『マルテの手記』「詩は感情ではなくて ⎯⎯ 経験である」こうして本書を書き、リルケは詩人になった
改訂版発行年/1973年
北杜夫さんの処女長編『幽霊』について辻邦生さんは、
『幽霊』についていえば、トーマス・マンの影は、(略)作品全体にちりばめられた、マンふうの批評的分析的な語句のなかに見いだされる。
と、トーマス・マン的な面について述べておられるけれど、北杜夫さんご自身はこの作品について、むしろ『マルテ』からの影響を語っておられます。
そして、そんな北杜夫さんに『マルテ』を教えたのは旧制松本高校時代の恩師、望月市恵氏であり、僕も辻邦生さんや北杜夫さんの著作からマンを知り、その訳者が望月市恵氏だったので、『マルテ』もやはり望月氏の訳で読みたいとおもっていました。今回『マルテの手記』を読むにあたり、岩波文庫版の望月市恵氏訳を選んだのはそういう理由からです。
1.リルケはなぜ『マルテの手記』を書いたのか?
本作を読み進めながら僕がずっと考え続けた疑問が、なぜリルケは『マルテの手記』を書いたのか、ということでした。
今更言うまでもないことですが、リルケは生活のために彫刻家ロダンの『ロダン論』などを書くべくパリに出て、そのパリでの暮らしのなかで書き綴っていったのが本作です。途中、パリを離れてイタリアなどへ旅行もしたのち、書き始めたのは1904年だそうです。
本作は短い断章から成っていて、それは全部で71とのこと(望月版では各節と節のあいだに空きがあるのみで、自分で数えてみたわけではありません)。そして、それぞれの断章はどうやらきちんと企画され、計算されて書かれたものではなさそうです。それは、それぞれの節から受けるイメージが微妙に異なることからもわかります。
おもうに、リルケは思い立つごとに、都度書き溜めていったものを、レンガを積み上げるように組み立てていったのではないでしょうか? そう考えたとき、僕はこれは普通の小説のように初めから読んでいかなくてもよいのだ、と、おもい至りました。すると、リルケがこれを書いたというその心情にも近づくことができる、そんな気がしたのです。
都会での暮らしは、特に初めて田舎から出てきた者にとってはなかなか慣れないものです。時には押しつぶされそうになることもあるでしょう。精神的に参ってしまうこともあるかもしれません。リルケも初めはそうだったのではないでしょうか? けれどリルケはそれを書いた。いや、誰より鋭敏な感覚が彼をしてそれを書かせずにはおかなかった、そんな気がしてならないのです。ただ、それは全編に渡って、ということではありません。途中から明らかに印象が変わってきます。
2.死ぬために人が集まる街、あるいは愛すること
本作の前半は明確に「死」に寄り添っています。誰もがテーマとして取り上げる、オープニングの、
こうして人々は生きるためにこの都会へ集まって来るのだが、僕にはそれがここで死ぬためのように考えられる。
によってもそれは明らかです。けれど、その気分はそこまで強烈なものではありません。幾つもの「死」が語られたり、幽霊が出たりするけれど、(前半部分においては特に)僕はある節では『失われた時を求めて』的、またある節では『鏡のなかの鏡』だったり『リリス』的なものを、時にはファンタジーのような印象まで受けることがありました。ことほどさように、『マルテ』は「死」によって深く覆われているものではなく、人によっていろいろな読み方ができるものなのではないでしょうか?
さらに、特に父が亡くなる前後からは明らかに、「死」の暗さから離れてゆきます。父の「死」に合わせていろんな「死」が語られ、マルテは不安や恐怖を覚えているけれど、そののち、パラノイア的な記述と二つの物語を経て、テーマは「愛」に変わってゆきます。書き溜めてゆくうちにリルケの中に何かちょっとした変化があったと ⎯⎯ そんなふうには考えられないでしょうか?
3.リルケがマルテ・ラウリス・ブリッゲを創造した理由
本作は作者のリルケその人でなく、リルケが創造した<マルテ・ラウリス・ブリッゲ>という一人の若き詩人が物語る、という形が取られています。リルケ自身、マルテは自分ではない、ということを言っているけれども、71ある断章のなかでは、明らかにリルケ本人が登場しているとしかおもえない部分もあったりします。けれどそれはそれとして、リルケがマルテという人物を創造した、というそのことについて考えてみたい。
本作のなかで、リルケはマルテに次のように語らせています。
詩は一般に信じられているように、感情ではないからである。(感情はどんなに若くても持つことができよう。)しかし、詩は感情ではなくて ⎯⎯ 経験である。一行の詩をつくるのには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。動物の心を知り、鳥の飛ぶさまを感じ、小さな花が朝(あした)に開く姿をきわめなくてはならない。
もちろんこれはリルケ自身の言葉であり、訳者望月市恵氏の解説によれば、リルケはこうした考え方を尊敬するロダンから学んだようです。であるならば、リルケはこの考え方に則って、マルテという第三者を創造したのではないでしょうか?
勝手な想像だけれど、リルケは最初は日記のようなものとして、これを書き始めたのかもしれない。けれど、それではどうしても自分の感情が先立ってしまう。そこで、マルテ・ラウリス・ブリッゲという、自分とは違う人物を創造し、彼に語らせることによって、感情ではない、客観的な経験談としてこれを形にしたのだ ⎯⎯ そう考えることはできないでしょうか? そうすることで、リルケは『マルテ』以前の自分から徐々に脱却し、新たな詩人になっていったと、そんなふうに想像することはあながち間違いではないと僕はおもうのです。
4.ちなみに
①本作に 聖書の蕩児の物語というのが出てきますが、それはこんな話です。
ある裕福な男のもとに二人の息子がいた。ある日、弟が父に向かい、財産の分前をください、と言ったので、父は二人に財産を分け与えた。するとしばらくして弟はその財産を金に換え、家を出てしまった。そして弟はその金をあっという間に散財し、一文無しになってしまった。仕方なく弟は雇ってもらおうとある人のところへ行ったが、その扱いはひどいもので、弟はついに耐えられなくなり、父のもとでは雇人にさえたくさんのパンがあるのだから、自分はそこへ戻って父に謝り、せめて雇人にしてもらおうと戻ることにした。
そうして父のもとへ帰り、父に許しを乞うて、せめて雇人にしてください、というと、父は喜び、息子の身なりを整えるために立派な衣服を買い与え、子牛を一頭屠って祝宴を開いた。
これを見ていた兄は怒り、父に向かって、自分は何年もの間父に仕え、言うことを守って働いてきたのに、自分が友だちと宴会を開くときには子山羊一頭さえ屠るのを許してくれない。なのにこれはいったいどういうわけか、と問いただした。すると父は兄に向かって、
おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。しかし、弟はこれまで死んでいたのに生き返った、いなくなったのに見つかった。祝宴を開いて喜ぶのは当たり前ではないか、と言った。
②辻邦生さんには最晩年の著作に『薔薇の沈黙/リルケ論の試み』という評論があります。実はこれは僕自身、リルケを何も読まないうちに読むわけにはいかないと、まだ積読のままになっていたりします(汗)。今回『マルテ』を読んだことで、ようやくこれにも手をつけることができそうです(詩集は読んでいました)。
北杜夫さん、辻邦生さん以外にも、例えば三島由紀夫やもっと最近の作家の方々も、『マルテ』から影響を受けた方は大勢いらっしゃいます。何がそんなに惹きつけるのか、一度読んだきりではまだ明確にはわかりません。これからもそのときどきで、『マルテ』とは関わってゆくことになりそうです。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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