カウンセラー起業で迷走して、“エセ”寸前で目が覚めた
「資格はいりません」
その人は、はっきりそう言い切った。
そして次に、こう続けた。
「重い人は扱わなくていいんです」
——その瞬間、私の中で何かが止まった。
カウンセラー起業という、やさしい顔をした入口
カウンセラー起業。
誰かの役に立てる仕事。
自分の経験が価値になる世界。
過去のしんどさも、挫折も、孤独も。
「それは誰かを救う力になります」と言われたら、
心が動くのは当然だと思う。
私も真剣に考えた側の人間だ。
軽い気持ちじゃない。
ちゃんと向き合いたいと思ったからこそ、
学び、聞き、現場の話にも触れていった。
でも、進めば進むほど、
違和感が増えていった。
やたら高額なのに、やたら軽い
講座は驚くほど高額だった。
でも、話の中心は
倫理でもなく、責任でもなく、専門性でもなかった。
「売れる肩書きの作り方」
「共感されるプロフィール」
「申し込みが入る言葉選び」
もちろんビジネスの視点も必要だと思う。
でも、違和感があった。
人を扱う仕事なのに、
“人の重さ”の話が極端に少ない。
そして、まだ不安が残る段階でも
「もう十分です」
「今日から名乗れます」
と背中を押される空気。
正直、怖かった。
国家資格を持っているからこそ、止まった
私は心理の国家資格ではないけれど、
別分野の国家資格を持っている。
だからこそ、わかる。
資格そのものがすべてじゃない。
でも、そこに至るまでの時間、
かかる費用、
背負う責任の重さ。
そして何より——
「軽い気持ちで人を扱えない」
という前提。
国家資格の世界では、
扱っていい範囲、
つないでいい相手、
やってはいけない対応が
徹底して叩き込まれる。
だからこそ、
「資格はいりません」と軽く言い切る空気に、
私は強い違和感を覚えた。
本来つなぐべき人が「経験」として語られていた
ある時、
本来なら専門機関につなぐべきレベルの相談者の話が出た。
慎重に扱うべき話だと思って聞いていた。
でも、そこで語られたのは——
「いい経験になりますよ」
「現場で学べます」
「何事も経験ですから」
笑いながらの武勇伝のような話だった。
私は凍った。
それ、経験談として笑える話じゃない。
本来は起きてはいけない対応の可能性だ。
人の人生を扱う仕事で、
「やっちゃいけないこと」を
成功体験のように語ってしまう空気。
その時、はっきり思った。
これは本当に
人を助ける仕事なのか?
それとも
正義の顔をしたビジネスなのか?
気づいたら、自分も“売る側”に回りかけていた
正直に言う。
私は最初から冷静だったわけじゃない。
むしろ逆だ。
気づけば、
同じ言葉に慣れ、
同じ世界観を受け入れ、
同じ方向に進みかけていた。
「あなたの経験が武器になります」
「今すぐ始められます」
「資格はいりません」
その言葉を疑わなくなっていた。
そして、ふと気づいた。
あってないような金額の講座を払い、
次は自分が
同じ講座を勧める側になる構造。
“救う側”という名目で、
“次の受講者を増やす側”に回る仕組み。
その構造が見えた瞬間、
背筋が冷えた。
すべてが悪いとは言わない。でも、私は降りた
救われた人もいると思う。
真剣に学んでいる人もいるはずだ。
だから全部を否定したいわけじゃない。
でも私は、
どうしても健全には見えなかった。
責任よりも参入の手軽さ。
専門性よりも売れるストーリー。
倫理よりも集客ノウハウ。
そして何より怖かったのは——
気づかないまま、
自分自身が“エセ”になりかけていたことだった。
だから私は降りた。
人を助ける仕事を、
軽く扱いたくなかったから。
国家資格がすべてじゃない。
でも、重さを知っているからこそ、
軽さに違和感を覚えた。
「資格はいりません」と言うなら、
せめてその先にある責任の重さも
同じ声量で語ってほしい。
それがない場所には、
私はもう近づかない。
それだけの話だ。
