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自分で選べなかった終わりが魅せてくれたもの

バイオルミネセンス(以下、バイオ)を初めて知ったのは、オーストラリアに来てからだった。きのこや深海魚、プランクトンなど、生物が光を発する現象のことだ。その中でも、海が光る現象にどうしようもなく惹かれた。

インスタのリールが流れてきた。波が押し寄せるたびに、海面が青白く発光する。プランクトンが光るのだという。今なら「これAIでしょ」と思うかもしれない。でもその当時は、AIが作った動画がここまで出回っていなかった。だから最初の反応は「これ、フェイクじゃないの?」だった。

船から撮影された映像で、バイオで海が青く光る中をイルカが飛び跳ねているものもあった。信じられない思いで画面を見つめた。騙されたとしてもいいから、こういう幻想的な光景をみてみたいという気持ちが強くなった。…本当に騙されていたらこの光景は見れないのだけど。

シドニーで看護助手の資格をとるための実習中、ジャービスベイという場所がバイオルミネセンスで有名だと知った。シドニーから南へ約二百km。バイオが見られると聞いたので、レンタカーを借りて、十ドルのレジャーシートを片手に友人と二人、夜な夜な海に繰り出した。


見つからなかった。


砂浜にレジャーシートを広げて、暗い海を眺めた。波の音だけが聞こえる。どれだけ目を凝らしても、光るものは何もなかった。秋の海風は身に染みる。シートの下の砂浜も少し濡れてて冷たい。

寒さに凍えながら、空を見上げた。オリオン座が見えた。南半球の星空は、本当に綺麗だった。負け惜しみではなく、本当に。ただ、南十字星がどれなのかは今でもわからない。

それでも「いつになったらバイオを見せてくれるんだ」という気持ちは、回を重ねるごとに強くなっていった。合計四、五回は行ったと思う。毎回外れで、毎回星空に感動して、毎回凍えて帰った。

オーストラリアの旅では、いいタイミングでの出会いが多かった。クジラが目の前でジャンプした日も、野生の馬の群れに出会った日も、匂いの強いアシカにあったことも、タイミングが合ったとしか言いようがなかった。だから今回も、まだタイミングじゃないだけだと思っていた。

 
そんなある日、空気と水が世界一綺麗と言われるタスマニアでもバイオが見られるという情報を手にした。それがわたしたちのタスマニア行きを、より強く後押しした。

タスマニアに到着して二週間、仕事が始まるまで時間があった。ホバート付近でバイオが見られる場所をまとめたホームページを発見した。それを元に、一つ一つバイオが見れるスポットをGoogleマップで、ピン立てしていった。地道な作業だったが、全く苦にならなかった。

そのリサーチの中で、Bioluminescence Australiaというfacebookグループを見つけた。数日前に家からバスで四十五分ほどの湾でバイオを見たという投稿があった。

facebookグループ

いてもたってもいられなかった。当時、車を持っていなかった。なので、バスの最終便を調べて、乗り換えの時間を計算した。今日行ける。友人に「今日行ってみない?」と声をかけた。


バスの中で、事件が起きた。

バスに乗り込んでしばらくすると、わたしたちの前の座席におじさんが座った。身体をこちらに向けて。あきらかに様子がおかしかった。貧乏ゆすりをして、常に体を動かして落ち着きがない。飲酒か、薬物か。わたしたちはアイコンタクトした。大人しくしておこう、と。

おじさんは運転手に絡んだあと、バスを降りていった。ほっとしたのも束の間、次のバス停で、今度はバスの後方が騒がしくなった。中年の男性が後方のドアから足早に降りていった。その後を、若い女性がナイフを振りかざしながら追いかけていった。


「…え」


状況が飲み込めないまま呆然としていると、前方に座っていたクラブ帰りの、顔に青い絵の具をたくさんつけたティーンエイジャーたちが立ち上がった。
「俺たちが助けにいかなきゃ」
使命感に満ちた顔でバスを降り、後を追っていった。他にもおとなしそうな見た目の人も、そうでない人も、複数人がバスの外へ繰り出していった。

残ったのはおそらくわたしたちだけだった。キョロキョロするのも怖くて、他の乗客を確認できなかった。

バスの運転手は、何事もなかったかのように扉を閉めて出発した。

取り残されたような気分だった。その後一、二駅進んで、乗り換えのバス停に到着した。するとそこに、女性を追いかけていったはずのティーンエイジャーたちがキックボードに乗って戻ってきた。興奮しながら家族に電話していた。少し聞こえた話によると、誰かが怪我をしたらしい。

後から知ったのだが、わたしたちが住んでいた地域はタスマニアの中でも特に治安の悪いエリアだったらしい。生活保護の給付金をドラッグに使う人も多いと聞いた。平和ボケしていたと気づいたのは、この夜のことだった。


なんとか目的の場所に到着した。

そこには、棒で水面を叩いているおじさんがいた。ゲームのNPCみたいだった。オーストラリアを旅していると、こういうNPCのような人によく出会う。話しかけて欲しそうにこちらを見ていて、声をかけると決まったセリフがあるかのように、流れるように話し出す。

棒で叩いていた理由を聞いてみると、バイオを見るには衝撃が必要だからだという。なるほど。

結果から言うと、その日もバイオは見つからなかった。わたしたちが学んだのは、バイオを見るにはいい感じの棒が必要だということ、そしてここは日本ではないということだった。

それ以降バスには乗らなかった。

しばらく経ったあと車を手に入れ、いい感じの棒をトランクにのせて、バイオ探しを再開した。


それでも一向に見つからなかった。


オーストラリアに二年以上滞在するには、農業や漁業、医療・介護施設など決められた仕事を八十八日以上こなす必要がある。それがクリアできなければ、ビザが切れた時点で帰国しなければならない。

看護師をしていたわたしたちにとって看護助手として介護施設で働くことが安全な選択である。

シドニーで数百万を支払い、語学学校に通った。我が人生、シュガーダディーもシュガーマミーもパトロンもいない。なんなら親にすら頼りたくないお年頃である。全て自費だ。

その数百万も決して端金じゃない。パンデミック下でフル装備しながら患者対応して、身を粉にして貯金した大事な大事なお金である。

お金だけじゃない。語学学校のあと、無給で四週間、慣れない英語で認知症の利用者のお世話をし、ようやく取ったオーストラリアの看護助手資格。合計約四ヶ月という時間もしっかりかかっている。

しかし、日本では絶対にやらないオーストラリアでしかできない経験がしたいと、看護助手ではなく、農業を選んだ。費用対効果?そんなことは考えない。

…いやそんなことはない。ちゃんと考えた。絶対に看護助手だけやった方が取り返せる。それでも、周りの期待を察して動いていたばかりの人生である。今回ばかりは心の声を信じたかった。

そんな思いで見つけた仕事がストロベリーとラズベリーの収穫作業である。

毎日、収穫量のランキングがラインに送られてきた。ここから下はノルマ未達成、と色分けされていた。五、六十人中、上位二人以外の全員が赤色のこともザラにあった。

緑以外の人はノルマ未達成

給与は時給に加えて一定量以上収穫するとボーナスがつく仕組みだった。ボーナスをもらえていたのはほんの一部で、つまりほとんどの人がノルマに届いていなかった。それでも毎日ランキングが届いた。わたしたちはいつも、下の方にいた。

長い日だと朝五時過ぎに家を出て、帰ってくるのは夜二十二時過ぎ。十五分休憩が二回あればいい方だった。初日から常にクビをちらつかされる、競争的な環境だった。色々な工夫を試みた。でも成果につながらなかった。

わたしたちは二人とも真面目な性格で、収穫物の品質は最高、収穫量は最低だった。規格外のものを混ぜれば数字は上がる。見かねた現場責任者もひっそり、こうやって混ぜるんだよ、みんなやってると教えてくれた。でもそれができなかった。

そもそもほぼ医療現場でしか働いてきたことがない人種である。医療では一つの隠蔽が芋づる式に次の事故やミスにつながってしまう。ここは日本でもなければ、医療現場でもない。でもインチキができなかった。だから、どんどん心がすり減っていった。

疲労感にはもう一つ理由があった。現場責任者の言うことが、コロコロ変わった。方針が変わるたびに、何が正解かわからなくなった。

バイオを探していた夜とは、全然違う消耗の仕方だった。外れ続けた夜も、ドライブも、星空も、悪くなかった。見つからないまま、期待値だけが静かに積み上がっていった。でも農作業の日々は、続けるほど何かが削れていった。


クビになったのは、クリスマスの一週間前だった。

前日の夜、グループラインで二人名指しされた。やばい、遂にきたかもしれない。

今クビになってしまうと、ビザ条件の八十八日に全然足りていなかった。タスマニアの仕事情報は少ない。この先どうしよう。落ち着かないまま、一晩を過ごした。

でも正直に言うと、少しほっとしていた。給与はしっかりもらえていた。だから自分たちからは辞められなかった。相手から切ってもらえたら、やっとゆっくり休めると、友人と話していた。

ほっとした気持ちは本当だった。でも、悔しくなかったと言えば嘘になる。インチキをしていた人たちは残って、真面目にやっていたわたしたちがクビを切られた。日本では、常に人手不足でクビとは無縁の場所にいた。それが、クビになってほっとしている。我ながら、妙な話だと思った。プライドは傷ついた。

でも成果を見れば、反論できなかった。しょうがない、そう無理に納得しながら、しばらく引きずった。

クビになったあとも家は使っていいと言われていた。でも数日後、新しい人が来るからなるべく早く出てほしいと連絡が来た。また、変わった。なんとか次の引越し先を探し出し、クリスマスイブに、荷物をまとめた。


そしてクリスマスはやってきた。

引越し準備が早々に終わって、暇を持て余していた。シェアハウスのみんなでクリスマスパーティーをする予定があったが、まだ時間がある。

家から八十km離れたタスマンアーチという場所に行くことにした。高さが約五十メートルある断崖絶壁。自然にできたアーチ状の下を、迫力ある波が押し寄せる。そこはもちろん青い海が広がるはずだった。

到着すると、なぜかそこの海は赤かった。

赤く広がる海
ひたすら赤い


慌ててfacebookのバイオグループを開くと、タスマンアーチの写真とともに、海が赤いと書いている投稿があった。その返信によると、バイオの可能性が高い。

本当にバイオなのか確信は持てなかった。だけど、もしもバイオだったらチャンスかもしれない。今日のメインイベントだったはずのパーティーを早めに失礼して、日の入り前、もう一度八十km先に車を走らせた。


日が暮れて真っ暗になった海岸に、同じくバイオを期待する人たちが複数いた。日中見たような絶景は闇の中。みんな何も見えないはずの暗い海を静かに見つめていた。

わたしはじっとしていられなかった。ここじゃないかもしれない。向こう側の方が見えるかもしれない。うろうろしながら場所を変えるわたしに、友人は呆れていた。

時間の感覚がなくなっていった。三十分か、一時間か。こんな夜に友人を連れ出している申し訳なさが、少しずつ頭をもたげてきた。

もし見えなかったらどうしよう。クリスマスの夜に凍えるために真っ暗な道を運転しただけ、になる。帰った方がいいかな、という考えが頭をよぎった。でも、まだ待っている人たちがいた。もう少しだけ待ってみよう。

そのとき、夜目のきく友人が言った。

「あそこ、光ったんじゃない?」

向こうの方に青い光(肉眼はもっと真っ暗)


わたしには全然わからなかった。どこ?あそこってどこ?友人が指差す方向を見ても、暗い海しか見えない。あそこ、あそこ、という押し問答が続いた。周りの人たちも、見え始めてきたようだった。


あれ。気のせいか?

なんか、光った気がする。気のせいか、そうでないのか。そんな押し問答があったのも束の間。

波が押し寄せるたびに、海が青く光った。向こうだったり、こちら側だったり。

あれだけ探し回って、ナイフ事件に遭遇して、棒を持ったNPCおじさんに会って、何度も外れを引いて。それなのに、クビになって家を追い出される前日の夜に、あっさりポンとやってきた。


こんな自然現象があっていいのかと思うくらい、圧倒的な光景がそこにあった。それは、綺麗という言葉が薄っぺらく聞こえてしまう。スマホの写真では伝わらない。今この場にいること、この目で見ている景色を絶対に忘れたくなかった。

スマホで捉えたわずかばかりの青


タイミングは、自分だけでは作れない。
でももしかするとという勘を信じて動いていなければ、見れなかった。

あと少しを待てなかったら見逃していた。

クリスマスまで働きたかった。でもクリスマスに働いていたら、確実にバイオは見られなかった。

きっと報われない時間にも、二種類ある。削れていく時間と、静かに積み上がっていく時間。そして、どちらの時間の中にも、大切な何かは残っている。それでも、自分がどこにたどりつくのか、そもそも今自分がどこにいるのかすらわからない。 


オーストラリア、魅せ方わかっているじゃないか。



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タスマニアといえば、車でやらかした話も書いています。オーストラリアで車を買って、盛大にやらかしたわたしの話です。よければこちらもぜひ。


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