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28歳で原発不明がんになっても諦めなかった男 Part2

2023年12月 総合病院(血液内科)からがんセンター①転院へ
 すぐ紹介先の病院を受診しCT画像を確認してもらった。ここでも悪性リンパ腫を示唆された。

一口に悪性リンパ腫といっても型が100種類以上もあり、悪性度が高い型から比較的低い型まで様々だという。

治療方針を確定するためにも、とにかく最短で生検を行う必要があった。

生検方法は胃まで内視鏡を入れ、そこから胃壁を貫通し、腫瘤にアプローチし細胞を採取するものである。

結果が出るまで自宅待機だったが、生検から数日して突然発熱が始まった。解熱剤を服用するも切れるとすぐぶり返す状態だった。

 何日か我慢したが生検から1週間後、身体が耐えられず臨時受診した。そこでCRP19 mg/dlと異常値であることがわかり、敗血症の危険性から緊急入院することとなった。

※一般にCRPは体内の炎症反応の度合いを示し、基準値は0.3mg/dl以下で10mg/dlを超えると入院を要す。高値だと何らかの感染やがんの腫瘍からくる腫瘍熱等が疑われる

 入院中、生検の速報を聞いたが悪性リンパ腫・胃がんともに陰性だった。

それじゃ悪性腫瘍じゃないのではと聞いたが、LD(乳酸脱水素酵素)値が450と高いから悪性腫瘍は確定と言われた。

ギリギリで大どんでん返しがあるかと期待したが、人生そんなに甘くないのだなとがっかりしたのを覚えている。

精査するために再度胃カメラや大腸カメラ検査も実施した。胃が8割圧迫されている中、ニフレック2Lは地獄だったが気合いで乗り切った。

 入院中は抗生剤の投与と解熱剤内服の対処療法のみで、結果が出るまでひたすら耐えるしかなかった。関節痛の無いインフルエンザのような感じで体温は最高で39.6℃まで上がった。

 入院4日目から腹部の膨満感と痛みが増しCRPも30まで上昇した。日に日に腹痛のレベルは上がり、改善する兆しが見えなかった。

活動レベルは徐々に低下していたが、まだ自力でトイレ・病棟内を移動するのは可能だった。

しかし痛み止めはロキソニンでは対応できず、医療用麻薬ナルサス・ナルラピドを追加することとなった。

 入院6日目、母と兄家族がわざわざ九州から駆け付けてくれた。母はひたすら泣いていた。自分も父親になったから分かるが、子供が辛い病気になったらどんな心情なのか分かる。

代われるものなら代わってやりたいと思っていたのだろう。

申し訳なかったが、この時は治療が始まれば何とかなるだろうという気持ちだった。

とにかくやるしかない・ネガティブなことは考えないようにしていた。元々の性格もあるが、何となく精神が後ろ向きになると全てが転がり落ちそうな感覚があった。

兄は私と同じ楽観的な性格ではあるが、流石に冗談は言わず真剣に会話してくれた。

 この時から味覚変化も始まり一部の味付けを受け付けなくなった。原因は不明である。

入院から9日目、発熱は続いていたものの抗生剤が効いたのかCRPが減少傾向となり、入院12日目で一時退院することとなった。

結局、入院中は抗生剤の投与のみで腹部の膨満感に対し何も対応はされなかった。後から分かったが、腹部の膨満感は腹水からくるものだった。

 一方、悪性リンパ腫は否定的であったため、血液内科ではなく、最寄りのがんセンターの腫瘍内科がより適当ということで、退院後の外来を以ってこの病院での受診が最後ということになった。

本来ならば体調も悪化していたのですぐにでも転院したかったが、主治医の外来担当日の都合上1週間先の診察となった。

病院のシステム上しょうがないが、体調が悪い中不必要に待つのはかなりのストレスだった。最後の受診は「〇日にがんセンターを受診してもらう」とだけで内容はあってないようなものだった。


 転院を控えている間、体が動ける内にと家族でアンパンマンミュージアムに行った。最後かもしれないなと娘と妻の姿を何度も目に焼き付けた。

翌日から体調が急激に悪化し、ナルサス・ナルラピドを服用してもほとんど効かなくなっていた。痛みにより普通に歩くことは困難で、自宅では常に臥床している状態であった。

この時点で最初にクリニックを受診してから1.5か月経っていた。

 原発不明がんの怖い点の一つは特定に時間がかかり、それにもかかわらず病気は否応なく進行する点であると言える。

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