【創作大賞応募作品】人生で大切なことはいつもそばにいる愛犬が全部知っていた~可愛い大きなトイプードル先生に学ぶ、幸せの見つけ方~
はじめに なぜ犬に人生を教わることになったのか
告白する。私の本棚には「読み終えていない自己啓発本」がジェンガのように積まれていた。過去形なのには理由がある。今はもう存在しない。理由は後述する。
そのタワーの最上階を、家賃も払わず占拠していたのが我が家のトイプードル、プー太郎である。事件が起きたのは深夜二時。ドン、ガラガラ、ドッシャーン、という三段階の音で私は飛び起きた。リビングに駆けつけると、そこはもう本の墓場だった。『心を洗う』は表紙が引きちぎられ、『Inner Calm』はページの半分がよだれで貼り付き、『人生のことば』はなぜか三メートル離れたカーテンの裏に飛んでいた。そしてプー太郎は、その残骸の中心で、何事もなかったような顔でヨーグルトの空き容器に頭を突っ込み、抜けなくなって壁に頭からダイブしていた。
私は掃除を放棄し、その場に座り込んで三十分笑い続けた。近所迷惑だったかもしれない。だが仕事のストレスも家賃の督促状も、頭を容器に突っ込んで壁にダイブする犬の前では、しばらくどこかに消えていた。
それから私は、プー太郎の珍騒動をノートに書き留めるようになった。散歩中にリードごと自分の足を三重に巻き込んで自力脱出不可能になった事件、宅配便のお兄さんに向かって渾身の雄叫びを上げた2秒後に自分の吠え声に驚いて後ろに転倒した事件、掃除機を宿敵と認定して威嚇しながらも尻尾だけは全力で振っているという矛盾。どれも自己啓発本には絶対に書いていない。書いた瞬間、出版社が回収するレベルである。
この本は、そうして溜まった「プー太郎珍騒動ノート(通称:損害賠償請求書つき)」をまとめたものである。犬に人生を教わるなんて大げさかもしれない。だがヨーグルト容器に頭を突っ込んで壁にダイブし、自分の足に三重に絡まり、自分の吠え声に驚く犬のほうが、よほど全力で、そして全力で間違えながら生きている気がするのだ。

目次
序章 なぜ犬に人生を教わることになったのか
第一部 「今」を生きるということ
第1章 昨日の失敗をペロッと忘れる技術(ついでに自分の吠え声にも驚いて忘れる)
第2章 まだ来ぬ明日の不安より、目の前のボール(なくても全力でボールを探す動きだけする)
第3章 雨の日は、ガラスに向かって全力で唸り、その勢いで滑って転ぶ
第4章 退屈さえも「自分の尻尾との死闘、そして完全敗北」に変える才能
第二部 愛するということ
第5章 条件をつけずに走り寄る勇気(そして家具に激突する運動神経)
第6章 「ただそこにいる」ことの偉大さ(真夏に膝の上、真冬に布団の中央を制圧)
第7章 怒られても、一秒後には忘れて全速力で甘えてくる図太さ
第8章 留守番の孤独と、帰宅後のカーテンの謎の破損状況
第三部 心を整えるということ
第9章 昼寝は逃げではなく、戦略である(仕事の資料の上、キーボードの上、洗濯物の山、どこでも即決)
第10章 匂いだけで幸せになれる嗅覚的人生哲学(道端の謎物体への強すぎる執着)
第11章 吠えるべき時(段ボール、掃除機、風船、自分の影)と、なぜか黙ってしまう時(本物の来客)
第12章 散歩コースを変えるだけで世界が広がる(そして毎回同じ電柱で三十分停止する)
第四部 幸せに気づくということ
第13章 ごはんの前の「待て」はとても上手…何分でも待てる能力が凄い!
第14章 小さな喜びを全身で表現する練習(からの家具への激突、そして反省ゼロ)
第15章 老いていく速度と、それでも変わらない食い意地と壁へのダイブ癖
第16章 いつか来る別れと、それでも今日はおやつを三個ねだる図太さ
終章 愛犬が最後に教えてくれたこと
第1章 昨日の失敗をペロッと忘れる技術(ついでに自分の吠え声にも驚いて忘れる)
プー太郎は、私が仕事の失敗を引きずって帰宅した日でも、玄関を開けた瞬間から全力で走り出し、そのまま助走のつきすぎた勢いで壁に激突する。昨日プー太郎がトイレを粗相して少しエラーをしてしまったことを注意したことも、一昨日おやつを一粒しかあげなくてしょげていたことも、彼の中にはもう存在しない。というか壁に激突した衝撃で、直前の記憶ごと吹き飛んでいる可能性が高い。
先日、宅配便が届いた際、普段はあまり吠えることのないプー太郎が渾身の力で「ワン!!」と吠えた。その音の大きさに、彼自身が一番驚いていた。びくっと体をのけぞらせ、そのまま後ろにひっくり返り、四本足を天井に向けたまま数秒間停止した。自分の声に驚いて転ぶ生き物を、私はそれまで見たことがなかった。
人間はどうしても、昨日の失言や過去の失敗を反芻してしまう生き物だ。布団に入ってから「あの時ああ言えばよかった」を何度も再生する夜を、誰もが経験しているはずだ。だがプー太郎の反省タイムは、体感で2秒である。むしろ反省する前に次の粗相が発生している。
これは「忘れっぽい」というより、「常に新しい事故を起こしているせいで、古い事故を振り返る余裕が物理的にない」のだと私は理解するようになった。人間にも同じ切り替え力があったら、と思う。だが同時に、我が家の壁とカーテンの修繕費のことを考えると、全力での推奨はしにくい。
この章のメッセージ
ネガティブなことが起きても、切り替えることが大切。そして、考えすぎても大したことは起きない。

第2章 まだ来ぬ明日の不安より、目の前のボール(なくても全力でボールを探す動きだけする)
プー太郎にボールを見せると、彼の世界からその他のすべての情報が消える。宅配便のチャイムも、私が呼ぶ声も、テレビの音量も、彼の耳には届かない。あるのはボールと、ボールと自分だけの純白の世界である。
問題は、ボールを本当に投げた時だけでなく、投げていない時にも発生する。先日、私が投げる真似だけしてボールを隠したところ、プー太郎は本気で庭の奥まで全力疾走し、存在しないボールを十分間探し続けた。しっぽを振りながら、鼻を地面にこすりつけながら、真剣そのものの表情で。あるはずのないボールを、あると信じて全力で探すその姿は、傍から見ると少し切ないが、本人はどうやら本気で楽しんでいた。
明日の仕事のことを考えて眠れなくなる夜がある。まだ起きていない失敗を先取りして不安になり、まだ来ていない未来のために今の時間を溶かしてしまう。プー太郎には、そんな心配の概念が存在しない。彼にあるのは、今、目の前にあるボール(あるいは、あると信じているボール)だけである。
明日の不安を先取りするくらいなら、存在しないボールを本気で追いかけるくらいのほうが、案外幸せなのかもしれない。もっとも、真剣な顔で庭を十分間掘り続けた挙句、ボールが最初から私のポケットに入っていたことに気づいた時のプー太郎の顔は、なかなかの見物だった。
この章のメッセージ
起きてもいない不安より、今ここに100%で生きよう!

第3章 雨の日は、ガラスに向かって全力で唸り、その勢いで滑って転ぶ
雨の日、プー太郎は必ず窓の前に陣取る。ガラスの向こうで揺れる木の枝や、雨粒の動きに向かって、なぜか低く唸り始める。相手が雨であることに気づいているのかどうかは、永遠の謎である。
ある日、庭に置いてあった傘が風で少し揺れた瞬間、プー太郎はそれを完全に「敵」と認定した。全力で吠えながら助走をつけて突進し、フローリングの上で見事に足を滑らせ、そのまま横倒しでガラス戸まで一直線に流れていった。傘は勝利を確定させたまま、変わらず風に揺れていた。
人間も、実体のない不安に対して全力で身構えることがある。まだ起きていない何かを想像し、勝手に「敵」だと決めつけて、心と体をすり減らす。多くの場合、その「敵」は雨の日に揺れる傘のように、こちらの想像の中にしか存在しない。
プー太郎の名誉のために言っておくと、彼はその後何事もなかったように体を起こし、また窓の前に陣取って唸り続けていた。転んだことへの反省も、傘への警戒も、特に変わった様子はなかった。失敗してもすぐに同じ体勢に戻れるその図太さだけは、素直に見習いたいと思っている。
この章のメッセージ
想像上の敵に全力で怯えるより、それが本当に敵かどうかをまず確かめよう。

第4章 退屈さえも「自分の尻尾との死闘、そして完全敗北」に変える才能
することがない午後、プー太郎はやることリストの最後の項目として、必ず自分の尻尾を追いかけ始める。特に理由はないようだ。ただ視界の端に何かが動いているのを発見し、それが自分の尻尾であることに気づかず、全力で追跡を開始する。
三回転ほどしたところで目が回り、そのまま横に倒れて数秒間停止する。起き上がった後、しばらく放心したような顔で床を見つめ、それから何事もなかったかのように水を飲みに行く。この一連の流れに、彼なりの満足感があるのかどうかは分からないが、少なくとも退屈していたようには見えない。
退屈な時間ほど、人はスマートフォンを開いて意味のない情報を延々と追いかけてしまう。追いかけた先に何もないと分かっていても、なぜか止められない。プー太郎の尻尾追跡と、私のスクロールは、構造としてよく似ている気がしてくる。
違うのは、彼が三回転で目を回して素直に止まるのに対し、私はスマートフォンを見ながら一時間が過ぎていることに気づかないという点だ。退屈をどう処理するかという意味では、正直、彼のほうがずっと効率的で健康的である。
この章のメッセージ
退屈は敵ではない。何かに全力で向き合えば、退屈もあっさり終わる。

第5章 条件をつけずに走り寄る勇気(そして家具に激突する運動神経)
プー太郎は、相手が誰であろうと全速力で走り寄る。私であっても、初めて会う友人であっても、宅配便のお兄さんであっても(この場合は吠えながらではあるが)、とにかく全力で走る。その走行ルート上に家具があるかどうかは、彼の判断基準に含まれていない。
先日、来客があった際、プー太郎は歓喜のあまりソファの角に側頭部から激突し、そのまま何事もなかったように客の膝に飛び乗った。客は「大丈夫?」と本気で心配していたが、プー太郎本人はすでに次の行動、つまり客の顔を舐めるという任務に完全移行していた。
人間は誰かに好意を示す前に、たいてい様々な計算をする。相手にどう思われるか、この態度は正しいか、タイミングは合っているか。その計算の間に、好意そのものが薄れてしまうことも少なくない。プー太郎の計算式には、そうした変数が一切組み込まれていない。好きなら走る。それだけである。
もちろん、家具への激突は毎回発生するので、全面的な推奨はできない。だが、条件も計算も抜きにして誰かに向かって走り寄れるという才能は、正直かなり羨ましい。私がその境地に達するには、まず家具の心配をやめることから始める必要がありそうだ。
この章のメッセージ
計算してからでは遅い。好きだと思ったら、まず走り寄ってみよう。

第6章 「ただそこにいる」ことの偉大さ(真夏に膝の上、真冬に布団の中央を制圧)
プー太郎には特技と呼べるものがほとんどない。お手は気分次第、お座りは三割成功、待てはゼロ秒。彼の唯一にして最大の特技は「ただそこにいること」——そして、その「そこ」が常に人間にとって一番都合の悪い場所であることである。
真夏の三十五度の日、彼は必ず膝の上に来る。真冬、私が布団に入ろうとすると、すでに布団の真ん中を制圧していて、隅に追いやられるのは私である。体調を崩して寝込んだ日には、慰めるでもなく心配するでもなく、ただ胸の上に登って全体重をかけて寝落ちした。息が苦しかった。だがその重みに、確かに救われている自分がいた。
人間関係において、私たちはとかく「何かをしてあげなければ」と気負いがちだ。プー太郎は何もアドバイスしない。ただ乗ってきて、布団の主導権を奪う。それだけで妙に安心する自分がいるのだから、私もそろそろこの依存を自覚すべきなのかもしれない。
「ただそこにいる」という行為には問題を解決する力はない。だが孤独を薄める力は確かにある。しかもプー太郎の場合、酸欠と布団の隅っこという犠牲つきで実感できるという特典がある。誰かが隣にいてくれるという事実だけで、人はしばらく踏ん張れることがある。彼はそれを、体重五キロと圧倒的な陣取り欲で証明してみせる。
この章のメッセージ
何かをしてあげることより、ただそばにいることの方が、誰かを支える力になる。

第7章 怒られても、一秒後には忘れて全速力で甘えてくる図太さ
プー太郎を叱った時の一連の流れには、いつも決まったパターンがある。まず耳がぺたんと寝て、目が少し細くなり、しゅんとした顔を作る。ここまでは反省しているように見える。だが次の瞬間、間髪入れずに全力で足に頭突きしてきて、そのままお腹を見せて転がる。反省の表情から甘えの体勢まで、要する時間は約一秒である。
先日、彼が私の靴を一足丸ごと持ち去って庭に埋めているのを発見し、思わず声を荒げて叱った。プー太郎はしゅんとした顔でこちらを見上げ、次の瞬間には全速力で駆け寄ってきて、埋めた靴とは無関係の私の別の靴を持って再び走り去った。反省と再犯の境目が、彼の中には存在しないらしい。
人間関係において、私たちは怒られた後、しばらく相手との距離を測りながら気まずい時間を過ごすことが多い。反省すべき点を延々と考え続け、そのせいで次に会う時まで妙にぎこちなくなる。プー太郎にはそのような気まずさの概念がない。怒られた一秒後には、もう次の関係構築フェーズに入っている。
図太いと言えば図太いし、学習能力を疑いたくもなる。だが叱られた後も、こちらへの信頼だけは一切揺らいでいないその姿勢には、正直救われることが多い。関係が壊れることを恐れて距離を取るより、まず駆け寄ってみる。彼のその姿勢だけは、見習う価値があると思っている。ただし靴は勘弁してほしい。
この章のメッセージ
気まずさを長引かせるより、信頼を疑わずにまた駆け寄る勇気を持とう。

カーテンの謎の破損状況
出かける前、私は必ずプー太郎に「大丈夫、すぐ帰るから」と声をかける。彼はいつも「本当か?」というような目でこちらを見返してくる。その目に噓はつけない気がして、玄関を出る足が少し重くなる。だが結論から言うと、その罪悪感の八割は、帰宅後の惨状によって粉々に打ち砕かれる。
三時間の外出で帰宅した日のことだ。玄関を開けた瞬間、床に無数の羽根が散らばっていた。羽根布団の内容物が、まるで大雪が降ったかのように部屋全体を覆っていた。プー太郎は羽根まみれの姿で、こちらに向かって全力で尻尾を振っていた。孤独に苛まれていた様子は、微塵も見受けられなかった。むしろ「新雪を見せてやろう」という達成感すら漂っていた。
別の日には、カーテンの下半分がレース模様のように穴だらけになっていた。犯行の目的は不明である。獲物と勘違いしたのか、単なる暇つぶしか、本人に聞いても「ワン」しか返ってこない。取り調べは常に決裂する。
犬の分離不安について調べると、多くの本は「留守番中の犬は寂しさから問題行動を起こす」と説明している。もちろんその側面はあるのだろう。だが我が家の羽根まみれの現場を見る限り、寂しさよりも「暇な時間をどう有効活用するか」という創造性のほうが、はるかに強く発揮されているように見える。
人間もまた、一人の時間を持て余すことがある。予定のない休日、誰にも会わない午後。そういう時間を「寂しい」と決めつけて塞ぎ込むこともできるし、羽根布団を全力で解体するような勢いで、何か新しいことに手を出すこともできる。もちろん羽根布団の弁償代は痛いが、それでも彼の「一人の時間を全力で使い切る」姿勢には、妙な説得力がある。
帰宅後、私は羽根を掃除しながらいつも同じ結論に至る。留守番中のプー太郎は、寂しかったのかもしれない。だが同時に、間違いなく忙しかった。
この章のメッセージ
一人の時間を寂しいと決めつけず、自分なりに使い切ってみよう。

第9章 昼寝は逃げではなく、戦略である(仕事の資料の上、キーボードの上、洗濯物の山、どこでも即決)
プー太郎は一日十八時間ほど寝て過ごす。しかもその寝る場所の選定基準が、常に「今、人間が一番使いたい場所」である。先日は提出直前の資料の上で豪快に寝落ちし、資料は彼の寝相のせいで見事に扇形に散らばった。翌日は充電中のノートパソコンのキーボードの上で寝て、電源ボタンが五回連続で押される事件が発生した。パソコンは五回連続で起動と終了を繰り返し、最終的に私より先に力尽きた。
彼は疲れる前に寝る。まだ元気なうちからさっさと横になる。人間はしばしばこの順番を逆にする。倒れる寸前まで頑張って、それから慌てて休もうとする。プー太郎はそもそも「頑張る」という選択肢自体を、生まれてから一度も検討していない可能性がある。
現代社会では「休むこと」がまるで罪であるかのように語られがちだ。だがプー太郎の惜しみない、そして節操のない、そしてパソコンの電源ボタンごと巻き込む昼寝を見ていると、休むことは逃げではなく、次の粗相への準備期間なのだと思えてくる。もう戦略とは呼べない気がしているが、本人は堂々としている。
この章のメッセージ
休むことは逃げではない。倒れる前に休む勇気を持とう。

第10章 匂いだけで幸せになれる嗅覚的人生哲学(道端の謎物体への強すぎる執着)
散歩中のプー太郎の幸福度を最も左右するのは、景色でも天気でもなく、道端に落ちている謎の物体の匂いである。何の変哲もない電柱の根元で、彼は毎回三分以上かけて丁寧に匂いを分析する。私にはただの染みにしか見えないものが、彼にとっては膨大な情報量を含んだニュースサイトなのだろう。
問題は、その謎の物体が時々「本当にただの謎の物体」である場合だ。先日、公園で何かを見つけて猛烈に顔をこすりつけていたプー太郎を引き離したところ、正体は明らかに誰かの落とした揚げ物の残骸だった。帰宅後の入浴タイムは、いつもより念入りになった。
それでも、彼の匂いへの執着には妙な説得力がある。人間は目に入る情報の多さに振り回されて、何が本当に自分を幸せにするのかを見失いがちだ。プー太郎は違う。良い匂いがすれば、それだけで尻尾が高速回転する。幸せの基準が極めてシンプルで、しかもぶれない。
ただ、揚げ物の残骸に顔をこすりつけて幸せを感じるその基準を、そのまま人間に応用するのは、さすがに無理があると思っている。
この章のメッセージ
幸せの基準はシンプルでいい。自分にとっての「良い匂い」を見失わないこと。

第11章 吠えるべき時(段ボール、掃除機、風船、自分の影)と、なぜか黙ってしまう時(本物の来客)
プー太郎の警戒対象リストには、段ボール、掃除機、風船、そして自分の影が含まれている。これらが視界に入った瞬間、彼は家中に響く声で吠え始める。特に掃除機に対しては、宿敵認定から数年経った今でも、稼働音を聞いた瞬間に全力で威嚇する。ただし距離は常に二メートル以上保っている。
一方で、本物の泥棒や不審者に対応できるかどうかは、正直かなり怪しい。以前、宅配業者ではない見知らぬ人がインターホンを鳴らした際、プー太郎は吠えるどころか、しっぽを振りながら玄関でスタンバイしていた。警備能力という意味では、段ボールの方がよほど警戒されている。
人間もまた、本当に注意すべき問題より、目につきやすく分かりやすい脅威に反応しがちだ。段ボールのように分かりやすい相手には全力で吠えられるが、静かに近づいてくる本当の問題には、案外気づかないことが多い。
プー太郎の警備方針を見習うべきかどうかは分からない。少なくとも、段ボールと風船に対しては、我が家は鉄壁の防御を誇っている。
この章のメッセージ
分かりやすい脅威に反応する前に、本当に注意すべきものを見極めよう。

第12章 散歩コースを変えるだけで世界が広がる(そして毎回同じ電柱で三十分停止する)
散歩のコースをいつもと変えてみると、プー太郎の興奮度は普段の三倍になる。見知らぬ匂い、見知らぬ景色、見知らぬ犬の気配。すべてが新しい情報として彼の鼻と耳に押し寄せてくる様子は、傍で見ているだけでも楽しい。
ただし新しいコースにも、必ず「彼にとって特別な電柱」が存在する。理由は不明だが、その電柱の前では毎回三十分近く停止し、あらゆる角度から匂いを検証する。急いでいる日にこの電柱に遭遇すると、正直かなり困る。だが本人はいたって真剣なので、無理に引き離すのも忍びない。
日常のルートを少し変えるだけで、世界はこんなに広がるのかと、プー太郎の散歩から教わることは多い。同時に、どれだけ世界が広がっても、必ずどこかで自分だけのこだわりポイントに立ち止まってしまうところも、なんだか人間らしくて親近感がある。
この章のメッセージ
いつもと違う道を選ぶだけで、世界は思った以上に広がる。

第13章 ごはんの前の「待て」はとても上手…何分でも待てる能力が凄い!
プー太郎に「待て」を教えたのは、彼が我が家に来て半年ほど経った頃だった。最初はてっきり、他の芸と同じく三日で私が心折れるだろうと思っていた。ところが意外なことに、この「待て」だけは、彼の中で妙に本気モードのスイッチが入ったらしい。
「待て」と言うと、彼はまず動きを止め、そのまま皿から視線を外さずに完全に固まる。私が席を立って別の用事を済ませ、五分後に戻ってきても、彼は同じ姿勢のまま、微動だにせず皿を見つめ続けている。よだれだけが静かに垂れているが、体はぴくりとも動かない。長い時は十分近く、その体勢を保っていたこともある。
不思議なのは、その十分間の彼の顔つきだ。早く食べたいという焦りよりも、むしろ何かをじっと見極めているような、静かな集中がそこにある。皿の中身が動くわけでもないのに、彼はまるでそこに全世界が詰まっているかのように、じっと見つめ続けている。
人間はどうだろうか。目の前に何かがあっても、ゆっくり見つめる前にスマートフォンに手が伸びる。今日食べたごはんの味も、隣にいる人の表情も、案外ちゃんと見ていないことが多い。次の予定、次の通知、次の情報。「次」を気にするあまり、「今」を見る時間が、驚くほど短くなっている。
プー太郎の「待て」は、単なる我慢比べではないのかもしれない。今、目の前にあるものを、余計なことを考えずにただじっと見つめる。それだけの時間を、彼は毎回きっちり作っている。ごはんという、彼にとって最も大きな喜びの前でこそ、あえて立ち止まり、じっと見る。その姿勢は、忙しさに流されがちな私たちに、静かに問いかけてくる。今、あなたの目の前にあるものを、ちゃんと見ているか、と。
「よし」と声をかけた瞬間、彼はようやく皿に顔を近づける。だが不思議なことに、その最初の一口だけは、いつもゆっくりと丁寧に噛んでいる。十分間見つめ続けた末に訪れる一口だからこそ、味わい方も変わるのかもしれない。少なくとも私には、そう見える。
この章のメッセージ
先を急がず、今目の前にあるものをじっと見る時間を持とう。

第14章 小さな喜びを全身で表現する練習(からの家具への激突、そして反省ゼロ)
プー太郎の喜び方には、加減というものが存在しない。散歩に行くと分かった瞬間、部屋の中を全力で走り回る。この時の彼にブレーキという機能があるのかどうかは、いまだに確認できていない。カーブを曲がりきれずに壁に激突することも多いが、そのまま体勢を立て直して走り続ける。
ある日、テーブルの脚に頭からぶつかった直後、彼は倒れた体勢のまま尻尾だけを全力で振っていた。痛みと喜びが同時に存在するその瞬間、彼の中では確実に喜びが勝利していた。
人間は喜びを表現する時、たいてい多少の遠慮や恥ずかしさを伴う。心の底から嬉しいのに、表情を抑えたり、声を小さくしたりする。プー太郎にはそうした自制心が一切ない。嬉しければ全身で、時には家具に激突しながらでも、その喜びを出力する。
見習うべきかと言われると、家の修繕費のことを考えると即答はできない。だが、あの全力の喜び方を見ていると、少しくらい遠慮を捨ててみてもいいのかもしれないと思わされる。
この章のメッセージ
嬉しい時は、遠慮せず全身で喜んでいい。

第15章 老いていく速度と、それでも変わらない食い意地と壁へのダイブ癖
プー太郎も少しずつ年を取ってきた。以前より階段を上るのに時間がかかるようになったし、朝起きてすぐに走り出すことも減った。白髪も口周りに増えてきている。時の流れというものを、彼を通して感じることが増えた。
それでも、おやつの音を聞いた瞬間の反応速度だけは、一切衰えていない。むしろ以前より鋭くなっている気さえする。そして相変わらず、興奮すると家具に激突する。老いというものは、体力や動きの正確さを少しずつ奪っていくようだが、彼の食い意地と勢いだけは、どうやらその対象から外れているらしい。
老いを恐れる気持ちは、私にもある。できていたことが少しずつできなくなる感覚は、正直こわい。だがプー太郎を見ていると、多少動きが鈍くなっても、好きなものへの熱量まで失う必要はないのだと思わされる。壁への激突頻度が今後どう変化していくのかは分からないが、少なくとも今のところ、その勢いは健在である。
この章のメッセージ
できることが減っても、好きなものへの熱量は失わなくていい。

第16章 いつか来る別れと、それでも今日はおやつを三個ねだる図太さ
プー太郎との別れの日が、いつか来る。それを考えるだけで、正直この本を書いている今も胸が苦しくなる。彼が家具に激突するたびに笑っていたこの日々が、当たり前ではないことは、頭では分かっている。
だが、そんな寂しい想像をしている隣で、プー太郎は今日もおやつを三個ねだっている。一個渡しても満足せず、二個渡しても足りないという顔をし、三個目でようやく機嫌よく尻尾を振る。私が別れの未来に思いを巡らせている間も、彼は今日のおやつという、極めて現実的な問題に全力で取り組んでいる。
その図太さに、救われることがある。悲しい未来を先取りして今を憂うより、目の前のおやつに全力を尽くす。彼の生き方は、結局この本の最初から最後まで一貫している。今この瞬間を、精一杯生きること。たとえそれが、おやつ三個分の交渉であっても。
この章のメッセージ
別れを恐れて今を疎かにするより、今日という一日を大切に生きよう。

終章 愛犬が最後に教えてくれたこと
この本を書き終えた今も、プー太郎は本の残骸とカーテンの切れ端の中で、いびきをかいている。彼が何かを意図して私に教えているわけではないことは、もちろん分かっている。彼はただ、犬として、そしてかなり自由に、そして家具に対してかなり容赦なく生きているだけだ。
けれど、その「全力で、しかも大抵は何かを破壊しながら今を生きる」姿こそが、私たち人間がどこかに置き忘れてしまった何かを思い出させてくれる。今を生きること。条件をつけずに走り寄ること(その結果壁に激突するとしても)。休むことを恐れないこと(たとえその場が私の仕事の資料であっても)。小さな喜びを全身で、時には自分の声に驚いて転倒しながら表現すること。どれも特別な教義でも難解な理論でもない。ただ、本の残骸の上でいびきをかいている一匹の犬が、日々当たり前のようにやっていることだ。
いつか必ず、プー太郎との別れの日が来る。そのことを考えると胸が締めつけられるが、同時に思う。彼が教えてくれた最大のことは、「別れを恐れて今日のおやつタイムと壁へのダイブを疎かにしない」ということなのだと。今日、隣で盛大にいびきをかき、時折びくっと動いて自分の寝言に驚いているその温かさを、ただ静かに(そして少し修繕費を心配しながら)味わうこと。それこそが、賢そうな顔をして中身はだいぶ抜けているこの小さな哲学者が、崩れた本の山とちぎれたカーテンの中から、いびきと共に伝え続けているメッセージなのかもしれない。
読み終えていない自己啓発本は、もう本棚に残っていない。だが、もう焦って読む必要はない気がしている。答えはとっくに、プー太郎が壁へのダイブとヨーグルトの染みで教えてくれていたから。修繕費だけは、正直今も教えてほしい。

