もうすぐ絶滅する現代アートのために──展覧会「ライフライン」と生き延びる想像力
舞台上にカラフルなネオン管が置かれている。どのように鑑賞すればよいのか一見してわからず、文字の意味も読めない。劇場という場所は本来の機能を失い、舞台も客席も役割を終え、沈黙している。
だが、ネオン管を“持ち上げた瞬間”にのみ意味が立ち上がる。倒れたものが再び起き上がる瞬間──まさにそれが「生き延びた」と感じる、ささやかな実感である。



承前:消えゆく建築・文化・繁栄の記憶
私が拠点として暮らす大阪・高槻市と、隣の茨木市とは、その昔(半世紀前)は互いに競い合う繁栄都市であった。だが、日本初のノーベル文学賞作家・川端康成の出生地として「文学・学術の街」を謳った茨木も、現在では駅前の商店街や駅ビルの過疎化が年々進行している。
一方、京都と大阪の中間点として、JR線・阪急電鉄の双方で新快速・特急が停車する駅として発展を遂げたのは高槻である。居住者や大学など教育施設も近年は高槻に集中し、その優位が明確になっている。


しかし、私が住む高槻の地には美術館が存在しない。対照的に、隣の茨木には図書館とアート文化融合施設「おにクル」や、ビルの空きスペースを活かしたアート・プロジェクトが展開されている。高槻にも現代劇場や弥生時代の居住区跡である安満遺跡公園などはあるものの、アート・美術分野への取り組みは依然として弱い。
そんな茨木市に、いま取り壊しを目前に控えたビルがある。茨木市福祉文化会館である。
1981年(昭和56年)に開館したこの建物は、最上階にシアターホールを備え、各階には結婚式場としても利用できる赤絨毯の会場、会議室、和室、楽屋などを完備していた。高度経済成長期からバブル期にかけて、地方都市の文化施設として輝きを放った存在だった。


1:展覧会「ライフライン」──死を前にした場所で
そのビルを舞台に、大阪に縁のあるアーティスト六名+二組、計九人の現代美術作家による展覧会が開催された。
キュレーションを担ったのは、大阪・国立国際美術館の学芸員、福元崇志である。彼は近年、同館で「ヨゼフ・ボイス+パレルモ展」「GUTAI・文化と結合」(中之島美術館との共催)、「梅津庸一展」などを企画した気鋭の学芸員として知られている。

展覧会タイトル「ライフライン」とは、まさに“死を目前に控えた場所”が抱える運命と、これまでの歴史(過去)と現在、そして未来をつなぐ“生命の道”を意味する。
また、「線を引く」という意味のドローイング(Drawing)は、“生のライン”=人が生きる線とも呼応する。展示された作品の随所には、「線・境界・手跡」といった行為が、未来への命(ライフ)を接続する媒体として描かれている。

2:今井祝雄──50年の鼓動を響かせるライフライン
参加作家の中で最年長となる今井祝雄は、1950〜60年代に結成された「具体美術協会」のメンバーの中で最も若い世代の美術家である。
本展で今井が出展したのは、1975年と1976年に自らの心臓の鼓動音を録音し、その二つを同時再生するスピーカーを向かい合わせで、人の胸の高さに吊るしたインスタレーション作品であった。展示空間は、70年代を思わせる豪奢な赤絨毯とシャンデリアが残るホール。それはまもなく役目を終え破壊される。
そこで50年前の鼓動が今、鳴り響く──それは、今井自身の存在がいまも“生き続けている”ことを体感させる見事なライフラインである。
「具体」の作家たちの多くがすでに鬼籍に入るなか、今井がなお現役であることが、この作品に一層深い振動を響かせている。


3:稲垣元則──「目的のない整理整頓」と生の秩序
かつて市の水道部や福祉事業の事務所として、大量の書類が保管されていたこのビル。
その“もはや用途を失った書類”を素材に、稲垣元則は作品を制作した。稲垣は日課として、写真や映像の上にドローイングを重ねていく。
「目的のなくなった整理整頓」という秩序の中で生み出された書類群は、天地・上下も曖昧になり、カテゴリー分類不能な図像へと変化していく。一見、無意味に見えるそれらの堆積は、むしろ“死を目前にしたエネルギー”として鎮座する。
方向を失い、終焉へと向かう空間に描かれた線やドローは、逆説的に生の力を放つ。──「終了を目前としたライフライン」。この主題はまさに展覧会全体を貫いている。




4:国谷隆志・田中真吾・勝木有香・井澤茉梨絵/線を引く〜ささやかな生のエネルギー
線を引くというシンプルな行為が、生命(ライフ)という“ささやかな生のエネルギー”を生み出す。
国谷隆志のシアターホール作品では、舞台上にカラフルなネオン管が置かれている。どのように鑑賞すればよいのか一見してわからず、文字の意味も読めない。劇場という場所は本来の機能を失い、舞台も客席も役割を終え、沈黙している。
だが、ネオン管を“持ち上げた瞬間”にのみ意味が立ち上がる。倒れたものが再び起き上がる瞬間──まさにそれが「生き延びた」と感じる、ささやかな実感である。



焦げ跡や焼け残った痕跡で描く田中真吾は、インクで線を塗り重ね、消すという反復行為を通じて、「焼けて/消える」という行為そのものを再演したペイント作品も展示した。



勝木有香は、これまでのアメリカの古いアニメーションの残像をシルクスクリーンで重ね刷り、描いたように、今度は草木の揺れや影の残像を浮かび上がらせた──「もうすぐ終わろうとする過ぎ去った世界のために」。


井澤茉梨絵は、壁や天井に直接線を描き、その線もまた「まもなく終わる世界のために」立ち上がる。ここにも稲垣の主題に呼応する“終了を目前としたライフライン”がある。


5:中屋敷智生・松井智恵+O JUN- 閉鎖を目前としたドローイング
中屋敷智生は、壁面や天井、床面を全面的にペインティングし続け、会期最終日にそのドローイングを完成させた。しかしその直後、会場は閉鎖され、取り壊される運命にある。


松井智恵とO JUNによる地下室での共作も同様だ。松井の呼びかけで関東在住のO JUNが参加したその贅沢な共作も、やがて誰にも見られることなく消えていく。
その“誰にも鑑賞されない運命”を背負ったドローイングのエネルギーは、一体どこへ向かうのだろうか。──ここにも、「終了を目前としたライフライン」が地中に埋められていく。


どうだろう。もうすぐ絶滅する現代アート作品展示に、あなたは“生き延びる希望”を見出すことができただろうか。
想像してみてほしい──その想像力こそが、ささやかな“生きる力”、そして次へのライフラインを立ち上げることなのだ。
終章:もうすぐ絶滅する現代アートのために
2025年9月12日より10月5日までに話題になったこともあり、評判を聞きつけた多くの来場者があった。関西およびその近隣に、潜在的に現代アートのメッセージを積極的受け取ろうとする人々が増えていることを実感する。
キュレーター福元氏と、主催の美術家・稲垣元則は、作家と共に各フロアをめぐるトークイベントを会期中二度、そして告知なく最終日の会場でトークイベントを開催した。
このことはアーティストが作品を創作することに匹敵する、とても重要な取り組みだったのではないかと私は思っている。

私は美術家本人が、創作した作品の詳しい解説を必ずしもする必要はないと思っている。だが、美術館やギャラリー、展覧会企画者、キュレーター・学芸員はもちろんのこと、メディア・ジャーナリスト、文化事業者の多くが、そのアートをめぐる発言・対話、批評・論議・交流を熱量を持って取り組むべきと考えている。
それは「まもなく取り壊される文化施設ビル」の中で、もうすぐ終わろうとする既得権益の資本主義終幕のために。そして、変貌を遂げようとする現代社会のためにも。何よりも「もうすぐ絶滅する現代アートのために」。
私たちの多くは、声を出して”発言・対話、批評・論議・交流を熱量を持って取り組むべき”なのである。
(了)
展覧会「ライフライン」(※会期は終了しました)
日程:2025年9月12日より10月5日まで
場所:茨木市福祉文化会館




