【第2章 チェンバロの前の小さな指】
♪ BGM:モーツァルト《クラヴィーア練習曲 K.1a〜1b》より
チェンバロという楽器には、秘密がある。
ひとつ、叩いても音が大きくならないこと。
もうひとつ、ピアノよりも軽やかで、すこし潔癖な音がすること。
つまり、チェンバロは「ごまかしの効かないやつ」なのだ。
「ヴォルフィ、弾いてみなさい」
父のレオポルドは、ボクの小さな手を、鍵盤の上へ導いた。
チェンバロの鍵盤は、ピアノよりも少し軽く、でも跳ね返りがはっきりしていた。
──タタン。
最初のひと音を鳴らした瞬間、
なぜだか、ボクの“からだのどこか”が目覚めた気がした。
何かが「そこだ」と言ったような気がした。
ボクの指は、音を選ぶように、鍵盤を押した。
遊ぶように、語りかけるように。
音が音を呼び、
鍵盤が鍵盤を呼び、
やがてそれは、音楽と呼ばれる“なにか”になっていった。
「お前……ほんとに、誰に習ったんだ……?」
父レオポルドがつぶやいた。
その目は、どこかおかしなものを見るような目だった。
ボクはまだ文字もろくに読めなかった。
でも、指は読めた。
音を、読めた。
「この子……ほんとに、音と話してるのかもしれないわね」
母は冗談のつもりだった。でもボクには、聞こえていた。
ボクには、確かに音が見えていた。
まるで、五線譜の向こうに、小さな世界がひらけているみたいに。
それは、ボクの“最初の作曲”だった。
K.1a、そしてK.1b──
メヌエット。ちょっと小粋で、お菓子みたいな小品たち。
まだ名もない、
でも、もう名を与えられた小さな音たちが、
ボクの指から、世界に飛び出していった。
ふふっはあと。
※この物語は一部フィクションを含みます。
史実にインスピレーションを得ながらも、ピンク色の小部屋ではモーツァルトも、ちょっと自由におしゃべりしています。ふふっはあと。
