見出し画像

【サンフェーデッド】00年代のノスタルヂア

 序

サンフェーデッドに練り込まれた緻密な表現の数々が、存在しないはずの平成を作り出している。まさに色褪せという題名に相応しい名曲である。

ではこの「懐かしさ」とはなんなのだろう?



 本編ほんへ 


 ノスタルジア



"オレンジの屋台"

これはイギリスの写真家ジョン・シモン・ワーバーグが1908年に撮影した写真だ。オートクロームという1903年にリュミエール兄弟が特許を取得した最初期のカラー写真技法を用いて撮影されている。

ちょっとだけ懐かしさを感じるだろうか。
自分が生きていない時代の写真なのに。

今はなくなっているものがかつての姿のままで保存されていた時、あるいは既に消えた風習が目の前で再現された時に、私たちはノスタルジア懐かしさを感じる。それは自分の身に起こった過去の追体験である必要はないのだ。

なお観光人類学におけるノスタルジアの対象としては文化遺産が挙げられる。社会学者である荻野昌弘の指摘によると、文化遺産の形成には他者の生産物を所有しようとする「博物館学的欲望」が働いており、この欲求には保存すべき本物を探し求める特徴があるとされている。

研究者が言うことは概して難しい。
ハナクソ。


 サンフェ歌詞


先ほど語ったノスタルジアを参考にして、サンフェーデッドの最後にうっすら聴こえる英語の歌詞を読んでみよう。

th-th-th-th-th-things made me who I became today without knowing who made them, tapes, records, books, everything I found great was sunfaded.

長谷川白紙の投稿より引用

flippers氏はこの翻訳を「誰が作ったのかも知らないようなものたちが、いまある僕を形作ってきた。それらは例えば記録テープやレコード、本であって、僕が偉大だと思ったものは全部、陽に灼けて褪せていた」としている。名訳。

(sunfadedには-edがついているが、これは現在の状態を表す分詞。過去形ではないので注意。)

今までに語った通りサンフェーデッドでは00年代を基調とする「過ぎ去った時代」を象徴的に描いており、楽曲全体においてもそれがテーマとなっている。そこからある程度読み取れるのではないかな、と思う。

文脈から「誰が作ったか知らないが篠澤広を形作ったもの」と「篠澤広が偉大だと思ったもの」は同一の対象であると判断しても良いだろう。まあファンアートみたいなものだ。

もしそれが陽に灼けて褪せているのだとして、篠澤広はどうなるだろうか。

例えば祇園祭では応仁の乱などの影響で山鉾の設計図・由来書・飾り物の記録のほぼ全てが焼失した。かつて存在した山鉾は消滅して新しい山鉾が生まれ、飾りの意匠は失われてしまった。

しかし祇園祭は時代の変遷に抗いながらも現在まで祇園祭として受け継がれている。ここにサンフェーデッドの抑えるべき点がある。

この継承という行為には社会学者モーリス・アルブヴァクスが提唱した集合的記憶collective memoryが深く関係している。あるコミュニティが共通して持って受け継がれる記憶を指す専門用語だ。

集合的記憶が消えない限り、祇園祭も、篠澤広も、世界から消えることは決してないのだと思う。



いいなと思ったら応援しよう!

広辞苑 頂いたチップは篠澤広の研究目的に使わせていただきます。主に哲学書やその他学問に関する書籍を購入するつもりです。