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写真を撮る理由

ふと考えた。
僕が写真を撮る理由

誰のため、何のために。

そういえば、どうして写真をはじめたんだっけ・・・・

最初にカメラを買ったのは今からちょうど10年前。

長野県の山奥で見上げた星空があまりに綺麗で、
その感動を写真に残して記録したい!そう思ったのがきっかけだ。

星空を撮影するには、露出の三角形やマニュアルでのピント合わせ・三脚の使い方など、写真の基礎全般を習得する必要があった

満足する星景写真が撮れるようになった時には、カメラをひと通り使いこなすことができるようになっていた。
さらに天候や月の満ち欠けなど、観測に適した環境条件や自然現象に関する知識も得ていた。

スローシャッターでサラサラした滝が撮れる!夜景も撮れる!
雲海も、虹も、光芒も出現を予測し出会える!!!

こうして絶景を撮り求めるようになり、SNSでシェアして評価を得るようになった。

SNSでいいねを伸ばすためには
ポエムみたいなキャプションを書いたり、毎日投稿したり、
インフルエンサーに媚び売ったりフォロワーと馴れ合ったり・・・

そんなことを頑張ってみた時期もあるんだ。

おかげでX(旧Twitter)のフォロワーは2000人を超え、
投稿には数百のいいねがつくようになった。

ただ、そんな日々を繰り返していると
「毎日投稿の写真を切らさないために撮影へ行かなくちゃ!」
「フォロワーにウケがいい写真に仕上げなくちゃ!」

だんだんと写真を撮るのが楽しく感じられなくなった。
自分の写真を自分で好きと思えなくなった。


だから考え直した。

自分の写真は自分自身が最愛のファンでありたい。
数百人に広く一刻評価されるより、
たったひとりでも(例えそのひとりが自分自身だったとしても)
深く永く心に突き刺さるものを生み出したい。

僕が本当に撮りたいものは何だろう?
そう自問自答を繰り返して思い浮かんだのが、家族であり日常だった。

きっと10年後に見たいのは
誰も見たことがないような絶景よりも、
僕が毎日見ていた当たり前の日常だ。

さあ、冒頭の問いに戻る。

僕が写真を撮る理由。
写真活動の遍歴を振り返り、辿り着いた答え。

それは、だ。
それも "いつか僕がこの世を去ったあとの君" へ。

その未来は数十年後かもしれないし、明日かもしれない。

僕が見てきた世界を共有したい。
僕にとっては日常であっても、娘にすれば見ることができないあるいは憶えていない光景だし、自分の親がどんな世界を見ていたのか子どもとしてはなぜか気になるものだ。

そこでパパの目には世界がこんなにも美しく写っていたのかと驚かせてやりたい。

そしてなにより、
その世界でいちばん輝いて見えたのは私の姿だったんだと。

それに気付けたら、君の世界もきっと輝く。

延べられた手を拒んだ その時に 大きな地震が起こるかもしれない
延べられた手を守った その時に 守りたかったのは自分かもしれない
歳を数えてみると 気付くんだ 些細でも歴史を持っていた事
それとほぼ同時に 解るんだ それにも終わりがくるって事
君の存在だって いつでも思い出せるけど
本当に欲しいのは 思い出じゃない今なんだ
君を忘れた後で 思い出すんだ 君との歴史を持っていた事
君を失くした後で 見つけ出すんだ 君との出会いがあった事
誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる
        ーーー supernova / BUMP OF CHICKEN

震災から15年。
当たり前の日常がどれだけ幸せであるか心に刻み、明日を歩む。

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