【購買心理】わんこそばで手が止まった話
あれはいつの頃だったか、高校生の頃だっただろうか。岩手に住んでいた祖父母---いや、当時は祖母だけだったかもしれないが---を訪ね、母と妹とわんこそばを食べに行った記憶がある。
当時はまだ細く、50キロ前後しかなく、少食と見られていたが、蕎麦は好きで、あと数杯で横綱(100杯で横綱)というところまで食べた。
前日、祖母や母がいっとき疎開していた遠野を訪ねたからか、わんこそばを思い出していた。前夜の冷麺、当日のジンギスカンに続き、わんこに惹かれた。
ただ、高校生の自分と50歳に足を踏み込まんとする自分は同じ人物なのかわからないほどに変わっている。
店員さんに聞くと、他店は15杯でかけそば一杯だが、当店は10杯でかけそば一杯であり、3980円で食べ放題だという。
男性は約50杯食べる、つまりかけそば5杯分を食べると聞き、食べることを逡巡する。5杯、食べられるのか。
別にメニューはわんこそばだけではないのだ。新蕎麦でよい。
そこに「お試しがありますよ」という声がかかる。10杯分で1780円(給餌あり)というのだ。給餌なしだと1580円。
平素、富士そばが主食の自分には随分な価格と感じたが、思い出をもう一度という気持ちもある。そして、足らなかったら追加の10杯を600円で注文できるのである。
つまり、食べ放題3980円<お試し1780円+おかわり600x
思考をするより聞いたほうが早いというコミュニケーションお化けの僕は、店員さんに聞く。何杯食べたら食べ放題の方がお得なのですか。
「50杯です」
超高速で、脳内のコンピュータが働く。「(50杯は食べなさそうだが、4回おかわりすると逆に高くなるということか)では、お願いします。」
1杯、2杯、3杯。店員さんの「はい、どーぞ」の声も、じわじわとハイドーゾに聞こえてくる頃、10杯に到達した。
「おかわりしますか」
「お願いします」
20杯になる。
「おかわりしますか」
そうだ、おかわりするたびに600円を課金する仕組みなのだ。
「お願いします」
30杯に到達する。まだまだ食べられる感覚がある。かつての勇姿を思い出し、できる限り自分の限界に挑みたい。ただ、十割そばほどうまくないそばをそんなに詰め込む道理はない。
「おかわりしますか」
なんだろう、この頼みたくないのに注文させられる夜の飲み屋みたいな居心地の悪さは。
再び課金する。
「おかわりしますか」
今、40杯になる。しかし、まだまだ食べられる気はする。
ただ、ここで課金すると食べ放題の金額を超えてしまう。隣の大学生たちは定額で海老天までついているのだ。それを超えるわけにはいかない。
理性が課金を止めた。まだいけた、しかしやり抜けなかった。この気持ちはとても複雑だった。
多くの人はこの店で同じ判断をし、お試しから入って40杯で止めるだろう。
購買心理に関する洞察が得られた。判断は自動的になされなければならないのだ。
さて、会計だ1780円+600(3)=3580円也。3980円を上回ることはなかったが、あと400円で若い頃の自分に挑戦できたと思うと、幾許かの悔恨がある。
思い出を惹起する食事に勝手にブレーキをかけたのは自分だった。こうしたブレーキをかけている場面は他にもあるのかもしれない。なにせ今の僕は当時の僕よりも重力をより感じられる体に進化しているのだ。もっと食べれる可能性すらあったのだ。
