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【暮らしの中の、消えた仕事たち ― 家族史と郷土史のあいだで ―】昭和まで残っていた、羅宇屋という仕事の話

【暮らしの中の、消えた仕事たち ― 家族史と郷土史のあいだで ―】昭和まで残っていた、羅宇屋という仕事の話

 

羅宇屋という仕事が、昭和まで生きていたという話

キセルというものを、名前くらいはご存じでしょうか。
主に江戸時代に使われていた、煙草を吸うための道具です。吸い口と火皿、雁首は金属製で、それらをつなぐ「羅宇」と呼ばれる部分は、主に竹で作られていました。中には全体が金属製のものもあったようですが、一般的には羅宇の部分は竹製だったそうです。

竹でできている以上、当然そこは消耗します。定期的に交換や手入れが必要になります。その作業を専門に担っていたのが「羅宇屋」でした。

ここまでは、私も知識としては知っていました。
けれど、その具体的な作業内容について、これほど詳しく書かれた記述を、私はこれまで読んだことがありませんでした。

ところが、ある本の中に、実に生々しい描写を見つけたのです。

それによると――

「キセルを差し出されると羅宇屋はそれを見て、掃除だけで十分と思われるものにはまず蒸気を通す。次に吸い口から、先が螺旋のようになっている太い針金を入れる。その先が雁首まで来ると、太い紙縒を入れて、針金をくるくる回す。紙縒の先が螺旋に巻き込まれたところで、回しながら針金を抜く。べっとりとヤニがついて紙縒が出てくる、というのがキセル掃除の工程であった。そして、もう駄目と見たものは、雁首と吸口を外し、まずその中を掃除して、新しい篠竹をつけた。」

江戸時代にはごく普通であったはずのこの作業について、ここまで具体的に書かれた記述を、私は他に知りません。

今回、念のためネットでも調べてみましたが、キセル掃除の方法について、ここまで詳細に説明された文章は、ほとんど見つけることができませんでした。
そう考えると、この描写は、かなり貴重な記録なのではないかと思います。

さて、この文章がどこに載っているかというと、山本七平さんの『昭和東京ものがたり①』に収められているのです。

キセルや羅宇屋は、江戸時代の話だと思いがちですが、実際には昭和初期までは存在していました。
山本七平さん自身も、こう書いています。

「昭和一ケタの世代でも、知っている人は殆どいない。おそらくわれわれが、羅宇屋なるものが存在したことを知っている最後の世代であろう。」

つまり、江戸時代の日常の仕事が、かろうじて昭和の文章の中に残された、ということになります。

この記述を読んで、私は妙に胸を打たれました。
私たちが「昔」と呼んでいるものの多くは、ほんの一世代、二世代前まで、確かに誰かの生活の一部だったのです。

こうしたことがあるからこそ、家族史で昔のことを調べるときには、できるだけ幅広く、いろいろな分野に首を突っ込んでおく必要があるのだと思います。
歴史書だけでなく、随筆や回想録、雑誌記事、古い聞き書き。
どこに思わぬ手がかりが残っているか、分からないからです。

私自身も、もう少し雑学に励まねばと思いますが、
ご家族の歴史を調べようとする方は、なおさら広く知識を集める必要があるのだと思います。

もっとも、「そういうことは苦手だ」という方も多いでしょう。
そういう場合は、どうぞ私にお任せください。

せっかくですので、羅宇屋について、もう少しだけ続けます。

Wikipediaには、煙管の掃除について、こんな記載がありました。

「パイプ用の掃除具や紙を捻った紙縒などの細い物を管に通してヤニをとる。煙管全体が金属製の場合は、ぬるま湯に浸けおくとふやけてくるので掃除がしやすい。」

全体が金属製のものは、ぬるま湯に浸して掃除していたのですね。
管の長さによって煙草の味が変わるとも言われていますから、掃除の仕方によっても、微妙に味が変わったのかもしれません。

さらに、羅宇屋の歴史については、こんな記述もあります。

「1964年には東京で4軒だけとなっており、2007年には『刻みたばこの歴史~実演と展示~/東京羅宇屋物語』という展示が行われ、“東京最後の羅宇屋”中島留四郎氏の道具が展示された。現在、その用具は同博物館が所蔵している。」

1964年といえば、高度経済成長のただ中、東京オリンピックが開催された年です。
そんな時代まで、この家業が静かに続いていたのだと思うと、なんとも感慨深い気持ちになります。

キセルを吸う人も、羅宇屋も、今ではほとんど姿を消しました。
けれど、こうして文章の中では、今もその手仕事が生き続けています。

歴史とは、年号や事件だけでできているのではなく、
こうした名もなき仕事や、手の動きや、暮らしの癖の積み重ねなのだと、改めて感じさせられました。
文章を読むという行為は、
時間を越えて、誰かの生活にそっと触れることなのかもしれません。

そんなことを、羅宇屋の話から、ふと考えた次第です。

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