お正月大宴会(昭和編)
父は長男で、姉2人妹1人。実際はデキの良い弟がいたが、病気で小さい頃亡くなった。かくして、何もやらない長男ができあがる。
お正月は父の家、つまり私の実家に親戚一同大集合し、大宴会が開かれる。父の父母、祖父母とも同居していたので集まるのが当然。総勢20人弱の宴会がお盆とお正月、年2回行われていた。始めは小さい宴会も年月と共に家族が増え、引き連れて宴会に登場するため、最大で19人だったと思う。静かなお正月とは無縁。反動で、誰にも会わずに静かにしたいナギ完成。
従兄弟たちとトランプや花札、漫才を見たり特番を楽しむことはそれなりに楽しかったが、とにかく親戚一同の酒豪ぶりがすごく、料理作りからセッティング片付けまで、仕切りは母1人。その日だけは母がリーダーだったが、とにかく大変な行事だったと思う。
食事作りはもちろん母1人で作る。中高生からはお手伝いした。父の姉や妹は、「すごいわね。大変だったでしょう」と労うものの、何か1品作ってきたことは一度もない。終わった後の片付けはみんなでやるが、お皿やビール瓶は尋常じゃない数で、嫁業ってこんなヤバいのかと子供心に思った記憶がある。
ちなみに、上座から年長順に男子が座り女子に続く、6畳二間続きの畳に机を並べるが、ナギ姉妹は尻の尻。1番小さかったから?それとも迎える側だったから?
自宅には宴会用のかなり大きいテーブルが、2個もあった。これが本当に重くて、後に処分に困る。
母の夢の1つ(いくつあるんかい)に料亭の女将があり、料理好き凝り性の母はここぞとばかり張り切っていろんな料理を作った。特に盛り付けにはこだわった。高さや数、角度までも細かく指示された。もちろん、お皿にもこだわる=洗い物が増える、食器が増える。料理番組や本で見た新しいアレンジ料理を毎年作り、料理下手の小姑を上から見下ろせるのは、この瞬間だけだった。
親戚一同はこの宴会を楽しみにしていたけど、酔っ払いのおじさんおばさんを隣の部屋から覗き見し、「大人ってこんなにストレス溜まっているのか」と思ったものだ。特に学校の先生だったオジは必ず最後に、「さちこーさちこー」と名前入りの歌謡曲を、妻の名前に変えて歌うのが定番で、これが出るとそろそろお開きかなと言う流れだった。
大人気なく喧嘩する場面もあり、鼻に爪楊枝をさしドジョウすくいをやるオジや、カラオケ大会でデュエットをしたり、かと思えば従兄弟が習い事の日舞を披露、ちょっとした大人の学芸会のような集まりだった気がする。
ナギ姉妹芸なし。まさに、昭和の宴会。
とにかく、この行事はずーと続いた。実家の大宴会は父の姉妹の子供が家庭を持ち、子供が出来るまで続いた。そのオールメンバーでは。つまり、時間差で年長組の宴会は続いていた。
オットと結婚した時、親戚の食事会が小さく感じ、お手伝いも余裕だった。誰かが何かを欲しがる仕草で、さっと用意する。グラスがあけば、ビールを差し出す。幼少期から見ていた、やっていたこと。このスキルはどこででも役立つが、今は時代が違うので、あえて使っていない。
昔懐かしい思い出だけど、私の世代ではやりたくない。そりゃ、賑やかで楽しいのは嬉しいが、負担になるようなことはやらないと決めている。と言っても、似たようなことを少しはやるんだろうけど。やるなら、みんなでやろうと決めている。またやるのか?宴会。
静かなお正月自宅でのんびりしていると、思い出してきた昭和の宴会の話。
次回、平成編へ続く
