楚人とは何者なのか?
見出し画像はタイ・カダイ語族の分布図ですが、(現代では北京官話が離される地域ですが)湘語=タイ・カダイ語族の漢語って考えたくなります。漢語を喋ったタイ・カダイ語族=楚人で周辺にタイ・カダイ語族が残ったと考えると現代の分布図そのままなんですよね。南方に移動できなかった(?)呉人・越人より楚人の方が歴史的・文化的に力があるような気もします。現代なら上海は強いですが(租界の影響?)。
漢字文化だと音韻は分かり難いような印象もあり、或いはまだ学説に探究の余地があるのかもしれませんが(私は中国語が出来ない漢字文化圏の日本人に過ぎませんが)、学説的には越人とタイ・カダイ語族の関係が考えられているとのことで、私の直感には反します。日本では海を通じて日本に接する呉越が注目されがちと思いますが、楚の文化は日本との共通点もあるようで、もっと注目されていいような気はします。というか、私が楚の文化に関心がある。
稲作は長江中流に始まると言われてきましたが、現在はゲノム分析から珠江中流域が起源だとされるようです。
いずれにせよ、中国は呉越と違って戦国の七雄にも入ります。楚辞とか文化も豊かで中国文化への影響もありそうです。
タイとラオスは兄弟民族(タイ・カダイ語族)で、ラオスは中国と国境を接します。中国の少数民族では目立ちませんが、広西チワン族自治区も同族ですね。タイ・カダイ語族の源流を辿ると、楚に辿り着いたら面白いのですが・・・。
呉越地方は上海語・福建語・広東語は特徴があって、それぞれ異民族の影響が残存しているのか、あまり移動した形跡がないように見えます。
2025年10月27日追記)湘語/タイ語(私の想定)の南方への拡散は、広東省系の南越・士燮政権に遅れて、大理国あたりを考えています。
一方、日本と楚の関係を探っていますが、紀元前334年に楚は越を滅ぼしていますが、それ以降、或いはそれ以前から、楚の文化圏が斉の頭越しに日本と交流していた可能性を考えています。
楚は貝を模した青銅製の貝貨を使っていますが(独自の経済圏を築いていたようです)、弥生時代中期に北部九州で盛行した貝輪との関係が疑われます。楚の基層文化はシャーマニズムが強かったようで、これが卑弥呼の鬼道に繋がる可能性もないではありません。太陽信仰は中国でも南方っぽい気もするんですね(中国では金烏=陽烏=黒烏=赤烏。赤烏(呉)の紀年銘鏡は甲斐国造/日下部の古墳から出土しています→参考記事(有料記事):八咫烏神話の形成過程|古墳時代史解題 主に高句麗との関係を示唆)。
中期前葉の中国南方系の割竹・舟形の刳抜式木棺(福岡県福岡市吉武高木一・二・四号墓)(「古墳と埴輪」和田晴吾 岩波新書 2024 237p)も非常に怪しい気がします。吉武高木遺跡は三種の神器の組み合わせでも知られます。早良郡は九州の草香江(日下江)があるところです。中期後葉には舟形木棺は畿内に及んでいて、(中期後半の)銅鐸鋳造の東奈良遺跡が、式内・佐和良義神社との関係も言われています。淀川ルートは天津彦根命系/息長/近江との関係も疑われます。
垂仁天皇紀の相撲もキックボクシングっぽく、タイとの関係を考えてしまいます。
日本の鶏のルーツもこの辺と関係するかもしれません。タイの闘鶏文化は食用ではないという意味で弥生時代の大和の鶏文化(神使・長鳴鳥)との共通性があると言えなくもありません。唐古鍵の鶏飼育は少なくとも中期初頭に遡るようです。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!