北斎がなぜ海外で売れるのか?ビッグ・ウェイブは一体何を描いているのか〜皆さんは秘められた”隠れ富士”知っていますか?
多くの人々がその眼で実際に見ることができる富士。信仰対象としての神も、荒れ狂う自然の猛威が襲いかかれば小さな自然の一部に過ぎない。真実は現れては消える自然の中にこそ、本物の神──リアル富士が出現する。
それを見よ、というエネルギーに満ち溢れた一枚。だからこそ海を越えて伝わることができた、大きな力を持つニッポンのアートだった。



1・なぜ江戸時代、富嶽三十六景は売れたのか
荒れ狂う大波の奥に、小さく富士山の姿が見える。
葛飾北斎(1760-1849)の代表作「冨嶽三十六景」のうち一枚、「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)である。
北斎の名所絵「冨嶽三十六景」が、大ベストセラーになった背景には、江戸時代に大流行した、ある新興宗教の存在がある。それは当時、江戸を中心に全国的に伝わっていた新宗教の「富士講」である。
民衆の間で、富士山に登ることや富士を拝むことが、当時、信じられていた強い民間信仰、修験道・山岳信仰の一つであった。冨嶽三十六景の「諸人登山」は、その富士講詣を描いた一場面である。
ところが富士講は、公的には幕府から禁止されていた。それもあって、富士山が絵のどこかに描かれたこの浮世絵版画を多くの人がこぞって買い求めたのだ。
その頃、版画印刷で大量生産が可能になり、安価で色付きの刷物が手に入れられるようになっていた。富士山が描かれた版画は、多くは縁起物の貼り絵、参拝の対象、密かな聖図像(イコン)でもあった。当初発売予定だった三十六作品は、さらに十点が追加され全四十六景として発売されるほど、人気の浮世絵名所シリーズとなった。

現在でも、富士山を崇める風習は、無意識的に多くの日本人の慣習として残っているのではないだろうか。
古神道・修験道において、信仰の対象として崇められる山は、いわば神であり、山そのものを御神体とする。その国内最高峰を誇る「富士山」は、日本の神々の頂点として、絶大な信仰を集めた。この世に二つと無い、まさに「不二の山」だった。
幕末から、近現代の画家・横山大観らに至るまで、富士山を画面の中央で描いた絵画は多い。
しかし当代切っての天才絵師・葛飾北斎は、富士を描くにも一筋縄では行かなかった。アート図像で読み解けば、鑑賞者へのさりげない仕掛けを、そして痛烈な一撃を差し込んでいることがわかる。
2・新宗教に群がる民衆への強烈な批評も
「神奈川沖浪裏」の富士は、画面の奥に風景遠近法を用い遠く小さく置かれている。神・最高峰とされる「富士」よりも海の大きな波が、その頂上に覆い被さらんとする。その瞬間をこの絵は捉えている。
人々が神と崇めるものさえも、一瞬にして覆い隠す、大波とは一体何なのか…。神としての富士そのものの存在を揺るがす巨大な波。それは神の存在以上の大自然の脅威を描かんとしたものなのかもしれない。


北斎は若い頃、絵の流派を転々としてきた。勝川春章の弟子を皮切りに、その後破門となり、狩野派、琳派、南画などあらゆる絵画技法の流派を渡り歩き、七〇代を迎えた頃には独自の葛飾派を築いていた。また住居に至っても、九〇年の生涯で九十三回も引越しをした記録が残されている。
それは宗教遍歴についても同じだった。北斎は筆名の元となった北辰妙見信仰や、日蓮宗・法華経など様々な宗派への入信も、絵描きとして暮らす日常の一環に過ぎなかった。
そんな北斎の眼に、当時大流行していた新興宗教の富士講がどう映っていたか…。それは、描かれた富嶽三十六景を見れば一目瞭然である。
人々が盲信する大きな神の姿は、一瞬にして海の大波と逆転する…
現れては消える波のしぶきと人々が崇める富士が、大きさの上では瞬時に逆転する。
「神奈川沖浪裏」は、そうした自然に対する畏怖が、信仰対象に覆いかぶさるがごとく、現実と理想の入り乱れた瞬間を捉えた見事な図像と言えるだろう。
では一体、神はどこにいるのか?
3・”隠れ富士”に仕掛けた北斎の図像的ねらい
この絵の中に、もう一つ富士が隠れているのが、わかるだろうか。

財布から千円札を一枚取り出して、眺めてみるといい。二〇二四年に刷新された新紙幣の千円札には「 神奈川沖浪裏」が採用され、裏面に刷られた。葛飾北斎七〇代の作画で、これを描いた当時、筆名を「為一(いいつ)」と名乗っていたが、すでに「北斎」の名が有名になっていたため、落款には「北斎改為一筆」と署名した。
ベロ藍と呼ばれる鉱物性の輸入顔料によって、鮮やかな青色が登場するこの絵。波の水面にも、富士の山肌にも同じ深い青が置かれている。まるで、激しく動きまくる海の中に、不動の富士はすっかり飲み込まれてしまうかのようである。
まるで波の一部かと見紛うように、奥に小さく描写された本物の富士。
実はさらに、画面左の渦巻く大きな波に、下から盛り上がる波の一部のように、もう一つの富士が描かれている。
しかもそれは、奥に見える本当の富士よりもサイズが大きい。そこだけ注視すると、まるで別角度から捉えた富士山のように見える。
つまり、信仰の対象であった富士よりも、“波の中に出現した神(富士)のほうがリアルで大きい”ということを言わんとしている、…かのようだ。

4・「ほんとうの富士はニセモノで、浪の中の富士がホンモノ」
浮世絵研究家・コレクターで、画家でもあった中右 瑛(なかう・えい)は、二〇〇二年に刊行した書籍で「神奈川沖浪裏」の中の隠れ富士を指摘し、このように書いている。
「遠景の富士は均整のとれたもので」北斎は「理想像として」描き、
「浪中の富士は現実像として描きわけ」ている。
「ほんとうの富士はニセモノで、浪の中の富士がホンモノ」
と北斎は言いたいのだろうか。
前出の疑問をもう一度繰り返そう。
”一体、神はどこにいるのか”
人々が盲信する神はニセモノで、波の中にホンモノの神が現れる。北斎が現した図像から読み解けば、その通りとなる。
江戸の人々が買い求め、盲信的に群がる神(=富士)の図像。
本物の富士は、遠く小さな偽物で、波の中に現れては消える神こそが本物だということが、どれだけの人に見えているだろうか。
北斎の絵はそのように語る。宗教の真理と虚像、その表裏一体性、盲信する信仰心の危うさを、絵描きの視点から北斎はさりげなく痛烈なインパクトで差し込んでいる。


江戸後期、オランダへの輸出品の包み紙として欧州に流出した浮世絵版画や後に出版される北斎漫画は、19世紀の西洋芸術家たちにとって新鮮な驚きであった 。
それはモネ、セザンヌ、ゴッホなど印象派と呼ばれたアーティストたちに強烈な影響を与えた。カトリックやプロテスタントの聖教の概念とも、一線を画す自然神、八百万(やおよろず)の神。その姿をさらりと描き出した日本の絵師たちの独特の創造性は、西欧の僧侶や図像画家たちにとって極めて異端であり、かつ斬新であったに違いない。
5・北斎の何が海外進出のインパクトとなったのか
一枚の絵の中に、別角度から見た富士山の姿を同時に描くということは、ある意味、二〇世紀絵画のキュビズム、多視点描写の先取りとも、安直に言える。
あるいは多視点を一枚のキャンバスに描き出したセザンヌへの間接的な影響や、やがて出現するパブロ・ピカソへの大いなるヒント、可能性を北斎という絵描きは、この段階でつかんでいたのではないだろうか。

(すみだ北斎美術館蔵) ※参考画像
北斎は、冨嶽三十六景に続いて「諸国滝巡り」を発表する。
長野県小布施の北斎館館長も務めた、美術史家の安村敏信は、《「諸国滝巡り」のベロ藍の青色の特性を活かした描写に、水の霊性を造形化した》※と指摘している。つまり北斎は、滝のしぶきや水の流れという自然の中に宿る生命、あるいは精霊を絵画的に描き捉えていたというのだ。
それ以前から黄表紙挿絵や北斎漫画の中にも、水の流れ、飛び散る波しぶきの姿を一瞬で捉えた図像を描き続けていた北斎だったが、七〇代に至って大波の中に「水の霊性の造形化」に成功した。まさに八百万の神、自然神の姿を捉えた一枚が、この「神奈川沖浪裏」と言える。


そこには、当時人気絶頂であった名所絵シリーズで、庶民の盲信的な富士信仰に対する、ある種の警告さえ読み取れる。北斎のさりげない、新興宗教へのメッセージが込められている。
多くの人々がその眼で実際に見ることができる富士。信仰対象としての神も、荒れ狂う自然の猛威が襲いかかれば小さな自然の一部に過ぎない。真実は現れては消える自然の中にこそ、本物の神──リアル富士が出現する。
それを見よ、というエネルギーに満ち溢れた一枚。だからこそ海を越えて伝わることができた、大きな力を持つニッポンのアートだった。
その北斎の手から放たれた絵画的インパクトは、大海を渡り、盲目に神を信仰する欧州の国々の芸術家や観衆にも、静かな一撃を与えた。
それが世界で最も有名な日本の絵画、「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」なのである。
(了)※2021年初稿・改訂再録


〈北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより〉
東京上野・国立西洋美術館/2026年3月28日[土]-6月14日[日]
【参考文献】
※『北斎 視覚のマジック 小布施・北斎館名品集』北斎館編
編集人・安村敏信(平凡社)2019年
『葛飾北斎の本懐』永田生慈(角川選書)2017年
『北斎 7つのナゾ 波瀾万丈のおもしろ人生』中右 瑛(里文出版)2002年『北斎の謎を解く: 生活・芸術・信仰』諏訪春雄 (吉川弘文館)2001年
『葛飾北斎』永田生慈(歴史文化ライブラリー・吉川弘文館)2000年
『画狂人北斎』瀬木慎一(講談社現代新書)1973年
