『ほん』になりたい子どもだった|モノカキングダム2025
あなたは『あい』という二文字を見たら、
まず初めに何を思い出すんだろう。
私はね、やっぱりあの、有名な言葉かな。
『日本人が学校で最初に学ぶのは、あいの二文字。
五十音の初めが、”あ・い・う・え・お”だから~』という話。
誰が言い出したのか知らないけれど、
日本語の妙と、偶然の美しさが生んだもののようで、
なんだか心に残っている。
どんな子も最初に学ぶのが『あい』なんだって。
その言葉自体が、なんかもう、愛そのものじゃないか。
子どもに対する祈りだとか、慈愛だとかに満ちている。
己が大人になった今でも、
夢見るように、そうあれと胸の奥底で願っている。
国語教育の根底に根ざしている概念だと思う。
そんな私が、初めて自分で選んだ二文字のことは、
今でもよく覚えている。
あれはまだ私が四、五歳の幼稚園児で。
書初めをすることになったから、
おそらく年が明けて間もない頃だろう。
先生に、「自分の夢」を書きなさいと言われた。
なんでもいいから自分で決めなさい、という言葉が重くて
戸惑っていたけれど、誰も代わりに決めてくれない。
幼い頃の私は、今以上に物事を決めるのが苦手だった。
私はしばらく迷った挙句、真っ白な自分の習字紙に
『ほん』と書くことを選んだ。
そうと決まれば優柔不断が嘘みたいに開き直って
紙一面にでかでかと二文字を塗り付けた。
習字の墨の甘い香りが教室一杯ひろがっていた。
次に先生は、順番に生徒達に聞いていく。
「それじゃあ皆、どうしてその言葉を選んだのか教えて」
それに私は……一体何と答えたのだっけ。
上手く答えられたかどうかは記憶にない。
けれど先生はおそらく勝手に納得したのだろう。
なにせ私は物心がついた時から『ほん』のとりこだった。
おともだちが庭で元気にかくれんぼや鬼ごっこをしている時も、
朝の準備を終えた後も、お布団に入る前も、
私はずーっと『ほん』と共に在り、『ほん』を見つめていた。
もちろんそれ以外の全てが嫌いだったわけではない。
誘われたらおともだちと、ままごとだってしりとりだってした。
それでも、最も長くともに時間を過ごしたおともだちは『ほん』だった。
だから自分の中でも何となくはまとまっていたのだ。
私の夢は――『ほん』になることです。
そこに違和感なんてひとつもなかった。
おともだちが「ケーキやさん」「やきゅうせんしゅ」と
好きなもの、なりたいものの名前を挙げるように、
私は憧れの対象に『ほん』を選んだ。
それから、あの頃の何倍もの歳月を経て、現在。
相変わらず私は“将来の夢”という問いにうまく答えられない。
けれど最近になって、こう思うようになった。
『ほん』って、やっぱり良い夢だったな、と。
周りの出来事や、大切な人の表情や声をよく見て、
考えて、感じて、
そのすべてを自分の内側に静かに綴じておく。
誰かが必要としてくれたとき、そっと“読まれる”存在でいられたらいい。
暇つぶしでもいいし、ほんの少し心に触れるだけでもいい。
そんなふうに誰かの役に立てるなんて、まるで夢のようだ。
さすがにもう、私が本物の『ほん』になることは
難しいというのは理解している。
それでも、こうして日々書き残している言葉たちが、
巡り巡って誰かの手に届くのなら、
それはきっと——
幼い日の夢であった『ほん』に、
わずかでも触れられた瞬間のような気がする。
(1,380文字)
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