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「自分らしさ」はどこにある?|養老孟司「ものがわかるということ」から考える

はじめに


「もっと個性を大事にしなさい」とか「自分の個性を伸ばしていこう」って、よく言われますよね。

でも正直なところ、僕はいつもその言葉に少し戸惑ってきました。
「個性」って、考え方や価値観のことを指してるんだろうなと思ってたけど、じゃあ“他の人と違う価値観”を無理に作らないといけないの?とか、
独特な考え方を持たないと「個性がない人」になっちゃうの?とか。

そういうモヤモヤを抱えていた僕が、
養老孟司さんの『ものがわかるということ』を読んで、とても大きなヒントをもらいました。

中でも、「個性とは身体である」という一節には本当に驚かされました。
「え? 身体が個性? 思考とかじゃないの?」と。

今回はこの本を通して考えた、「個性」や「わかる」ということの意味、
そして、ちょっと肩の力が抜けた僕なりの気づきを、ゆるっと書いてみたいと思います。

個性は「考え方」じゃなくて「身体」だった?

『ものがわかるということ』の中で、養老孟司さんは「個性は身体に宿る」と言います。

正直、最初はピンときませんでした。僕にとって個性って、考え方とか価値観のこと。だから「個性を伸ばそう」と言われるたびに、独特な意見を出さなきゃいけないのかと、ちょっと構えてしまっていたんです。

でもこの本では、私たちが「わかる」と感じるのは、身体を通じて世界に接しているからだと書かれていて、それがその人ならではの感覚=個性になる、と。

たとえば、人の顔を見分けたり、空気を感じ取ったり、匂いや音に反応したり――そうした感覚的なものは、全部身体が担っています。

そう考えると、「無理に変わったことを言わなくてもいいんだ」と、肩の力が少し抜けました。僕は僕の身体で世界を感じている。それだけで、すでに他の人とは違う“個性”があるんだなって。

無理に「個性的」にならなくてもいい

この本を読んでから、「個性を伸ばさなきゃ」と無理に頑張るのをやめようと思いました。

だって、自分の身体の感じ方や反応の仕方――たとえば、どんな音が心地いいとか、どんな場所で落ち着くとか、そういうことそのものが“その人らしさ”なら、もうすでに自分には個性があるってことですよね。

それに、誰かと同じ考えを持っていたとしても、同じ世界を見ているとは限らない。
例えば同じ映画を観ても、「面白かった」の理由が違う。それって身体の感じ方が違うからなんだな、って思うようになりました。

「個性的であれ」と言われると、なんだか“他人と差をつける”ことばかり考えてしまうけど、
養老さんの言葉は、“他人と違う自分”ではなく、“自分としての自然な感覚”を大切にしていいんだよ、って言ってくれている気がしました。

わかるとは、きっと「自分の感覚を信じること」

『ものがわかるということ』を読んで、僕は「個性って、自然に感じてるものの中にあるんだ」と気づきました。

頭で何かを理解することよりも、身体で感じていること――心地よい、しっくりくる、ざわつく、気になる。そういう感覚を無視せずに受け取っていく。

それがきっと、自分の「わかり方」を育てることだし、個性を大事にすることなんじゃないかなと思います。

無理して人と違う考え方をしようとしなくていい。まずは、自分にしかない“感覚”を、ちゃんと感じてあげることから始めればいい。

養老さんの言葉がそう教えてくれたような気がします。

最後にちょっと聞いてみたいのですが、
あなたは最近、「これはなんだか気になるな」と思ったことってありましたか?

もしかしたら、それがあなたの身体が感じた“わかる”の入り口なのかもしれません。


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