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ヒロシマを「美術館で見る」という逆説──土田ヒロミによる〈核モダニズム批評〉の眼

 ”目の前の写真は、たしかに「美しい」と感じられる。だが同時に、それが人為的な暴力によって奪われた生命の残骸であると知った瞬間、美は反転し、鑑賞者の胸に「異化」として突き刺さる。
 芸術が最も恐ろしい力を発揮するのは、逆説的なこの瞬間である

清藤 誠司|セイジィ・キヨフジ(2025年8月)本文より
特別展 土田ヒロミ写真展「ヒロシマ・コレクション」―1945年、夏。
2025年6月28日(土)~ 9月7日(日)大阪・中之島香雪美術館
※展示風景の写真は特別に許可を得て撮影しています。

土田ヒロミ写真展「ヒロシマ・コレクション」―1945年、夏。(会場風景)

1・民俗学的カメラ視点──土田ヒロミの出発点

 2025年夏、中之島香雪美術館で開催された土田ヒロミ〈ヒロシマ・コレクション〉展を訪れた。展示室に足を踏み入れると、整然と並んだ写真の群が迎える。照明は静かで明るく、壁は真っ白で清潔だ。観客は、そのひとつひとつの作品に向き合う。
 その光景は、美術館という「美を享受する場」の典型である。
 だが、ここで示されるのは、世界初の核兵器による被爆が残した「遺物」なのだ。この逆説に、私はまず立ち尽くした。

 土田ヒロミは1939年、福井県南条郡境村(現・南越前町)に生まれた。1963年にポーラ化粧品に入社し、広告写真の現場で経験を積んだ後、1971年に独立。初期の代表作《自閉空間》では戦後の浅草を舞台に、人々の閉ざされた都市的日常を捉え、第8回太陽賞を受賞した

《自閉空間》 1971 ゼラチンシルバープリント ©️土田ヒロミ ※今回の展示ではありません

 続く《俗神》では、祭礼や土俗的信仰に宿る身体性を鋭利に捉え、日本人の無意識的な「原像」を掘り起こした
 土田の写真は一貫して、社会学・民俗学的な「観察」と、写真的「構図」のせめぎあいの上に成り立つ。そこには常に、「人間の根源を問う」という眼差しが宿る。

土田ヒロミ(1939-)2025年6月28日 撮影・清藤誠司(筆者)

2・ヒロシマへの転回──生と死の境界

 1982年以降、土田は被爆地ヒロシマにカメラを向ける。
 その眼差しは、被爆者の遺された品々へ注がれた。衣服、鞄、時計、学用品、日常の小さな玩具。あるいは髪の毛や異様に伸びた爪。朽ちてなお立ち尽くす仏像。

 それらは「死の証拠」であると同時に、「生の痕跡」でもある。かつて触れられ、用いられ、愛された生活の断片。それが突如として焼き切られ、断絶した瞬間の沈黙を、写真は永遠に留めている。

3・モノクロからカラーへ──「異化」の装置

 1982年と1995年の撮影では、銀塩フィルムによるモノクロ表現が選ばれた。陰影の中で浮かび上がる布地の質感、金属の冷たさ。死の匂いは、モノクロの硬質な階調によって伝えられた。

 だが2018年以降、土田はデジタルカラーを採用する。
 そこに現れたのは、あまりにも鮮やかな遺物の姿である。赤、紫、黄。色彩はむしろ「生」の気配を取り戻し、観る者に一瞬の美的陶酔をもたらす。

 私は展示室で立ち尽くした。目の前の写真は、たしかに「美しい」と感じられる。だが同時に、それが人為的な暴力によって奪われた生命の残骸であると知った瞬間、美は反転し、鑑賞者の胸に「異化」として突き刺さる
 芸術が最も恐ろしい力を発揮するのは、逆説的なこの瞬間である。

4・民俗から核へ──二つの「死者の記憶」

 ここで私は、土田の写真史を「民俗学的視線」から「核モダニズム批評」への移行として読み解きたい。

《俗神》で彼が見つめたのは、村という共同体の中で死者を祀り、記憶を継承する民俗の力だった。祭りや儀礼は、生と死の境を往還する媒介である

《奈良・大峰山》1972「俗神」より ©️土田ヒロミ ※今回の展示ではありません

 一方、〈ヒロシマ・コレクション〉で写されたのは、近代国家の暴力と科学技術がもたらした死者の痕跡である。ここでは共同体的な記憶装置(祭礼)は破壊され、代わりに「物」が証言者となる。

 つまり土田は、「土俗の死者」から「核モダニズムの死者」へと視線を移し替えたのである。

5・核モダニズム批評としての写真──倒錯と覚醒

 核兵器は、20世紀のモダニズムが生んだテクノロジーの極点である。理性・科学・効率が導いた最終兵器。その冷徹な論理は、人間的共同体を切断し、記憶の継承をも不可能にした。
 土田の写真は、その「核モダニズム」を批評する。

 民俗学的な共同体が継承してきた「死者の語り」がなくなった世界で、なお、物質そのものを媒介にして死者を呼び戻す。遺物は「新しい仏像」であり、写真は「新しい祭壇」である。
 ここに土田の仕事の核心がある。彼は写真を通じて、核時代の忘却に抗する「異化装置」を築いたのである。

 ヒロシマの遺物は、資料館では証言の「資料」として展示される。
 だが美術館に並ぶとき、それは「美の対象」として現前する。鑑賞者は、制度的に「美しいものを見る」態度を強いられる。
 その倒錯こそが、作品の力である。美術館の白い壁が、ヒロシマを遠ざけるのではなく、むしろ観客の意識を鋭利にえぐる装置へと変貌する。

6・語られていない「逆説のヒロシマ」──忘却と責任

 ヒロシマの記憶は、国家によって「語り方」が選別されてきた。被爆体験はしばしば「平和教育」という枠組みに包まれ、記憶は形式化される。

 しかし土田が見つめるのは、制度化された物語ではなく、生活の断片であり、個々の身体の痕跡である。
 私は、ここに芸術の使命をみる。忘却と慣れに抗うため、記憶を「異化」し、あらためて観客の心を揺さぶること。美術館で「美しい」と錯覚する瞬間、その錯覚こそが、私たちを歴史に引き戻す。
 美しいと錯覚した瞬間、その錯覚を恥じる私たち自身の内面にこそ、記憶が継承されるのだ。

7・残酷な真実を異化する──アート・芸術の使命

 ただ遺物にレンズを向けただけでは、もはや写真でも芸術でもドキュメントでもない。そこには作家の生きた軌道と、些細かもしれないが、絶妙に置かれた眼差しが存在する。

 被爆から八十年。語り部の世代は去り、記憶は遠のきつつある。そのとき土田の写真は、「核モダニズム批評」としての力を持つ。モノは死者を代弁し、写真は新たな祭壇として未来の観客に訴えかける。

 美術館で「ヒロシマ」を見ること。それは残酷な逆説でありながら、忘却の時代にこそ必要な「異化」の体験である。
 土田ヒロミの〈ヒロシマ・コレクション〉は、民俗学的視線から核モダニズム批評へと至る旅路の果てに立ち上がった、私たちの時代への問いそのものなのである。

(了)

※展示風景の写真は特別に許可を得て撮影しています。

特別展 土田ヒロミ写真展「ヒロシマ・コレクション」―1945年、夏。
2025年6月28日(土)~ 9月7日(日)大阪・中之島香雪美術館



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