28歳で原発不明がんになっても諦めなかった男 Part5
2024年2月 がんセンター③ 軌道に乗り始めたと思ったら
なるべく家族と一緒にという主治医の意向と、CRP値は高いものの感染のコントロールがつき体調も少し改善してきたため、2月上旬に一時退院した。
その後再入院し、予定していたCVポート留置とニボルマブ(2回目)も無事終えた。奇しくも29歳の誕生日に抗がん剤という全く嬉しくないプレゼントだった。
しかし一時退院できたものの、急な発熱で臨時受診し2月末から再び緊急入院することになった。
2024年3月 がんセンター④ しつこい腫瘍内感染 ついに開腹手術
CRPは30とまたぶり返し。ここからは先が見えない闘いだった。感染をコントロールできたタイミングでニボルマブ(3回目)を行う予定だったが
抗生剤が効かない
↓
種類を変える
↓
少しCRPが下がる
↓
しばらくするとまた上がる
↓
また抗生剤を変える。ループ
予定していたニボルマブは投与できずどんどん後ろ倒しに。2週間おきの投与が出来なくなり、身体の中でどんどんがん細胞が増えているのではと毎日が怖かった。
体のある部分が痛むと、これはがんの痛みではと憂鬱になっていた。
ニボルマブができないストレスを抱えながら主治医と話した結果、投与後のCT画像では腫瘍は縮小しておらずニボルマブの効果は横ばい。そして自分は本来ニボルマブができる容態ではないことを説明された。
抗がん剤は副作用を考慮し、感染が無い状態で投与するのが一般的だからである。
現実を突きつけられ呆然とした。
精神状態としてはここが一番ピークだった。家族に会えない孤独と重なり、自分はやっぱり死ぬのだと悟った。
覚悟を決めようと自分の死を受け入れようとした事がある。すると途端に涙が出てくる。頭の中に家族の姿が出てくる。毎日死を受け入れようと考えるが、家族を思い出して死にたくないと思った。
ここで死ねないと思った。死を受け入れると頭がおかしくなりそうだったので気持ちを切り替えた。
「余命1か月は乗り越えたからここからはボーナスステージだと思ってやるだけやってみよう」と。
頭のスイッチを切り替えるイメージだ。そこからは再び精神が安定してきた。
しかし、それとは裏腹に体調は少しずつ悪くなっていた。薬で微熱程度に抑えていた熱が39℃近くまで出るように。
身体が鉛のように重い。食欲は無い。味覚異常もそのまま。吐き気も常にある。刺入部も痛い。寝付きが悪く眠れない。体重はすでに15kgも痩せていた。
再入院から約1か月耐えたが、感染のコントロールがつかないため遂に開腹手術することになった。
開腹については前々から話が上がっていたが、臓器と腫瘍の癒着がひどく手術不可だった。そのため今回は腫瘍は取らず、腫瘍内の膿を掻き出すというものだった。
もっと早くやれば良かったのかもしれないが開腹は侵襲が大きい。私のような若者だったから適用できたが、高齢者は体が耐えられず却下のはずだ。また転移があれば無駄骨の可能性もある。
何とか手術を乗り越え、これを転機に容態は上向きになる。熱は引き始め食欲が出てきた。味覚が戻りなんでも食べられる気分になった。身体が急速に元に戻るように感じ嬉しかった。
硬膜外麻酔無しだったので術後はかなり痛かったけど…
2週間ほどで退院しニボルマブ(3回目)は次回外来日で経過を見てからとなった。
腫瘍を摘出したわけでもなく、爆弾は抱えたままだがこれから安定してニボルマブを投与すればもう少しだけ生きられると思った。
