「ふつうの軽音部」に入れなかった男。


僕の通っていた高校には軽音楽部がありませんでした。

「高校生になったら軽音に入るんだ!」と息巻いていた少年・小寺の野望は、儚くも砕け散りました。

入学当初の僕はバンプオブチキンに夢中で、バンプオブチキンのようなバンドをやりたいなと思っていました。

ーーハイ、嘘です。
本当はモテたかったのです。モテない中学時代を過ごした僕は、ギターを弾いてバンドを組めばモテるだろうという、あさましく安直な発想から、軽音楽部に入ろうとしていたのです。

まさか入学をキメた学校に軽音楽部がないなんて……大誤算でした。

軽音楽部のないその高校で、僕はなんとなく文芸部に入り、ほぼ幽霊部員のような存在で活動にもほとんど参加しない日々を送るようになります。

とはいえせっかくの高校生活。
何もしないのはもったいない!と思った僕は生徒会に入り、文化祭や新入生歓迎会などのイベント運営に力を入れ始めました。

と、ここで再び問題が。
小寺は……コミュ障なのです。生徒会内部には友達ができましたが、クラスメイトとはうまく馴染めず、誰も来ない昼休みの生徒会室が、唯一心休まる場所になっていきます。

高校デビュー、明らかな失敗です。


さて、そんな小寺ですが、音楽の趣味がさまざま移り変わり、いつの間にか「日本語のパンクロック」に傾倒するようになっていきます。

まわりがオシャレでかっこいいアーティストやバンドの楽曲を楽しむ中、僕は大爆音でGOING STEADYやガガガSPを聴いておりました。

「いつの日にか僕らが心から笑えるように」

好きな曲の歌詞の一節です。

独りの、モテない僕にとって、それらの音楽は心の支えとなっていきました。

それらの青春パンクは、冴えない僕の応援歌だったのです。

「行けよ男たち、山を越え、谷を越え。中途半端のまま突き進め。それが人間だ!」

気付けば、同じく冴えない友達が僕の周りに集まるようになりました。自然と「音楽をやろう」の空気になって、僕たちはバンドを組むことになります。

そう、青春パンクロックバンドの誕生です。

僕たちは文化祭のライブに出るために練習を始めました。やる曲はもちろん、青春パンク。

満を持して文化祭のステージに上がる小寺とそのバンドメンバーたち。

きっと僕らの魂の叫びを、聴いてくれる同志がいるに違いない。同じくゴイステやモンパチが好きな、邦ロック女子が寄ってくるに違いない……

「嗚呼、ときめいて、涙流して。しょっぱい青春の日々はもう戻らない!」

僕は全力で弾きました。歌いました。

「さぁ、うたおうぜ!馬鹿でもうたおうぜ!!」


……ハイ、わかりますね。そうです。そういうことです。


モテませんでした。

いや、厳密には、男子にはちょっとモテました。

そうです。あまりにも男くさい僕たちのバンドは、冴えない仲間たちの共感を呼び、結果、友達は増えました。


嬉しいですね。(涙)


さて、あれから歳月は流れ……

僕は今でもギターを手に唄っております。
今もモテません。それでいいと思ってます。

ふつうの軽音部に入れなかった僕は、その青春をクワハリ先生の『ふつうの軽音部』から摂取し、そして今でも青春を追いかけ続けています。

青春っていうのは、追いかけるものです。

ウラニーノさんも言っています。
「ただ終わってく青春の後ろ姿を夢中になってひたすら追いかけてた」って。

大人になってから夢を叶えた僕は、また次の夢を追いかけていきます。

走るのをやめた時、追いかけるのをやめた時、青春って終わる。なぁそうだろ?

がむしゃらに走り回った10代の僕に恥じない生き方を、僕はしたい。斜に構えて冷笑に浸る、ダサい大人にはなりたくないから。

いつまでも、折に触れて。
終わらない青い春を!


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小寺無人 いただいたチップは作者の励みになるし、次の執筆の糧になります!(本を買ったりご飯食べたり) 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします……!!