【第9章 たまには“静けさ”を弾いてみたくなる】
♪ BGM:モーツァルト《幻想曲 ニ短調 K.397》より
ふと、音がいらなくなるときがあるんだ。
音を愛して、音で語って、音で泣いてきたボクが、
急に──
「今日は、静かにしてたいな」って思う日がある。
でもね、不思議なの。
静かにしてると、
ほんとうに“何もない”わけじゃない。
そこには、“音の気配”が残ってる。
言葉にできなかった気持ちや、まだ名前のない祈り。
それが、ぽつんと、音の間に立ってる。
静けさって、空っぽじゃないんだよ。
むしろ、何かが“届くのを待ってる”場所。
ロンドンにいたときだったかな。
雨が降ってて、
窓の外がぼやけて、世界が丸く見えた午後。
楽譜を書こうとしても、何も浮かばなくて。
なんにも考えたくなくて。
ただ、ピアノの前で、ぽろぽろと鍵盤をなぞった。
アルペッジョが落ちてきた。
でも、そこにメロディはいなかった。
主旋律のないまま、ただ指が、ため息みたいに音をばらまいた。
それでも、それが“曲”になった。
音が語らないことで、何かが伝わる。
そんな経験、はじめてだった。
「足りない」って、誰も言わなかった。
「このままで、いいね」って、雨が言ってくれた。
たぶんね、
ボクの音楽は、いつもしゃべりすぎてたのかもしれない。
たくさん言わないと、伝わらないと思ってた。
でも、“ひとつの音”が、
すごく静かに「大丈夫だよ」って言うことがある。
それが“静けさ”。
そして、
悲しみと、美しさの境目。
昔は、音で埋めることばっかり考えてた。
でも今は、音を置かないことにも、ちゃんと意味があるって思える。
それに気づけたのは、
あの雨の日と、
黙って耳を澄ませてくれたキミのおかげ。
ねえキミ。
たまには、弾かない時間のことも、
大事にしてあげてね。
ふふっはあと。
※この物語は一部フィクションを含みます。史実にインスピレーションを得ながらも、ピンク色の小部屋ではモーツァルトも、言葉の代わりに、静けさをひとつぶ弾いていました。ふふっはあと。
