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大阪は、実はグローバルスタンダードを地で行っているのではないか

これは統計でも都市論でもなく、入院中の院内散歩から始まった、僕のかなり個人的な大阪考察です。

大阪ではエスカレーターで右側に立ち止まる。
それは有名な話だけれど、入院中に病院の廊下を歩いていて、ふと気づいたことがあります。

もしかして大阪の人は、エスカレーターだけではなく、歩くときも、物を置くときも、自然と右側に寄っていくのではないか。

そしてそれは、もしかすると世界多数派の感覚に近いのではないか。

そんな、くだらないようでいて、僕にとってはわりと本気の「大阪グローバルスタンダード説」について書いてみます。


大阪では、なぜか右側に吸い寄せられる

大阪では、エスカレーターで右側に立ち止まる。

東京や東日本の感覚で大阪に来ると、最初はけっこう戸惑います。
東日本では左側に立つことが多いからです。

もちろん今は、安全面から言えば、エスカレーターは歩かずに立ち止まるのが本来の考え方だと思います。
なので、「右を空ける」「左を空ける」という文化そのものが、これから少しずつ変わっていくのかもしれません。

それでも、身体に染みついた地域のリズムというのは面白いものです。

大阪ではエスカレーターだけでなく、よくよく観察してみると、歩道でも右側を歩いている人が多いように感じます。

もちろん、これは僕の個人的な観察です。
大阪中を調査したわけでも、カウンターを持って歩行者を数えたわけでもありません。

ただ、少なくとも僕の目には、大阪の人たちは自然と右側に寄っていくように見えたのです。

つまり、大阪人は右壁に寄っていく。

これはもう、街に組み込まれた磁場なのではないか。

右壁磁場。

大阪には、人を右側へ引き寄せる見えない力が流れているのではないか。

そんなことを、入院中の僕はわりと真剣に考え始めてしまいました。


院内散歩で気づいた「お見合い」の正体

いま僕は大阪で入院しています。

入院生活の中で、身体を動かすために院内を散歩する時間があります。
病院の中は円形に近い構造になっていて、ぐるぐる歩けるようになっています。

東日本出身の僕は、何の躊躇もなく左側通行で歩いていました。
円に対して言えば、時計回りです。

ところが、どうもよく人とお見合いする。

患者さんとも、スタッフの方とも、廊下で「あ、すみません」となる。
そんなに混んでいるわけでもないのに、なぜか正面衝突未遂が多いのです。

最初は、自分の歩き方がぼんやりしているのかなと思っていました。
入院中ですし、こちらも万全の歩行者ではありません。

でも、あるときふと気づきました。

もしかして、僕だけ流れに逆らっているのではないか。

そこで試しに、院内を右側通行で歩いてみました。
円に対して言えば、反時計回りです。

すると、これが驚くほどスムーズ。

まるで、見えない水路に足先がすっと乗ったような感覚でした。

あれ?
大阪の院内にも、やっぱり右壁磁場があるのでは?


眼下の大阪城まわりも、右側に人の流れがあるように見えた

さらに病室から眼下を眺めると、大阪城まわりの歩道が見えます。

そこを歩く人たちを何気なく観察していると、やっぱり右側に人の流れがあるように見える場面が多い。

もちろん、これも僕の個人的な観察です。
統計を取ったわけではありません。

ポケットからカウンターを取り出して、
「右、右、左、右、右、右……」
などと数えていたら、別の意味で診察対象になってしまいます。

それでも、院内といい、大阪城まわりといい、どうも右に寄っていく人の流れがある。

入院以来、特に気にしていなかったことも、いったん気づくと次々に見えてきます。

スタッフの詰所のデスクも、廊下に台車などを置く際も、よくよく見ると右側の壁にべた付けされていることが多い。

人も、物も、右側に寄っている。

大阪、徹底している。

いや、徹底しているように僕には見えてしまう。


でも車だけは当然、左側通行

ここで面白いのは、いくら大阪でも車だけは当然ながら左側通行だということです。

日本ですから、道路交通の世界では大阪も左側通行です。

そこで、大阪出身の奥さまに聞いてみました。

「車は左側通行なのに、人は右側に寄る感じって、違和感ないの?」

すると、特に違和感はないらしい。

すごい。

大阪人は、車では左。
歩けば右。
エスカレーターでは右。

必要に応じて、身体の通行モードを自然に切り替えている。

これはもう、左右両対応型人類です。

世界的に見ると、車は右側通行の国が多数派です。
一方で、日本やイギリス、インド、オーストラリアなど、左側通行の国もあります。

そう考えると大阪は、車では日本式、歩行感覚では世界多数派寄り、という二重構造を持っているのではないか。

なんだか急に、大阪という都市そのものがバイリンガルに見えてきます。

道路交通は日本語で話し、歩行文化は英語で返してくる街。

それが大阪。


大阪人は、左右の脳をまんべんなく刺激しているのではないか

ここからは、白衣の先生には怒られそうな、僕の勝手な仮説です。

脳は、身体の片側の動きに対して、反対側が関係していると言われます。

だとすると大阪人は日常的に、車では左側通行、歩行では右側寄り、エスカレーターでは右立ちという複雑な切り替えをしています。

つまり、大阪人は左右両方の脳を、生活の中で自然に刺激しているのではないか。

だから会話にウィットがあるのではないか。
だから返しが速いのではないか。
だから知らない人でも受け入れてくれる土壌があるのではないか。

もちろん、だいぶ無理があります。

でも、そう考えるとなんだか楽しい。

大阪の人の会話には、反射神経があります。
それは単なる早口ではなく、相手の球をちゃんと見て、面白い方向に打ち返す力です。

真正面から受け止めるだけではなく、少し角度をつけて返す。
でも、相手を突き放すのではなく、会話の輪の中に入れてくれる。

僕は昔から、そういう大阪の空気が大好きでした。


僕の人生の大事なところには、だいたい大阪がいる

考えてみると、僕の人生の大事なところには、なぜかいつも大阪がいます。

新卒で入った会社も大阪でした。

大阪で僕は、大企業の経営の根幹に流れる「価値を見つけ、磨き、世の中に届ける」というブランディングとマーケティングの本質、そして企業が社会とどう向き合い、どう信頼を築いていくのかというコーポレートコミュニケーション(CC)の感覚を、現場の熱量の中で経験させてもらいました。

それは単に商品を売る技術ではありませんでした。

どう価値を見つけるのか。
どう磨き上げるのか。
どう人の心に届けるのか。
どう「選ばれる理由」をつくるのか。
そして、企業として社会とどう対話し、どう信頼を積み重ねていくのか。

今の自分の仕事にも、考え方にも、会社づくりにも、あのとき大阪で経験したことが確実に生きています。

そして、自分の会社を起こしたのも大阪でした。

何の地盤もありませんでした。
強いつながりがあったわけでもありません。
東北から来た人間が、いきなり大阪で何かを始める。

普通に考えれば、なかなか無謀です。

でも大阪は、そんな僕を受け入れてくれました。

さらに言えば、山形で出会った奥さんも大阪出身です。

もう、ここまで来ると笑ってしまいます。

新卒で大阪。
仕事の原点も大阪。
起業も大阪。
奥さんも大阪。

ここまで大阪が人生に入り込んでくると、もはや僕のDNAに大阪の血が入っていないことのほうが不自然に思えてきます。

ここまで来ると、僕が大阪を選んできたのか、大阪に選ばれてきたのか、もはやよく分かりません。

いや、もしかすると血液検査では出ないだけで、どこかに「大阪成分」が混じっているのかもしれません。

ヘモグロビンならぬ、オオサカグロビン

そんな謎成分が、僕の中を少しだけ流れている気がします。

もちろん僕は東北出身です。
大阪に地縁があったわけでも、親戚がいたわけでもありません。

それなのに、人生の大切な局面で大阪に引き寄せられてきました。

新卒のときもそう。
起業のときもそう。
そして家族との出会いにまで、大阪がいる。

だから今回、病院の廊下を歩きながら「大阪の人は右側に寄っていくのではないか」と気づいたとき、少しだけ思ってしまったのです。

もしかすると僕自身も、ずっと前から大阪の右壁磁場に引き寄せられていたのではないか、と。

エスカレーターだけではなく。
歩道だけではなく。
人生そのものが、いつの間にか大阪側に寄っていた。

そう考えると、なんだか妙に腑に落ちます。


大阪は、よそ者を面白がってくれる街だった

僕は東北出身です。
DNAに大阪の血は、たぶん一滴も入っていません。

それなのに、昔から何かと大阪が好きでした。

不思議なくらい、大阪に惹かれていました。

もちろん、違和感がないわけではありません。
エスカレーターでは反対側に立つし、歩く向きもたぶん違う。

でも、その違和感ごと面白いと思わせてくれる懐の深さが大阪にはあります。

「違うやん」と言いながら、排除するのではなく、笑いにしてくれる。
「なんでやねん」と突っ込みながら、関係を切るのではなく、むしろ近づけてくれる。

この街のすごさは、そこにあるのだと思います。

何者でもない東北人を、よそ者として遠ざけるのではなく、どこかで面白がってくれた。
ちゃんと向き合ってくれた。
ときには厳しく、ときには温かく、僕をこの街の中に置いてくれた。

大阪には、そういう不思議な受容力があります。

右側に寄りながらも、入口は広い。
ツッコミは鋭いのに、間口はやわらかい。

なんとも不思議な街です。


グローバルスタンダードとは、右側に立つことではない

最初は、エスカレーターの右立ちや、歩道の右側通行から、

「大阪はグローバルスタンダードなのではないか」

と考え始めました。

でも書きながら思ったのは、グローバルスタンダードというのは、単に右か左かの話ではないのかもしれないということです。

本当の意味でのグローバルスタンダードとは、違う人を受け入れる力なのではないか。

自分たちの流儀を持ちながら、外から来た人も巻き込んでいく。
違いを消すのではなく、違いをネタにして、場の中に入れていく。
知らない人を、いつの間にか会話の輪に引きずり込んでいる。

大阪には、それがある気がします。

右に立つか、左に立つか。
時計回りか、反時計回りか。

そんな小さな違いから、街の深い性格が見えてくることがあります。

僕にとって大阪は、何度もそういう発見をくれる街です。

そして今回、入院中の院内散歩で気づいたのは、大阪人はやっぱり右壁に寄っていくように見える、ということでした。

でも、もっと大きく言えば、大阪は人の流れを作るのがうまい街なのかもしれません。

流れに乗ると、すっと歩きやすくなる。
違う流れで歩いている人にも、「こっちやで」と笑いながら教えてくれる。

グローバルスタンダードとは、右側に立つことではない。
違う人を受け入れ、違いを面白がり、いつの間にか同じ流れに巻き込んでいく力のことなのかもしれません。

僕はそんな大阪が、やっぱり昔から大好きです。

DNAに大阪の血が入っていないのが、不思議なくらいです。

今日も病院の廊下を、右側通行で歩いています。
反時計回りに、ゆっくりと。

大阪の流れに、少しだけ乗せてもらいながら。

たぶん僕はこれからも、人生のどこかで大阪側に寄っていくのだと思います。


【最後まで読んでくれた一風変わったあなた♪】

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noteの記事にするには、どうしても整えてから出す話が多くなっちゃいます😅

でも、整えすぎた言葉は、大体は刺さらない(笑)

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