短編 黄昏レゾナンス。
『黄昏レゾナンス』、それは2006年に発売予定だった青春SF恋愛ADVだ。
残念ながらレーベルが倒産し、発売までは至らなかった。
大々的なプレスも打ち出しており、発売を待望していたファンからは当時落胆の声が大きく上がった。私もその一人だ。
だが、私はこの度シナリオライターのK氏にコンタクトを取ることに成功した。インタビューの最後、彼が私に手渡したのは大きなバインダー。それはA4用紙500枚にも及ぶ、本作のシナリオ原稿。手垢にまみれ、朱書きだらけの彼の軌跡そのものだった。
残念ながら、本作の全てをここで明らかにすることはできない。だが、K氏から、この度ラストシーンのみを私がノベライズすることで公開する許可をいただいた。
発売されていれば、美少女ADV界の不朽の名作となったであろう『黄昏レゾナンス』、どうかお楽しみください。
ピピピ・・・ピピピ・・・
「なによ、もう、うるさいなあ・・あとちょっとだけ・・・」
そう言いながら、美琴は布団の中から目覚まし時計に手を伸ばす。何かが手に触れてゴトッと音を立て、サイドボードから転がった。音はカーペットに吸い込まれ、落ちた。
「もう、あとちょっとだけだから・・・」
アラームの音は鳴り続けていた。
バサッと体を起こす。何かが違う。だけど、それが言葉にできない。昨日までは確かにあったはずなのに、どこかが少しズレている。ケータイを開くと待ち受けの時計が表示される。
4月1日 6:31
「あれ?今日って・・・」
美琴は急いで服を着替える。サイドボードの下にあるものと目が合った。それが何かは分からない。だが、それが美琴にとって、とても大切なものだということだけは不思議と確信できた。
リボンを髪に結び、部屋を飛び出す。ドアを開けたとき、ピンクと白のギンガムチェックのカーテンが風にたなびいた。
ドタドタと階段を駆け下りる。
「あら、美琴、ずいぶん早いわねぇ」
トーストの焼ける香ばしい匂いとコーヒーの香り。
「おかあさん、わたし行かなくちゃならないところがあるの!」
「あら、そうなの?こんな早い時間から?今日は日曜日だけど」
「ごめん、わたし気づいちゃったんだ。でも今それを話してる時間がなくて、その、ゴメン!!」
玄関でローファーに指をかけながら美琴が答える。
「そう、おかあさんはよく分からないけど、美琴にとっては大事なことなのね。気を付けて行ってらっしゃい」
その声を聞き終わる前に乱暴にドアを開け、美琴は玄関を飛び出した。
玄関を開けると少し冷たく、湿った空気が美琴の体を包み込む。
——違和感。
何かがおかしい。頭がズキンとする。さっきまで確かにどこかに行こうとしていたのに、段々とその感覚が薄れていく。ふと見上げる。目に見えるものを確かめる。街灯、道路、家、当たり前のものしかここには無い。この街には何もおかしいものはない、はずだ。
もう一度よく見る。道路脇に規則正しく並ぶ街灯、家の前から駅までまっすぐに続く道路、アパート、マンション。刹那、美琴は分かってしまった。ここにあるべき「何か」が決定的に欠けていることに。だが、その肝心な「何か」が分からない。
その時、手に鈍い振動が伝わった。ケータイじゃない。それはカバンにしまってる。振動は最初は小さく、どんどん強くなる。いや、これは振動じゃない。まるで電気の——。
美琴はその瞬間、意識を失った。
————
——夢を、見ていた。
体は、動かない。手足の感覚が鈍い。それでも少しずつ、指先に力を入れる。じんわりと指先に血が流れる感覚が伝わってくる。ゆっくりと、指先を曲げる。誰かの声が聞こえる。
「そうだよ、その調子」
(だれ・・・?)
「あ、そっか、やっぱり分かんないよなー。うん、でもいいよ。大丈夫、そのまま力を入れてみて」
少しずつ指の先に感覚が戻っていく。
「まぁ、結局こうなっちゃうか。オレももう少し美琴と一緒にいたかったなぁ」
徐々に鮮明になる意識と引き換えに、遠くなる声。
(・・・あなたは、だれなの?)
「うーん、ちょっと説明すんのがムズイんだよね。オレってさ、ほら、そういうの苦手だからさ。だけど、うん、美琴のことをいちば——」
そこで声は途切れた。
どれくらい意識が無かったのかは分からない。だが、目を開けた時、そこにはさっきと変わらない景色があった。
カバンからケータイを取り出し、時計を見る。
4月1日 7:25
おかしい。さっき起きてから家を出て一時間も経ってるわけがない。
美琴はふと手を見ようとした。だが、それを何かが阻む。見てしまったら後戻りができないことを知っている。なぜ?それは分からない。硬直する首を振り払い、美琴は手を見た。
ゆっくりと指を開く。
そこには、小さな真空管が握られていた。
「これ、なに・・・?」
とっさに口を出た言葉とは裏腹に、美琴はそれが自分にとって、とても大切なものだと直感した。まるで長い間、ずっと持っていたような、だが、それがいつで、どうしてなのかが分からない。記憶の中に薄い靄が掛かっている。
(なんなの、これ、なんなの・・・)
美琴がそう思った瞬間、頭の中に誰かの姿が横切った。後ろ姿しか見えない。
カバンの中に慎重に真空管をしまう。
「——行こう」
誰に向けた言葉でもない。だが、美琴はそう言って踏み出した。ローファーがアスファルトを蹴った。その足は行く場所をもう知っていた。
カバンの底で、一瞬、何かが光った。まるで何かを告げるように。
————
「はぁ・・・はぁ・・・、ここって、こんなに遠かったっけ・・・」
美琴は学校の裏山に来ていた。
家から学校までは歩いてすぐだ。
そこから裏山へ行くには校舎を抜けるしかない。普段なら守衛の目があるが、日曜の朝の通用口は、驚くほどあっけなく美琴を通した。
誰もいないグラウンドはいつもよりも大きく見える。普段であれば生徒たちの活気で溢れたこの場所は、春の風に吹かれて細かな土埃が舞う。砂が目に入り、一瞬たじろいだが、美琴は真っ直ぐに歩く。砂漠を進むキャラバンのように、見えない何かを信じて。
裏山の入口には真っ赤な錆びで覆われた鉄柵。手を触れると掌がザラついた粒子と共に茶色く染まる。鍵は、掛かっていない。慎重に柵を押すとギーという鈍い音と共にゆっくりと道が開かれた。
鬱蒼と草が絡む山道に、道らしい道はない。
それでも美琴の足は迷わなかった。来たこともないはずの場所を、体だけが覚えているように。
奥に、かすかな光が見えた。そこに何かが待っている。その予感だけが、美琴を前へ押した。
「はぁ、はぁ」
一歩を進めるだけで息が荒くなる。そこはただの丘のはずなのに、一段上がるたびにまるで高山のように酸素が薄くなる。肺が、軋む音が響く。
「なんで・・・?」
あと数歩で山頂に到達するところで、美琴の足が止まった。頑強な蜘蛛の巣に搦め取られたように、体が動かない。たった一歩が、重い。
美琴が諦めて座り込んだ時、カバンから真空管が転がり落ちた。
それを手に取る。よく見ると何かの数字が書いてある。
[0.9997]
「なに、これ・・?」
途端に強烈な頭痛が美琴を襲う。頭と鼓膜の内側からハンマーで叩かれるような強烈な痛み。
「あぁぁぁぁああああああああ!!!!」
誰もいない山の中で、美琴の慟哭が静かにこだました。
「あー、やっぱり来ちゃうよね、美琴は」
「まぁ、分かってたんだけどさ・・・ちょっと待ってて」
「——うん、よし、これで大丈夫」
「ゆっくり起き上がってみて」
気付けば痛みは消えていた。それどころか、体が軽い。呼吸も、問題ない。
(さっきの声・・・)
そう思った時、美琴のこめかみにズキッと針のような痛みが走る。
その痛みと共に、また徐々に呼吸が苦しくなる予感がした。
「立ち止まってる場合じゃないってことね」
美琴は自分にそう言い聞かせ、山頂に着いた。
山頂からは美琴の住む小さな街が一望できる。目を閉じて深く息を吸う。新鮮な空気が全身を満たす。だが、目を開けた瞬間、美琴は出かける時に感じた違和感の答えを知ってしまった。
「え・・・なんで?」
「どういう、こと・・・?」
見渡す景色、ビル、川、学校、病院、この街にあるものが全てここにある。たった一つを除いては。
「なんで・・・桜が無いの・・・?」
モノクロの街。全てが白黒のセカイ。
よく見ると自分の手も足も、体も全てが白黒だ。
急いでカバンを開けてケータイを取り出す。
震える指で電話帳を開く。電話はすぐに繋がった。
「あのさ!!!おかあさん!!!!」
「あら、美琴、どうしたの?出かけたんじゃなかった?」
「ううん、いや、うん、そうなんだけど、おかあさん、桜が無いの!!」
「——さくら?」
「桜だよ!桜、この時期って桜が咲くでしょ!!!」
「ごめん、美琴、ちょっとおかあさん美琴が何を言ってるのかよく分からないんだけど・・・」
パタンとケータイを閉じる。インターネットで桜を検索する。何も、出てこない。それどころか、「桜」という漢字すらもこのセカイに存在していない。
その場でへたり込み、状況を整理する。
このセカイには桜という花も木も、概念も存在していない。
だが、自分だけはその存在を知っている。しかも当たり前に。
頭がおかしくなりそうだった。
「なんなの、これ」
「こんなの、絶対おかしいよ・・・」
(そう、これがオレが選んだセカイだよ)
その声は美琴の後ろから聞こえてきた。
振り向くと大きな木があった。葉は、ついていない。
誰からも忘れ去られたまま、枯れてしまったように、静かに佇んでいる。
まるで空間だけが切り取られたような不思議な雰囲気の奥から、声がする。
その時、カバンの中から光が溢れた。
真空管が眩いばかりの光を放っている。
美琴はそれを取り出す。真空管は燃えるような熱を放っていた。
[0.9997]
さっきと変わらない数字。
なぜかそこに安堵した。何故かは分からない。だが、その数字が自分にとって重要な意味を持つことを美琴は理解した。
じっと見ていると、ゆっくりと数字が動いた。
[0.9998]
「あーごめん、美琴、ゆっくり話したいんだけど時間が無いみたいだ」
姿は見えないがさっきよりもはっきりと声が聞こえる。
「あの、あなたは誰なの?」
「大体何でわたしの名前を知ってるの・・・?」
「あーーー悪い!!そうか、そうだよな!」
「うーーん、まあいっか、オレね、翔、木島翔」
「翔って書いて、カケル」
「カケル・・・」
それを口にした時、美琴の脳に電流が走る。それは鮮明な映像と共に現れた記憶の洪水だった。だが、それが誰かの記憶なのか分からない。自分のものとも、自分のものでないともつかない情報の濁流。
「なに、これ・・・なにが起きてるの・・・」
「あの日、美琴は死んだんだよ」
そう言い放つカケルの姿が徐々に輪郭を帯びてくる。
「結論から言う。これが最後のチャンスなんだ」
カケルが少しずつ美琴に近づいてくる。そして差し出した。
それは美琴が持っているものと全く同じ真空管だった。
「オレは美琴と付き合ってた」
「え・・・?」
脳が混乱する。現実を受け入れられない。
「美琴が事故で死んでから、オレは廃人同然だった」
そう語るカケルの顔は嘘を吐いているようには見えない。
「生きる希望も全て失って、この桜の木の下で首を吊ろうとした」
「覚えてないだろうけど、俺らここで何度もデートしたんだぜ」
少しはにかんでカケルは続ける。
「どうせ死ぬなら、美琴との思い出が一番詰まったここがいいと思ってさ・・・」
「だけど、できなかった」
気付けば、美琴の丸く大きな瞳は涙を含んでいた。
「それでさ、あの日、美琴が死んだあと、オレはここで願ったんだ」
「何もいらないから、美琴が生き返って欲しいって。そしたら叶ってしまった。その代わり、この世界から桜が消えた。美琴が生きるために、桜だけがいなくなった」
「真空管、見てくれる?」
美琴は手元の真空管を見る。数字は、さっきと変わっていない。
「その真空管の数字、残り時間みたいなもんだよ。美琴が桜を思い出すたび、上がる。これがいっぱいになったら、たぶん終わる」
カケルの顔が徐々に鮮明になる。そして美琴は遂に思い出した。
「カ、本当に・・・本当にカケルなの・・・?」
カケルはニコッとはにかんだ。美琴はカケルの元へ駆け寄ろうとした。しかし、足が何かに掴まれたように動かない。
「色々説明したいことはあるんだけど、これが最後のチャンスって言ったよね」
美琴は黙って頷いた。
「もう数字が限界なんだよ。美琴は桜を忘れない、そして忘れない限り絶対に数字は下がらない」
手元の真空管を見る。
数字がゆっくりと回っていく。
「もう時間が無い、美琴、今から言うことをよく聞いて欲しい」
「この桜の木に触れて欲しい」
「なんで・・・?」
「美琴のいるセカイでは桜が存在しない。だから、美琴がこの木に触ればそっちのセカイから桜が完全に消滅する、多分美琴も全部忘れるはずだ」
「そんなの嫌だよ!」
「せっかく思い出したのに、カケルがいたこと、カケルがわたしを好きだったこと、わたしがカケルを好きだったこと、それを全部わたしが消すの!?」
「やっと会えたのに、また失うなんて嫌だよ・・・!」
「そうだよなー、美琴って昔っからそういう奴だもんなぁ、ホント、そういうとこが好きだったんだけど」
「でも、ごめんな、オレにはこうするしかできないんだよ」
「どうなるか、オレにも分からない。でも、美琴がここに残るのは駄目だ。それじゃ、オレが美琴を生かした意味がなくなる」
その瞬間、山頂の空気が震えた。風が吹く。留まってはいけないと告げるような風だった。
「いやだよ・・・でも・・・」
美琴は涙で滲む視界のまま、桜の木を見た。
忘れたくない。
それでも、ここに残れば、カケルの願いごと全部を踏みにじることになる。
美琴は目を閉じた。
唇を噛み、震える手を、自分の意志で伸ばした。
そして、桜の木に触れた。
眩いばかりの光子が辺りに散らばり、美琴の体を柔らかく包む。
(これで、よかったんだよ)
(ありがとう、美琴、元気でな)
————
ピピピ・・・ピピピ・・・
美琴はサイドボードの上にある目覚まし時計を止めた。
充電器に繋がれたケータイを見る。
4月1日 6:31
「おかあさん、いってきます」
「あら、美琴、ずいぶん早いわねぇ」
「うん、行かなきゃいけない場所があるから」
朝8時、街はまだ眠っている。
美琴は校舎の裏山の山頂に立っていた。
赤錆でまみれたゲートも無く、整備された林道。
一年前の今日、美琴は確かにここにいた。
記憶はない。だが、ここへ来なければならない気がしていた。
山頂は開けており、何も無い。
足元に目を落とす。そこには緑色の葉をつけた見慣れない小さな木が一本だけ生えていた。
その名前を知らないはずなのに、涙が先にあふれ出た。
「なん・・・で?」
~Fin
[浅倉美琴ルート / TRUE END]
EDテーマ
『サクラフラグメンツ』

〜♪
動かない桜の木を見つめ
口元から こぼれた吐息だけが
足元で波を立てた
幾つもの季節を廻って
やっと辿り着いたこの場所に
君が落としたネガフィルム
茜色の空に飛行機雲が
どこまでも真っ直ぐに
あの日交わした約束を
ずっとずっと覚えているよ
いつも思い出すのは
あの時の君の笑顔
枯れない桜の下で祈る
君に触れたいよできないよ
並行世界のクロニクル
いくつもの世界線を廻って
やっとたどり着いたこの季節に
君の面影を探すテレスコープ
あの空を舞う鳥たちは
どこまでも自由に羽ばたいて
あの日交わした約束は
ずっとずっと忘れないよ
いつでも思い出せるから
あの時の君の笑顔
[間奏]
あの日交わした約束を
ずっとずっと覚えているよ
エピローグはいらないよ
君の笑顔に会いたいだけなんだ
おまけ
OPテーマ
『黄昏レゾナンス』
