群馬旅行記(2)-富岡製糸場はなぜ世界一になったか-
このところ、群馬への出張が増えている。2ヶ月で2社4回と、なかなかの頻度の出張となっている。
近県なので日帰りが多いが、3度目の出張で、はじめて観光をした。世界遺産の「富岡製糸場」などが群馬にはあるのだ。
正直、産業遺産はその場所に何かがあるわけではないから、背景知識がないとピンとこない。産業遺産は浪漫を楽しむものなのである。自然遺産なら、その驚異に圧巻されるし、古代の史跡なら歴史を感じて楽しい。ただ、僕はとにかく産業に疎いのだ。
ただ、最近の出張で、見たことによって興味を持つ、調べたことで興味を持つ、そんな経験をしたので少し見てみようと思ったのだ。もしかしたら産業遺産も面白いかもしれないから。
ちなみに、こんな記事が出てきた。
富岡製糸場は、社会の教科書に出てきた気もするが、それが何かよくわかっていない。八幡製鉄所や古墳と同じ様な「名前は知っているけどイメージしにくい」類の遠さを感じる。
僕は明治以降の歴史を教わった記憶が薄い。学校の授業が三学期に江戸時代でタイムアップになったような記憶もある。ただ、知っているということは教わったことがあるのだろう。逆に考えるとそれほど有名な場所ではあるのだ。
富岡製糸場はどこにあるのか
さて、群馬に来たことは何度かあるが、地理が弱く、位置関係がつながっていない。
昔、興味本位で藪塚石切場跡(今となっては公開されておらずいくことはできない)に行ったりしたが、それは栃木寄りだったらしい。高崎と県庁所在地である前橋を縦線としたときに東西で文化圏が違う気がする。
富岡製糸場は群馬の西の富岡市にあり、もう少し行くと長野というエリアにある。といっても高崎から30分ほどでつく気軽な場所だ。
実は複合的な世界遺産
富岡製糸場は世界遺産だが、単独での世界遺産ではなく、2014年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録され、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴という3つの関連遺産も含めて1つの世界遺産を構成している。なので、近辺に行くと、世界遺産のワードがいくつかあり、一瞬混乱した。
特に、荒船風穴は富岡製糸場から片道1時間の距離があり、軽井沢方面なので注意したい。
蚕について書くのは実は3度目
日本では養蚕は極めて重要な産業で、日本神話でも養蚕の場面は出てくる。一頭の蚕の紡ぐ糸はやがて製糸を経て絹となる。その服は豊かさの象徴でもあった。昔の人が追い剥ぎをしたのは、服が貴重品だったからで、ファストファッションの時代とは全く違う。
蚕絡みの話を書くのは3度目で、初回は長野県の諏訪の北の岡谷だった。岡谷には工員さんがいて、製糸の場面を見られた。その点で、視覚的なインパクトがあった。
岩手のオシラサマ信仰も蚕信仰だった。オシラサマの鮮やかな彩りが視覚的にインパクトがあった。
なぜ日本の製糸産業は世界一になったか
絹に代表される製糸産業は日本が世界一になった産業のひとつだが、「なんで?」と思うかもしれない。
江戸末期には、生産できないことを理由に、粗悪な生糸や偽物の生糸を輸出して外国から不満が表明されるような状態だった。
技術がなく、富岡製糸場はそもそも政府が呼んだフランス人ブリュナが選んだ場所に建設されている。技術指導にもフランスから技師を招聘していて、まだまだだったのだ。
世界一になった根っこには当時の大産地のフランスとイタリアで流行った病気「微粒子病」がある。江戸末期の微粒子病で蚕が壊滅し、日本産蚕の需要増加につながる。(石ノ森章太郎のマンガ日本の歴史でも確認した。)
それを踏まえた増産体制が、この富岡製糸場につながっている。
明治維新以降の渋沢栄一らの後押しもあり、富岡製糸場がつくられ、養蚕のトップツーである長野と群馬はその間をつなぐ「絹の道」でつながっていた。この道は開港された横浜港につながり、生糸を輸出していた。日本が輸出するものの6割が生糸だった時代だそうだ。
当初はフランスの技術供与を受けていたことがうかがえるが、諏訪式繰糸機というイノベーションが、生産爆発につながる。
当時はフランス人が赤ワインを飲んでいるのを見て、フランス人に生き血を吸われるなどという流言もあったようだが、偉い人の娘が率先して、工員になったことで噂はトーンダウン。
蚕を育てて繭をつくる養蚕、その糸を紡ぐ製糸。養蚕は農業で製糸は工業だ。製糸と紡績は似ているが、紡績は、紡いでよりあわせるという意味だが、扱う素材がちがう。綿や羊毛、化繊を糸にするのを紡績というらしい。
インプットをしてもわからないことがある
そうしたインプットをした上で訪問し、振り返っての感想だが、どうにも僕にとっては、視覚的なインパクトがない。唯一、まるで操業中の工場がある日突然止まったかのような繰糸所の風景には目を見張ったが、それきりだった。その他の国宝の東西置繭所などは感じ入るものはなかった。
産業遺産が合わないのかとも思ったが、岡谷の製糸場は楽しかったからそうではないかもしれない。解説員によるガイドツアーに参加しなかったからかもしれないし、冒頭の記事にもあるとおり、人が訪れないのには何らかの理由があるのかもしれない。
ただ、行かずに判断するのは早計である。僕は行ったからこうしたことを言えるのだ。
工場見学とかが好きな人には良いのかもしれない。そう、ここは工場と貯蔵庫の跡地なのだから。
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