ変わりつつあります。InSightの探査機はすでに役目を終えていますが、その「耳」が拾い上げた振動は、今もなお新たな物語を語り続けているのです。

参考記事
〇Mars May Have Vast Magma Systems Beneath Its Surface(2026年6月29日)
〇Seismic evidence for a melt-depleted lower crust and transcrustal magmatism on Mars, Nature Astronomy(2026年6月26日)
〇Scientists find evidence of vast hidden magma systems inside Mars, EurekAlert!(2026年6月26日)
〇Enormous, Earth-like magma systems once existed inside Mars, The Brighter Side of News(2026年6月27日)
〇火星の生命:新たな発見が示す「生物学的可能性」の証拠(2025年9月12日)
