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最近のムスメの話。

ムスメはタブレット学習をしている。その日、3つほど「今日のミッション」という学習単元を与えられ、それをクリアするとご褒美がもらえたりと、そんな感じのものだ。

内容は色々ある。それこそ最初の方は結構簡単だったが、ここ最近になって少し難しくなってきた。とはいえ、その中でもムスメが比較的好きなものに絵本がある。

一応タブレットは私が見ることになっているので、その日の単元を確認した。桃太郎の英語版だった。さすがにちょっと大人でも興味をそそられる。気づけば私とムスメ、二人で食い入るようにその画面に吸い込まれていた。

桃太郎の物語自体をあえて語るまでもないだろう。だが、そこは現代のタブレット、色々な仕掛けがある。おばあさんが桃を拾って家に帰った時、「縦にスワイプしてね」と矢印の指示が出る。

ムスメは手に持ったタッチペンでそれをなぞる。すると、桃から桃太郎が生まれてくる。ここまではよかった。だが、次の瞬間私が余計なことを言ったせいで物語は急転する。

「あのさ、桃太郎が出てくるのは分かるけど、なんでこのモモの中にはモモの果肉も種も無いんだろうね」

表現・・だからね、そういうもんなんだよ、絵本とかお話ってね」

なんだろう、この違和感。確かに表現ではある。間違っていないし、事実だ。それなのに、背中に氷を落とされたようなヒヤリとした冷たさが私を襲った。

とりあえず、「まあ、そうだね、表現だね」とその場では収めた。

別の日、ムスメと手遊びをしていた。
手でチョキを作って、「ちょっきんな」と私が娘の手首を挟む。
ムスメは言った。

「パパ、それって表現だよね?」
「うん、そうだよ、表現に決まってるよ」

ムスメはポツリと言った。
「——よかった」

もし、あの時、表現じゃないと言っていたらどうなったんだろう。
私の心にそんな感情が渦巻いた。

今でもまだこのモヤモヤとした気持ちは取れない。

ムスメはとても大人びたことを言うときがある。例えば、大好きだったお友達が親の転勤で地方へ行った際、「大丈夫だよ、私の心の中ではお別れしてないからずっと一緒にいるし、いつでも会えるんだよ」と言っていた。

なんとなく、男の子とか女の子とかそういう括りではない、何かよく分からないものがこの子にはある気がしている。そして、それをよく分からないなりに受け止めながら毎日を過ごしている。

ところで、昨日は少しいつもより寝るのが遅かった。
そういうとき、我が家では決まって「ねないこだれだ」に登場してもらう。

「あ、〝ねないこだれだ〟が駅の方まで来てるかもよ」

そう言うとムスメは「いやだああああああああ」と言って、枕元に顔をうずめそのうちスヤスヤと寝に入った。

「今日も一日、お疲れ様」
そう言って妻と顔を見合わせる。

その寝顔はどこまでも愛らしい。
ムスメにとって「ねないこだれだ」はまだ〝表現〟じゃないらしい。

いや、それとも——。


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