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藤原氏(中臣氏)を俯瞰する

世界最古級の「おしろい」か 中東の約4000年前の古墳で発見(NHK 2025年11月5日)

>調査を行った東京文化財研究所の安倍雅史 保存計画研究室長は「古代のバーレーンでは階層化が進む中で、日に焼けていない白い肌が労働をしない高貴な身分を示す象徴となり、おしろいが普及したのではないか。人類の化粧の歴史をたどるうえで貴重な発見だ」と話しています。

おしろいと言えば、平安貴族(男女)のイメージがありますね(鉛中毒で寿命が短くなったとか)。

そう考えると、女性天皇もあった飛鳥時代・奈良時代というのは、後の平安時代より案外女性の活発な活動があった時代なのかもしれません。

諸説あるようですが、おしろいと言えば、労働忌避の貴族の象徴(肌が白いことを強調)のイメージがどうしても拭えません。天武天皇は「凡政要者軍事也。是以、文武官諸人務習用兵及乘馬。」と詔しています。男女共に平安貴族より奈良時代の方が活発だったのかもしれませんが、藤原氏は天下を取って、(元が祭祀氏族だけに)軍事を忘れたんだろうか。皇族は奈良時代の文化が生きていたのか、平氏や源氏は軍事貴族化しますね。元寇を調伏で「撃退」しようとしたことに私は違和感があるのですが、その辺も藤原氏(中臣氏)の特性のような気がします。

中臣氏が祭祀氏族だということを確認すると、国譲り神話での武甕槌神の活躍が引っ掛かってくるのですが、諸説ありますが、この神はどうしても中臣氏っぽく(当時は必ずしも祖神を祀らない)(フツヌシは物部氏っぽさがあるのですが)(鹿島神宮や枚岡神社・春日大社の祭神)、剣のイメージもあって、他の軍事氏族や皇族をさしおいて、中臣氏が?とどうしても疑問が出てきます。見出し画像はウィキペディア「枚岡神社」枚岡神社の本殿(Ocdp)。

卑弥呼の土器と日置部と大伴氏、そして中臣氏|古墳時代史解題

この謎ですが、後に武渟川別が出雲振根を誅殺したことを踏まえると(軍事力ででしょう)、武甕槌神(中臣氏)の功績は、その段階では(武力を背景とした)「外交」(交渉)にあったのかもしれません。祭祀のイメージがある出雲に対して、祭祀氏族の中臣氏が出て、降服すれば、悪い扱いをしないと、「国譲り」させた手柄があったとも考えられ、それが枚岡神社の出雲井の地名と関りがあったような気もします。

後の日本の神仏習合も神祇氏族の中臣氏から出た鎌足が、(当初は抵抗しましたが、蘇我氏の時代にはそうしないと立場が悪くなるだけだった)仏教を崇敬して台頭したというルーツの部分で、藤原氏の特性が規定され、それが日本に広がったと考えるのが妥当のような気もします。

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