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はじめに

最初は、「社会活動への想いを書けたらいいな」と思って、このnoteを始めた。もちろん、その気持ちは今も変わらない。
でも、書き始めてしばらくすると、もっと気楽に、自分のことや、少し個人的なことも綴ってみたいと思うようになった。

文章を書くのは決して得意ではないし、社会の役に立つかどうかも分からない。
それでも、もしこの言葉たちの中に、たった一人でも何かの意味を見つけてくれる人がいたなら――
いや、それすら、手放している。どちらでもいい。
自分が好きで発信している。それだけで、もう十分だと思うようになった。

そういえば、ずっと昔。
26歳から29歳の頃、ポーランドのワルシャワでピアノを学んでいた時期がある。
「もっと広い世界を見たい。そこにいる自分を見つけたい。」
そんな気持ちで、右も左も分からないまま飛び込んだ、遠い異国の街。

音大生というと、少しお金持ちのイメージがあるかもしれない。
けれど、当時の我が家は、父が友人と立ち上げた事業がうまくいかず、とても優雅な留学生活が待っているような状況ではなかった。
それでも、どうしても行きたかった。どうしても、自分の目で世界を見てみたかった。

「行きたいなら俺を説得してみろ」と言わんばかりの父に、何度も手紙を書いた。必死に両親にお願いをして、バイトで貯めたほんの数十万円で航空券を買い、残りのいくらかを握りしめて、飛行機に乗った。

不安と希望がごちゃまぜになったあの日の空の色を――とか、ナイーブなことを言いたいところだけど、実際はワクワクしかなかった。あの胸の高鳴りを、今でもはっきり覚えている。

その頃、「静かなカタルシス」というタイトルのブログを書いていた。
とにかく寒いワルシャワの氷点下の午後、練習室の帰り道に、凍えた手をこすりながら「今日は何を書こうかな」と考える。
そんな時間が、少しずつ私の生活の一部になっていった。

――「書いて、伝える」ということが、私にとって大切になったのは、きっとこの頃だったのだと思う。

当時は、現地での珍道中をコミカルに書いていて、日本にいる家族や恩師が楽しみに読んでくれていた。
ある日、ワルシャワで研究をしていた法政大学の経済地理学の教授が、私の文章を褒めてくださったことがあった。
単純な私は、それが嬉しくて、その言葉を今も大切に覚えている。

あれから年月が経ち、音楽だけではなく、少し違う道にもまたがって立っているけれど、根っこの部分は、あの頃と何も変わっていない。
どんなに遠回りをしても、人の心に小さな光を届けたい。
そんな想いだけは、ずっと胸の中で鳴り続けている。

だから、このnoteでは、もう少し真面目に、そして優しく。
誰かが読んで、「あぁ、自分の人生も悪くないな」と思ってくれたら、それがいちばん嬉しい。

幼少期のこと。ピアノのこと。
夢が少しずつ形を変えていったこと。
そして、どうして社会活動という道にたどり着いたのか――。

そんな私の小さな物語を、ここに少しずつ綴っていこうと思う。

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