歌詞に嫉妬する話。
私は日常的に音楽を聴いている。プレイリストはたまに増えることもあるが、基本昔からずっと固定されたまま。嫉妬の炎に身を焼かれる思いをしながら、今日も音楽を聴いている。
嫉妬をする理由は簡単で、私には歌詞が書けないからだ。
そもそも音楽理論を知らないとか、そういうことは一旦置いておいて、メロディに乗って奏でられる歌詞はその人の剥き出しの信条、信念、あるいは怨嗟のようなものが込められている。
日本語を書くことはできるのだが、直接的に心に衝撃を与えるようなストレートパンチを放つのは得意ではない。
多分色々考えてしまうからだと思う。安全圏から言葉を吐くことを誠実という見方もできるかもしれないが、自分にできないことをしている人を見ると、絶対に使いたくない「すごい」という言葉がどうしても出てきてしまう。
もう一つは表現力だ。
こっちはもっと露骨に私の嫉妬心をくすぐってくる。
例えばこの時期になるとよく流れる松任谷由実の『春よ、来い』
淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
世界観の立ち上がりがあまりにも速く、そして美し過ぎる。
極限まで圧縮した情景描写と視線誘導の極致だ。
こっちは普通に歩いていただけなのに、いつの間にか私の背後に日本刀を持った居合の達人が立っていた。
正直もうこの時点でここから先を聴きたくないのに、私の耳はそれを止めることを許さない。
下唇をギリギリと噛み締めながら、何とか一番を聴き終える。既に息切れ寸前だが、まだ耐えることができる。美しいと言っても、その情景は若干遠景、そして抽象世界の中だからだ。
しかし、一番のラストに置かれた
愛をくれし君の なつかしき声がする
渾身の左ストレート。
リング際、逃げ場を失った私。
飛んで来るのが分かっていても避けることができない。ゆっくりとスローモーションのように顔面に向けて放たれた必中の拳が、私の意識を無限の彼方へ消し飛ばす。
そして薄れゆく意識の果て。
視界の端がぼんやりと捉えた右アッパーが、私の顎を打ち砕き頭蓋骨ごと脳みそをシェイクする。
君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
前座だったのだ。あれほど、あれほど美しい一番が。
舞台はここから一気に抽象から具体に降りていく。どこまでも詩的に、流るる雨の如く。
ラストコーラスを聴いている時、私の意識はとっくに空の彼方へ飛んでいる。なんなら南極まで飛んでいる。そして宇宙の風に乗って散る。
端から見れば頭のおかしいオジサンがよだれを垂らして上を向いている。
場所が場所なら通報されてもおかしくない。
この曲を聴くたびに私の心はズタボロになる。だが、ズタボロになりながらも聴かずにはいられない。
季節とか関係なしに、一年中聴いているので、昨年のspotifyではトップリスナー何パーセントだかに選ばれた。
過去、私は何度も歌詞を書こうと挑戦したことがある。
だが、どうしてもできない。
頭の中に何かの針が刺さって抜けない感覚。
脳みそをかき回したくなる。別にそれっぽい表現自体はできると思う。
世の中の曲を見ても、変に奇をてらったものばかりでもないだろう。
なのに何で書けないのか。
知っている。自分が納得できないからだ。
それっぽい言葉じゃ、私は納得できない。
もっともっと自分を壊して、感情を露出させて、それを歌詞という芸術に落とし込めなければ私は納得することができない。
長い年月がかかるかもしれない。
私に、春は来るのだろうか。
そして、春が来たとして、それを私は歌にできるのだろうか。
ちなみにもう一曲、私が嫉妬の炎で焼け狂いそうになるものがある。
それは宇多田ヒカルの「First Love」だ。
だが、今日はこれ以上書くと私の精神が崩壊する恐れがあるので、あとはハッシュタグに丸投げする。
