見出し画像

七福神シリーズ|祈紙(いのりがみ)編 【勿忘草色の旋律 〜記憶の糸がほどけても〜】

記憶の糸がほどけても、メロディが心をつなぎ止める。

チリーン、
チリーン、チリーン。

祈紙(いのりがみ)が、弁財天の手元に。

「……ふーん。言葉にならぬ想いを、歌に託したか。音色は時を超え、魂の奥底まで届くものよ」

弁財天は、琵琶を奏でる手を止め、無言でその紙を掴み取った。

祈紙(いのりがみ)は、願いの重さをそのまま色に映す。強ければ濃く、深ければ深く。

手元に届いた色は、透き通った青空のような、どこか切ない「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」。

大切な人に「私を忘れないで」と願う、震えるような祈りの色だ。

(五十代 主婦 よしこさんの祈紙)

ほどけていく記憶の中で
母の記憶は、砂時計からこぼれ落ちる砂のように、少しずつ、けれど確実に消えていった。

最初は物の置き場所を忘れ、やがて季節を忘れ……。
そしてついに、毎日通う私の顔を見て、「どちら様でしたっけ?」と、他人行儀に微笑んだ。

「お母さん、私だよ。娘の、よしこだよ」

何度伝えても、母の瞳には霧がかかったような、遠い空虚さが漂っている。
かつて一緒に料理をし、笑い合った日々の輝きは、もうどこにも見当たらない。

私は、やり場のない悲しみを抱え、ただ母の細くなった手を握りしめることしかできなかった。

琵琶の音と、一瞬の奇跡
そんなある日の午後。
窓から差し込む柔らかな光の中で、私はふと思い出し、小さな声で歌い始めた。

それは、私が幼い頃、母が寝かしつける時にいつも口ずさんでくれた、

古い子守唄代わりの流行歌

「黙って夜明けまで、ギターを弾こうよー…」

すると、どうだろう。
無表情だった母の指先が、私の歌に合わせて微かに動いた。

「……愛を無くして、何かを求めて彷徨う…」

母の唇が、小さく、けれど確かに動いた。
母も一緒に、歌っている。

その瞬間、母の瞳を覆っていた霧が、さぁっと晴れた。
私の目をじっと見つめ、優しく、慈しむような光が宿る。

「……よしこ。大きくなったわねぇ」

それは、ほんの数秒、瞬きのような一瞬の出来事だった。

チリーン、
チリーン、チリーン。

高い空の上で、ゆらゆらと弁財天が優しく琵琶の弦を弾く。
その音色が、勿忘草色の祈りと重なり、二人の周りに光の粒となって降り注ぐ。

「魂が覚えている旋律は、深く体に染みついて離れることがないものよ」

消えない旋律
母はまた、すぐに深い霧の中へと戻っていった。
私のことも、再び分からなくなったかもしれない。

けれど、私の心には、あの瞬間の母の瞳と、温かな歌声が鮮明に残っている。

たとえ言葉が通じなくなっても。
たとえ名前を忘れられても。

私たちが同じ歌を歌った、あの勿忘草色の時間は、永遠に消えることはない。

私はまた明日も、母の隣で歌を歌おうと思う。

「お母さん、また一緒に歌おうね」





読んでくれて、ありがとうございます。

今後の励みに、フォローや♡スキを、よろしければ、お願いします。
前作などは↓ どうぞ、覗いてみてください。


エッセイみたいなものも、まとめました。


いいなと思ったら応援しよう!

こごみ よろしければ応援お願いします! いただいたチップは物語を書くための勉強費に使わせていただきます!