何故名護屋城だったのか(豊臣秀頼出生の秘密)
私は医学的な観点から、豊臣秀頼が秀吉の実子と考えていないのですが(側室を多く持った秀吉にほぼ子供が出来なかったのは不妊の可能性が高い)、淀殿は実際に妊娠しており、それは名護屋城でのことだったと計算されています(その時に淀殿は名護屋城にいた)。これは何を意味するのでしょうか?
それは豊臣秀吉が指示して、淀殿を妊娠させたことを意味すると考えています。名護屋城は出先で人の目が相対的に少なく、噂が立ちにくく、証拠隠滅しやすく、要は秘密保持しやすく、唐入りで注意が逸れているからです。
秀頼を溺愛したのも、秀吉の役者的な一面で説明がつきますしね。
なお、巨体は浅井長政からの遺伝で説明がつくようです。
2026年2月15日追記)秀吉が実子と認めるならいいじゃないかという意見もあるようですが、秀頼の血統をみんなが疑わざるを得ない状況が問題なんだろうと思います(実子でない子は他の一門衆と同等です)。如何な秀吉とて、ひとりじゃ何も出来ませんから。説得力がなかったから、結果的に家康(秀忠=豊臣一門)派が立ち上がってしまったし、小早川英秋(豊臣一門)も裏切ったし、毛利(小早川は毛利両川)も中途半端な動きだったのでは?
見出し画像はウィキペディア「名護屋城」(肥前名護屋城図屏風 狩野光信)。
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