たった二つの接尾辞で、動詞が自在に姿を変える――エスペラントの「自動詞化・他動詞化」という発明
英語を学んでいて、こんな経験はないだろうか。「close」という一語が、「閉める」にも「閉まる」にもなる。
I close the door.
「私」がドアに働きかけて閉めている、他動詞のclose。
The door closes.
ドアそのものが閉まる、自動詞のclose。
同じ close という綴り、同じ発音なのに、主語の違いと目的語の有無だけで意味が入れ替わる。文脈で判断するしかなく、なんとなく分かった気になっている。
エスペラントは、この「なんとなく」を許さない。その代わりに、驚くほどシンプルな道具を用意してくれている。動詞の語幹に「-iĝi」を付ければ自動詞に、「-igi」を付ければ他動詞になる。たった二つの接尾辞。しかしこの仕組みが分かると、エスペラントという言語の設計思想そのものが見えてくる。
「閉める」と「閉まる」と「笑う」「笑わせる」を規則的に作る
「-iĝi」で他動詞から自動詞を作る
まず基本となる他動詞「fermi(閉める)」を例にしよう。
Mi fermas la pordon.
主語である「私」がドアに働きかけて閉めている、他動詞の文。目的語 la pordon が現れているのがポイントだ。
ここに自動詞化の接尾辞「-iĝi」を足すと、「(誰かが閉めたのではなく)自然に閉まる」という自動詞が規則的に作れる。
La pordo fermiĝas.
主語である「ドア」自身が閉まっている、自動詞の文。目的語は現れず、ドアそのものの変化だけが語られている。
逆方向、「-igi」で自動詞から他動詞を作る
今度は逆に、もともと自動詞である語幹に「-igi」を足してみよう。「ridi(笑う)」を例にする。
La infano ridas.
主語である「子ども」自身が笑っている、自動詞の文。
ここに他動詞化の接尾辞「-igi」を足すと、「(誰かを)笑わせる」という他動詞が規則的に作れる。
La patro ridigas la infanon.
「父親」が「子ども」に働きかけて笑わせている、他動詞の文。目的語 la infanon が現れているのがポイントだ。
fermi→fermiĝiは「他動詞の語幹に-iĝiを足して自動詞を作る」方向だった。一方ridi→ridigiは「自動詞の語幹に-igiを足して他動詞を作る」方向。矢印は逆でも、やっていることは同じだ。語幹に接尾辞を一つ足すだけで、動詞の性質を規則的に反転させている。この双方向性こそが、「-iĝi」「-igi」というペアの本質だと言える。
英語と違い、「生まれる」を、正面から表現できる
この規則性の価値がより際立つのが「生む/生まれる」だ。エスペラントの他動詞「naski(生む)」を例にしよう。
Ŝi naskis knabon.
主語である「彼女」が子どもに働きかけて生んでいる、他動詞の文。目的語 knabon が現れているのがポイントだ。
ここに自動詞化の接尾辞「-iĝi」を足すと、「生まれる」という自動詞が規則的に作れる。
Knabo naskiĝis.
主語である「男の子」自身に起きた出来事として語られる、自動詞の文。目的語は現れず、「生まれる」という出来事そのものが語られている。
英語には、実は「生まれる」に対応する純粋な自動詞が存在しない。"I was born."と、受身形を借りてようやく表現している。つまり英語話者は、本来は自動詞的な出来事を、他動詞の受身という迂回路を使って語っているわけだ。
エスペラントでは、この迂回が要らない。「生む」という他動詞的な行為と、「生まれる」という自動詞的な出来事を、同じ語根から接尾辞一つで正確に分けて表現できる。これは言語としての表現力の高さを示す好例だと言える。
覚える負担ではなく、組み立てる自由
自動詞と他動詞をペアで持つ接尾辞「-iĝi」「-igi」は、一見すると学習者に負担を強いる細かいルールに映るかもしれない。しかし実際には逆で、単語を一つひとつ丸暗記しなくても、語根と接尾辞の組み合わせだけで、自分の言いたいニュアンスを規則的に組み立てられる便利な仕組みだ。
英語のcloseのような「パッと見は便利だが曖昧な多義語」に頼るのではなく、「規則で意味を作る」という設計を選んだこと。これこそが、エスペラントが130年以上にわたって「学びやすく、それでいて表現力を失わない言語」であり続けてきた理由の一つなのだろう。(涼太郎)
【note編集担当者注】
本稿は、エスペラントに関する一学習者の個人的な見解・体験に基づく内容です。 (一社)関西エスペラント連盟としての公式見解を示すものではありません。 当noteは、連盟メンバーがそれぞれの視点から自由に意見を述べることのできる場として運営しています。
