28歳で原発不明がんになっても諦めなかった男 Part1
※この投稿の目的は私自身の闘病を記録する事はもちろん、原発不明がん患者ならびに同患者をご家族に持つがんサバイバーの生きる意欲・目標へと繋がる事を願い作成しています。
2023年12月原発不明がんと診断されたが、2025年1月現在、経過観察移行し、同2月に職場復帰予定である。
良い意味で治療に一区切りつけることができたため、闘病記録をここに書き留める。
(追記:残念ながら2025年7月に再発が分かったため、治療に一区切り付けられませんでした泣)
結論から言うと、約1年の治療で経過観察まで漕ぎ付けたが、標準治療のみで民間療法は全く行っていない。ただ運が良かっただけである。
原発不明がんについて調べてもネガティブな情報がほとんどなのが実状である。あくまでも私個人の体験談のため、同病の方全員には当てはまらないと考える。
しかし、原発不明がんと診断されても経過観察移行まで回復した体験談を知ってもらうことで、誰かの生きる意欲・希望となれば幸いである。
よって何かを広告・宣伝するつもりは無い。当時の心境を思い出しながら書き記しているため、重たい内容であることご了承いただきたい。
2023年10月 自覚症状
最初に身体の異変に気付いたのは背中の痛みだった。仰向けで眠れずうつ伏せでしか眠れなかったがただの筋肉痛だと思った。
その1週間後、食欲減退が始まった。ラーメン1杯食べると満腹になってしまい腹痛も生じた。鳩尾が痛み、棒でぐりぐりされているような不快感だった。
それでも軽い食当たりだろうと考える程度で、市販の痛み止めを飲んでごまかしていた。
2023年11月 クリニック 悪性リンパ腫疑い
改善するどころか痛みは増し24時間常に痛い状態だった。
それでもしばらくしたら治ると考えていたが、妻から「24時間の腹痛はさすがにおかしいから病院行って」と言われ、最寄りの消化器内科クリニックを受診した。
この時は簡単な診察のみでストレスから来る胃炎と診断され、胃粘膜保護剤を処方された。
病院を受診するのがもっと遅かったら更に恐ろしいことになっていたかもしれない、と今になって思う。
薬を飲み続けたが、症状は変わらず2回目受診。胃カメラをする事になったが、空きが無く1週間待たされた。
ようやく胃カメラした結果、胃にガスを入れ膨らませても胃がほとんど膨張しないことが分かった。
「何か」が外側から胃を圧迫している状態だった。
先生はすぐCT撮影をしてくれる病院を紹介してくれ、紹介先の病院でCT撮影を行った。
病院から「結果はクリニックへ送付するので1週間後問い合わせて」と言われたが、痛みで待ち切れず次の日にクリニックへ結果が届いていないか問い合わせた。
クリニックは「そういった案件は受け付けていないので1週間は待つように」と言ったが、すぐに折り返し連絡で「結果を伝えるから至急来院するように」と指示された。
この時、何かヤバイ病気が分かったのだと直感した。一人で来院するつもりだったが、急に怖くなり妻にも同席してもらうよう頼んだ。先生の話を一人で聞く勇気が私には無かった。
診察室で先生がCT結果を説明してくれた。「胃横に11cmの腫瘤がある」とCT画像を見せてくれた。お腹に対して約半分のサイズの腫瘤が有り、それが胃をぺしゃんこに押しつぶしていた。
素人目に見ても尋常じゃないことが分かった。

カルテにはGISTか悪性リンパ腫の可能性が高いと書かれており、血液内科を備える総合病院の紹介状を頂いた。
この時点では自分自身はある程度冷静ではあった。突然の事過ぎて状況を受け入れていなかったような気がする。
もしくは精神を保つため脳が拒否していたか。
クリニックから出て妻に「これヤバイかな」と言うと「ヤバイに決まっている」と即答された。
妻は看護師で病棟(腫瘍内科)での勤務経験がある。がん患者を直接何人も相手にしていた人だ。
がんの怖さを知っている。
後で聞いたが、診察中にカルテに書いてあった<腹膜播種を示唆>で頭が真っ白になっていたそう。
二人で帰り道に寄ったドラッグストア内で、ようやく私の脳は現実を受け入れ始め、自分はもうすぐ死ぬのだと涙があふれてしまった。
泣きながら買い物したので店員は気味悪がったかもしれない。
ここから先は正直あまりよく覚えていない。お店の外で妻に何度も「ごめんなさい」と謝っていた事だけ覚えている。
夜は2歳の娘とお風呂に入ったが、いつものように元気ではしゃいでいる娘を見て涙が止まらなかった。
娘にも「ごめんね」と繰り返し言った。そんな私を見て娘は不思議そうな顔をしつつも、「泣かないで!大丈夫だよ!」と言ってくれた。
優しい子に育ったなと思う。
子供の成長を見られるのが当たり前だと思っていたが、もうこれ以上は見られないのだなと悲しかった。
