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【中学受験社会】江戸時代の三大改革+田沼政治を整理する(緊縮財政vs積極財政)

今回は江戸時代の政治
いわゆる江戸の三大改革(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)と、田沼政治を並べて比較してみます。
現在の日本にとって非常に教訓となる分野ですので、中学受験生のみならず、多くの皆さんに考えてみていただきたいテーマです。

緊縮財政vs積極財政の構図

緊縮財政(三大改革)

三大改革の基調は倹約、つまり緊縮財政です。

徳川吉宗は徹底した倹約を指示。自らも身を律して質素倹約に励み、大奥の大改革を行ったというのは有名な話です。
一方で吉宗は、新田開発を積極的に行うなど、「米将軍」と呼ばれるほど米の生産拡大に力を注ぎました。ここが後の2つの改革と異なる点です。

松平定信は、祖父吉宗の政治を手本、理想としていました。
吉宗にならい、徹底した倹約を進めます。
厳しかった改革の結果として、11代将軍家斉を始め、大名や幕府の役人からの支持を失い、失脚に至りました。純粋で真面目とされる定信だからこその落とし穴だったのでしょう。

水野忠邦もまた享保・寛政の改革を「祖法」とし、徹底した倹約=緊縮を進めました。
その結果、たちまち江戸の町から活気が消えたと言われています。
定信と同様、厳しすぎる倹約を嫌った大名や幕府の役人からの支持を失い、失脚しました。

二人に共通していたのは、
「祖法」として吉宗の改革にならったものの、朱子学に縛られ商業を下に見て軽視していたこと、
米の増産に関しても、吉宗が新田開発のような「攻め」の姿勢であったのに対し、定信や忠邦が江戸に出稼ぎに来ていた農民を農村に返す程度の「守り」の姿勢しか出せなかったこと、
という点が挙げられます。

最近も「先代の思いが大事」などと言いながら父君の思いを踏みにじっていた愚か極まりない代議士が居りましたけれども。

当時は立て続けに飢饉や天災が発生したり、国債などないので無い袖は振れないという面もあったり、また思想の中心に朱子学があったりもしましたから、致し方ない所があったでしょう。
とはいえ、政治において過去のやり方が必ずしも善にはならないという、重要な教訓を残してくれていると思います。

積極財政(田沼政治)

一方の田沼政治は、積極財政が基調でした。
田沼意次米基軸の経済体制への限界を感じ、積極的に貨幣での増収策を打ち出しました。
しかし賄賂政治の疑惑が持ち上げられ、失脚に至りました。

最近も積極財政を掲げる総理大臣に対して、実在が怪しまれる疑惑が投げつけられていますが、田沼時代も似たような状況だったのでしょうか。

近年の研究では、賄賂政治家との定説は覆ってきています。昨今の田沼意次再評価の流れは、時代の要請なのかもしれません。

歴史は繰り返す」って本当なんだなと痛感します。
歴史を学び歴史に学べる日本人を増やせるよう、今後も精進していきたいと思います。


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